充電の差込口も接触が悪いのか、中々充電されない状態。ご機嫌をうかがうようにコードをクネクネさせて通電のポジションをさぐり、ようやく充電に至ると言った具合だ。
だから充電中の携帯に、ちょっとでも触れたら大騒ぎである。
こんな具合なので、携帯がいつ事切れてもおかしくない。節約魂は買うが、ちょっと限界を超えている。
近々旅行の予定もあるというので、購入時期を迷う息子に、正月休みの間に買うべきだ、とお尻を叩いた。
元旦翌日に、早速携帯ショップへ買いに行くというので、同じ方向のスーパーのお菓子屋さんへ行こうと思っていた私は、途中まで同行する事にした。
午後に連れ立って家を出た。
久しぶりに並んで歩く息子の足取りは、力強く早かった。
歩く事に於いては少し自信がある私だが、息子の歩調に合わせるのは、かなり頑張らなければならなかった。新年から老いを感じた。
その日は気温が高かったので、道路のきわには溶けた雪が、みぞれ状にたまっていた。
歩道の白い雪の上には、車が飛ばした泥雪が薄茶色の飛沫を描いていた。白い雪が薄茶色に盛大に染まっている場所は、ドロをかぶる危険地帯だ。
私は気をつけながら歩いていたのだが、「泥が跳ねるから」と、息子が盾になるような形で私をエスコートしてくれた。まるで私のナイト(騎士)じゃん。一瞬プリンセスになった気がした。
こんなさり気ない気遣いが、息子とはいえ、妙に嬉しく心に染みた。大切にされるってうれしい事だ。
やがて、小学校方面への信号を渡り、かつての通学路である遊歩道へと入った。
息子にとっては18年ぶりの通学路である。
歩きながら、「これ(建物)も無かった」「あれも無かった」と様変わりした周囲の景色に、感嘆の声を上げていた。「周りが小さく見える」とも。
そりゃ、背が伸びたからね。
「目線が高くなったせいか」と息子は独りごちて納得していた。
小さな息子と連れ立って歩いた思い出の道。今ではすっかり身長も追い抜かれた。
周囲の建物は変わっていても、雪に覆われた人気のない道自体は、冬枯れの木を含めて変わらない。私の心も過去へと遡り、若干若返る。
あじさい公園を通り抜け、大型スーパーへと続く道へ入る。精進川沿いの細い道は小学校の裏へと続く。
子どもたちの育てたミニトマトやアサガオの鉢を受け取りに、よく来た場所。こんもりと雪に覆われた小学校の裏手を左に眺めながら歩く。嗚呼ノスタルジー。
不意に木をつつく音がした。
息子が目ざとくアカゲラを見つけた。
直ぐ側の裸木の梢をつついていた。木の葉が無いからよく見える。
つついている周辺の表皮が広範囲に白く剥がされている。アカゲラの仕業。餌になる虫がいないのか、アカゲラは心無しか痩せているようにも見えた。それとも若鳥だろうか、体も小さい。この冬を乗り切ることが出来るのだろうか。
どうかお元気で、と先へ進む。
5分もしない内に、大型スーパーに着いた。
そこで息子と別れた。私は店内へ。息子はその先の携帯ショップへ。
息子と別れた後も、過去への懐かしい気持ちだけが、いつまでもとどまっていた。
出来る事なら、小さかった子供たちを、もう一度この腕に、ギュッと抱きしめられたらなあ。
そんな衝動が中々消えなかった。