密かにネットでシニアの求人検索などをしてみる。大方の求人はシニアと記載されていても、限界はほぼ65歳だ。65歳以前から働いていれば、70歳まで継続可能という所が多い。現在66歳の私は限りなく職にありつくのは難しい事はわかっている。車の免許も、資格も無いし。それでもダメ元で、小さな医院の受付補助作業の求人があったので、WEBで応募してみた。
仕事内容を確認してみると、「カルテ等を出していただく軽作業です」とあった。働くのは土曜日の午前中のみ。楽な作業で一週間に一日だけ、それも僅かな時間。私にうってつけじゃないか!と思ったのだ。
翌日午後、電話が鳴った。私の胸は乙女のように高鳴った。
電話に出てみると、確かに応募した医院からの電話だった。けれども先方の声のトーンが低い。話を進める前から拒絶的な雰囲気を漂わせていた。応対が気だるいのである。声から察すると、四十代前後。二言三言交すと、彼女がその医院の中心的存在であり、彼女を中心に現場が回っているような感じだった。
電話は目に見えないがゆえに、声と言葉から細やかな情報を受け取ってしまうものだ。
先ず、「類似の仕事経験があるか」と聞かれた。無いと答えると、現場は忙しいしカルテも何冊も持つので重労働だと言う。
「カルテ」、それは私のイメージではペラペラの一枚の用紙だと思っていた。が、そうではなかった。軽作業でもなかった。求人の広告から受けるイメージとは違った。
おまけにあえて先方は「物凄く忙しいんです」と強調した。老人には務まらないという事を示唆したかったのだろう。
私の頭にあるフレーズが浮かんだ。
「お呼びでない」
それは、昭和の爆笑王クレージーキャッツの植木等のフレーズ。
シリアスなシチュエーションに、場違いに陽気な植木等が現れてひと騒ぎ。その後で自ら場違いである事に気付いた彼が、周囲に向かって言う言葉。
「お呼びでない?お呼びでない?こりゃまた失礼致しました!」
パッパラパッパッパーと間の抜けたオチのメロディーが流れ、みんなズッコケ、視聴者は大爆笑…なのだが。
今回、私はまさに”お呼びでない“人だった。笑えないけど…。
やった事のない職種、忙しい現場、歓迎されない空気感。申し込んだ事を撤回せざるを得なかった。
話し終わって受話器を置いてみると、私の心臓は、近年稀に見る早鐘をまだ打っていた。
相手の気だるい話し方は少し鼻に付いたが、別に気分を害したわけでも、怒ったわけでも無かった。ただ、このドキドキは近年感じたことの無いものだった。久しく感じたことの無い、妙に初々しいドキドキなのだった。まだ、仕事を経験したことがないあの十代の頃のドキドキの様な。
「物凄く忙しい」と聞いて、かつての私なら「大丈夫、体力に自信はあるし、やってやろうじゃないの!」と心の中で啖呵を切れたはずだった。しかし、もはや何をするにも自信の無い老婆になってしまった。
あのドキドキは、新人の頃の自信のなさから来るものと同じだったのではないか。
それでも再び、めげずに求人を探す。
派遣登録、これだ!何かできる事はあるだろうと、WEB登録してみた。
翌日電話は来たが、私は知らずにコールセンターの求人の派遣に登録していた様だった。希望の求人は今は無いと告げられただけだった。
「また何かありましたらご連絡します」と言われたが、恐らく永久に来ないという事は何となく分かる。
もし、職の種類を選ばなければ、巷にお掃除関係と介護関係の仕事の求人は溢れている。そちらに応募すれば、もしかしたらどこかで雇ってくれそうな気もするが、私は厨房の仕事ですっかり凝りていた。そちら関係は無理だ。
またまた求人を探す。すると、これはぜひともやりたいという仕事があった。年齢的にも仕事的にも、問題なさそうだった。それは、ある小さな新聞社の年鑑制作の補助作業というデスクワーク。5月から9月までの期間限定の仕事。毎年行っている作業らしかった。これは私向きだと思った。5ヶ月働いて、7ヶ月遊ぶ。なんて素敵なサイクルかしらと思ったのだ。
果たして翌日電話があった。残念なことに、すでに人が決まってしまったと言う事だった。はー、残念。やりたかったなあ~。
一番やりたかった仕事が消え、働くことへの執着も意欲も消えた。仕事を探すのはもうやめよう。
「求めよさらば与えられん」と言うけれど、
与えられなかった。仕事を選り好みしているからだろう。
世の中人手不足と言うけれど、企業が欲しい人材は、老人よりは若い人の方が良いに決まっている。
仕事を得られないからといって、別にめげている訳ではない。ただ老人は職業の選択肢が限りなく狭まってしまったことを痛感しただけだ。
今のところ、年金で日々の生活は足りているし、「毎日が日曜日」でも好奇心旺盛な自分にはつまらない事は無い。
朝食の後は、毎日英語の勉強Duolingoをして、高らかに積んである読みたい本の中から好きな時に好きなだけ読書をして、溜まった新聞を読み、売れたフリマの梱包を楽しんで、発送に出かける。そんな毎日。
出かけたい時に、好きなところへ行ける。食べたい物を好きな時に食べられる。何の不自由も無い。
こんな生活をしていて、お天道さまに叱られやしないだろうか?そんな事が、昭和人間の頭には浮かんでくる。こんなに自由で良いのかしら?
最初の求人先からの電話でドキドキしたのは、遊んで暮らす毎日が、働く事で変わってしまうことへの”恐れのドキドキ“だったのじゃないだろうか。
仕事は、求めても与えられないのだから、このままで良いか。バカボンのパパに見習おう。取り敢えず「これでいいのだ」と。