箒で掃くとホコリが立つなあと思ったとき、子供の時に住んでいたアパートでの出来事を思い出した。
私が小学校1年生の時に住んでいたアパートの2階に、子供のいない夫婦が短期間住んでいたことがあった。
夫婦の年齢は、30代半ばくらいだったろうか。奥様は小柄で細く美しい人だった。
アパート周辺で遊んでいる私を時折夫婦は散歩に誘った。
一緒に歩いていると、時折奥様がその細い骨ばった手で、私のうなじをつかんでくることがあった。私はそれが苦手だった。けれども口にはしなかった。時々その手は力が入り、痛いとまではいかないけれど、子供ながらに不快であり、何故か彼女に子供がいない事と関係するのでは無いかと、ぼんやり感じることもあった。私はされるがまま、彼女の手が私のうなじから離れるのを願っていた。
夫婦は仲が良かった。時折、彼らの家に呼ばれ、そこで過ごすこともあった。大抵父が居ないときだ。父が居たら、きっと他所の家には迷惑をかけると私を行かせなかったと思う。
ある時、夫婦が暮らすアパートの和室にいると、奥様が畳の上に青々としたお茶がらをまき散らした。更に、濡らして千切った大量の新聞紙を部屋中に撒き散らし始めた。
初めて見るその光景に、私は意味が分からず驚いた。
ご主人が私を見ながら「奥さんの気が狂っちゃった」と笑いながら言った。
私が戸惑っていると、奥様は微笑みながら箒で撒き散らした湿ったお茶がらと新聞紙とを箒で掃き清めた。
昔の人は、畳の部屋のホコリが立たないように、あるいはホコリを取りやすくするために、お茶がらや、濡らして千切った新聞紙をまいて、掃除をしたのだと知った。
そんなことを思い出し、今日の玄関掃除は濡れた新聞紙を使ってみたのだった。
庭箒は何十年も前に購入したもので、穂先がすり減りすっかりチビてしまったが、その箒でちぎってばら撒いた濡れ新聞を掃き集めた。先人の知恵は素晴らしい。もっと早くにやれば良かった。
残念なことに今日び、こんな方法で掃除する人もほぼいない。優れた掃除用具が店頭に並ぶ時代となった。しかし、お金を使わない昔ながらの方法も、私は大いに価値ある方法だと思う。もののない時代に残した先人の知恵は、身近にたくさん有るものだ。「おばあちゃんの知恵袋」と称され、生活全般に関わる知恵が紹介されている。
「おばあちゃんの知恵」はすごい!と思っていた私がもはやおばあちゃんだ。これで一つおばあちゃんの知恵を伝承出来たかな。
あー、しかし、お茶はペットボトル、新聞紙は電子版。お茶がらも無ければ、新聞紙も無しとなれば、将来は全く役に立たないかも知れないねえ。