博物館でチケットを購入し、博物館の方から見学するのが普通だが、私は最初に見学するのは敬意を表して萱野さんの資料館からと心に決めていた。そんな私のわがままで、博物館の見学を後回しにして、「萱野茂二風谷アイヌ資料館」へと向かった。
2つの施設は距離が近いが、息子は車で移動してくれた。
萱野さんは長い年月をかけてアイヌ民具の収集に努力され、この資料館を作られ館長を務めた。萱野さん亡き後は、息子さんの志朗さんが館長だ。
10時5分前だったが、係の方はもう来ていた。
挨拶をして、チケットを差し出し入館した。
入ってすぐに目に入ったのは、萱野さんの家系図。遡ると皆アイヌの名前だ。和人が北海道に入り、同化政策で漢字の名前をアイヌの方々につけ始めるまでは、名字はなかったのだ。
展示室へ入ると、右手の陳列ケース下側に、萱野さんが山子(木こり)として働いていた時代のものと思われる、擦り切れてボロボロになった脚絆が展示されていた。「アイヌの碑」で苦労された事を読んでいたので、それを見た時は当時のご苦労がしのばれた。
これまでもアイヌに関する資料を様々なところで見てきたけれど、萱野さんはメディアでよく知られる人物であり、その方ゆかりの品だと思うと展示品の一つ一つが特別に感じられた。
展示品の数はかなり多い。
アイヌとして生活をされていたからこそ知るアイヌに関する詳細な情報も多い。絵と文章によるアイヌの生活の説明が多数掲示されている。
もっと時間をかけてじっくり見たかったのだが、館内の寒さでついつい足が先へ急いでしまう。
アイヌの墓標の展示もあり、これは初めて見た。
アイヌの生活を詳しく知りたいなら、この資料館にはみっちり情報が詰まっている。
その中からほんの一部をご紹介。
アイヌに関する施設では良く見かけるものだが、いつ見ても面白い。鮭の皮で作られた靴(左)と鹿の皮で作られた靴。地域によって、少しずつ形が違っているように思う。
恐らく鮭の皮で作られたと思われる着物。仕立てが丁寧で美しい。
熊送り(イヨマンテ)の時の熊の頭が、ミイラ化して残っているのが生々しい。実際に使ったのだろう。
ぶら下がっているのが大きな熊の胃袋。水を入れて運んだり、油の保存にも使われたそうだ。
キサラリ(耳長おばけ)。これは初めて見た。言うことを聞かない子供に外からこれをチラつかせて脅かして、懲らしめる道具らしい。
鮭の卵、筋子を干した保存食。
左はひしの実。右はきはだの実。きはだの実は香辛料として使ったようだ。
左は、ひと冬越したじゃがいもを干したもの。右はウバユリのデンプンを絞ったものを干したもの。
アイヌの料理オハウ(汁)に入れてたべたら、きっと美味しいに違いない。
保存食の知恵もアイヌならではのバラエティーに富んだものばかりだ。
萱野茂さんの写真。かつて仕事で使用していた道具類だろうか。
萱野さんの彫刻道具と作品。
2階には世界各国の民芸品が多数展示されている。アイヌ民族として、世界各国の民族とも交流し、集められたものだ。
珍しいものがたくさんあり、面白い。中でも、2m近いチョウザメの標本2体が圧巻だった。
展示物には普通“手を触れないで下さい”と書いてあるものだが、ここでは「どうぞお手を触れてみてください!」と書いてある。太っ腹だ。
鹿の角で出来た椅子とテーブル。珍品だ。ちょっと座らせてもらった。とてもしっかりした作りだ。これは外国製だろうと思う。
鹿の角で出来た椅子とテーブル。珍品だ。ちょっと座らせてもらった。とてもしっかりした作りだ。これは外国製だろうと思う。
アイヌの女性の写真。既婚者は口の周りに入れ墨をしていたという。中央の女性は既婚者なのかな。
見終わって外へ出た。館内は底冷えの寒さだったので、外の気温もかなり低かったのだが、暖かく感じられた。
入る時は気付かなかったが、入り口正面には「縁結び石」があった。
説明によると、この大きな石は1975年と1976年に沙流川のそれぞれ別の場所で発見されたものだという。それが凸凹から模様までぴたりと合わさる事から縁結び石と言われている。
そんな事が本当にあるとは、なんて奇跡的なことなんだろう。
萱野さんの二風谷アイヌ資料館は、今は無き萱野さんの温かい人柄を感じられるような場所だった。
冷えた体を車の中で温めながら、二風谷アイヌ文化博物館へと向かった。
続く