偉人の生い立ちから偉業に至るまでの人生から、過酷な自然の中で生活する老人の生活を記録したものなど、色々な人々の様々な生き様を、父は真剣に見ていた。
私は父の傍らで、なんの気無しに眺める事もあった。
それらの番組は、今でも時折アーカイブの中から、再放送されることがあるので、「あっ、これは父と一緒に見た」という作品もいくつか見かけ、懐かしい気持ちになる。子供の時に眺めていた時とは違って、当時父がどんな気持ちで見ていたか、想像してみたりする。
かなり以前に、民放の深夜枠の放送で「家、ついて行ってイイですか?」という番組をたまたま見かけた。
この時はまだ番組が始まって間もない頃だった。
「家、ついて行ってイイですか?」と聞かれてOKする人などいるのだろうかと思った。変わった番組だなとも思っていたが、私の思惑に反し、番組はジワジワと人気があがり、現在ではゴールデンタイムでの放送にまで登りつめ、特番も組まれるようになった。
夫がよく見ているので、私も何気なく見始めた。
そこに描かれていたのは、至極まじめな人々のこれまでの半生を語るドキュメンタリーだった。
何といろんな生き方があるのだろうか。
親しい間柄であっても、その人のこれまでの人生を聞き出すことは、プライベートな事だけにはばかられる。
しかし、取材者は何とかそこを引き出さなければ番組にならない訳だから、結構ストレートに聞く。容赦なく、時にズケズケと。心に傷を抱えている人にも。
しかし、以外にも皆ポツリポツリと話し出す。「誰にも話したことないんですけど…」と言いながら。
初対面だからこそ話しやすいという事もあるのかも知れない。また、取材は夜が多いようなので、夜の時間帯というのも人々に語らせる力が生まれるのかも知れない。
しかし、ここで最も重要なのは、その人の「家について行って」自宅でインタビューするという事だろう。それこそが、ディープな話を引き出す大きなポイントとなっているのではないだろうか。
「家」つまり、自宅とは最も人がリラックスしてくつろげる場所である。そこでインタビューするからこそ、人は語りだすのだと思う。
また視聴者側からすれば、人様の「家」は、お呼ばれでもされない限り、見る事も入る事も許されないプライベートな空間である。テレビに映し出される家の中を見ると、そこに生活する方の「人となり」が何となく想像することが出来るのも、見どころだ。
人はその服装からも、ある程度の情報は得られるが、それが自宅の情報が加えられる事によって、さらにその人を深く理解することが出来る様に思う。
壁に貼ってあるポスターや飾り。死別した連れ合いとの思い出の写真や、離婚した家族の写真。趣味の品々から冷蔵庫の中まで。
インタビュアーは目ざとく様々な品物を見つけ出しては取り上げ、聞き込む。そこから明らかになるエピソードが、その人のこれ迄の生き方や人柄をつまびらかにして行く。
ここら辺は、インタビュアーの技量が問われるところだ。
金髪のギャル風の女の子の家では、冷蔵庫の中を見ると、ギャルのイメージからかけ離れた“シブい”煮物のストックがあった。
実は彼女は料理上手で、見かけからはおよそ思いもよらない事実が、明らかになったりする事もある。
「人を見かけのみで判断してはいけない」と反省したり、その反面、「外見で先入観を持たれてしまうのは人の常なので、やはり見かけは重要だ」と、番組を楽しみながら、様々な思いが頭を駆け巡る。
取材中に語られる内容は、壮絶なものから、ほのぼの系のものまで、十人十色だが、共感したり、気の毒に思ったり、「頑張れ」とテレビ画面越しに応援したくなったり。感情面でも揺れ動く。
人は他人の人生に対して、こんなにも興味を持つものかと我ながら感じる。
インタビューを終えると、皆何かスッキリとしたような、背負っていたものが少し軽くなった様な印象を受ける。
テレビに出演した事で、大きく人生が変わった人もいるだろう。
この番組だけにとどまらず、NHKも「街頭録音(ガイロク)」と言う、道行く人々に声をかけ、立ち話形式で「人生のどん底」とか「人生最大のピンチ」とかテーマにそってインタビューし、短くまとめた番組も出て来た。
その他、「似顔絵をプレゼントするので、あなたの人生を聞かせてください」と似顔絵を描きながら、似顔絵師との会話から、その人の人生が垣間見える番組「今夜は絵顔で眠りたい!」など、亜種的な番組が増えている様に感じる。
これまで偉人や特殊な境遇の人で無ければ露見しなかったその人達の人生。
テレビ番組で様々な市井の人の人生が番組に流れることで、皆ドラマチックな人生を送っている事を知った。
最近特にドキュメンタリー番組が、盛んなように感じられるテレビ番組。
そのキッカケとなったのが、「家、ついて行ってイイですか?」なのではないかと私は思っている。
この番組の草創期は、家までついて行けたことは相当少なかったのではないかと想像される。
番組の知名度がほぼ無い分、スタッフが声をかけても、不審がられただろうし、大方断られた事だろう。
しかし、番組が少しずつ知られ、内容も認知されるようになり、今の人気に繋がっていったのだろう。
取材をする方のご苦労はかなり大変だったであろうことは、想像するに難くない。
しかし、一度家に入り込むと、人々は語りだす。そこは自身のホームグラウンドであり、テリトリーである。城である。城主は語リ始めるのだ。過去の喜びも、そして悲しみも。
かつてシャイだと言われていた日本人の意識は、時の流れとともに随分と様変わりし、自ら自分の歴史を語る時代が来た様だ。
「人の振り見て我が振り直せ」
父がよく私に言ったことわざだ。
人生に教科書は無い。自分で正しいと思った道を、その都度選択して生きて来て、今がある。
人の人生をテレビで垣間見つつ、「人の振り見て我が振り直せ」と、これからも“生き方”を模索していく事だろう。