「水仙」という作品の中に、蜆汁(しじみじる)を主人公が食べるシーンが出てくる。
貝から実をほじって食べていると、招かれた家の婦人に、出汁として利用したものだから食べないものであることを知らされた。
それを知った主人公は、『眉間をざくりと割られる程の大恥辱を受けて帰宅した(水仙より抜粋)』とある。
夫は過去に全く同じ経験をしたことがあったそうだ。だから、太宰治に強烈なシンパシーを感じたようだ。
書店で売っている文庫本を購入しては読み続け、文庫シリーズは全て読んだのではないかと思う。
私もその頃影響を受けて、同じ様に読んだのだが、「走れメロス」を除いては、ストーリーはあまり記憶に残っていない。
ただ唯一、「きりぎりす」の作品の一部が強烈に記憶に残っている。
それは女性の一人称で語られる短編小説で、売れない画家へ嫁いだ女性の物語だ。
物語の中で、女性は結婚当初、夫の絵が売れず貧乏を強いられるのだが、以外にも”貧乏が楽しい“と語る部分がある。貧しい中で、お料理も工夫のしがいがあって楽しいと。
やがて夫の絵が売れ裕福になっていく。本来なら喜ぶべき所を、主人公の女性はむしろ不満げに語る。
私はその文章を読んだ頃はまだ20代前半だった。
「貧乏は辛く苦しいこと」であると普通に思っていた。だから貧乏に喜びを感じるという主人公の感覚が理解し難く、驚きと共に強く心に残ったのだ。
40年以上も前に読んだ小説だが、今なら主人公の気持ちが分かる。
現在に至るまで主人公と同じ様に、節約して、頭を使い、工夫してきたからこそだろう。そしてそれを楽しんでもいる。
節約の一環として、お値下げ品のまとめられた、スーパーのワゴンはよく覗く。私にとっては宝島。お宝探しがこの上なく楽しい。
つい先日も、そのスーパーの宝島(ワゴン)で、某大手有名化粧品メーカーの乳液が、たったの300円で売られていて、値段の「0」を一つ付け忘れたのじゃないかと、我が目を疑った。
早速買い求めて帰宅後調べてみたら、元値から8割引であった。在庫処分品だからこその値段だったのだろう。
こんなちっぽけなことにも、欣喜雀躍の私。気分がいい。
文学の高尚な出だしから、一気に下世話な話となってしまったが、「きりぎりす」を読んだあの日から、いつしか主人公に共感し、知らず知らずの内に同じ様に楽しんでいる自分を発見したのが、今日という日だった。