中身が腐っていないか、一つ靴で軽く踏んだらガリッと音がしてすぐに割れた。割れ目から見えるクルミの実はキレイだった。
周囲を見回しても他にクルミが落ちていないところを見ると、近所の人も知っていて拾って持ち帰っているのだなと思った。
こんな所に西洋クルミの木があったなんて、長いこと知らなかった。良い所を見つけたと思った。今日拾ったクルミは、お菓子にでも入れよう。また近々ここに来て、クルミを拾おう。
次回の散歩が楽しみになった。
数日後、遊歩道から枝道に入ったところで、鋭い「カチーン」という音が聞こえた。きっとクルミが落ちた音だ。これは何とタイミングの良い事だろうと思った。
クルミの木の下へ行くと、やはり、アスファルトの道路の上にクルミの実が落ちていた。一粒拾っているうちに、また一粒落ちてきた。運がいいなあと思って、拾い上げた。
落ちてきたクルミをよくよく見てみると、外側の果肉がたった今むかれたように、クルミの実がしっとり湿っていた。これは自然に落ちたクルミじゃ無さそうだ。
クルミの木をおもむろに見上げてみた。背の高い大木だ。私の頭上のはるか彼方の枝の間から、カラスが2羽止まっているのが見えた。
あっ、カラスが食べるために落としたのか。こりゃ、失礼しました。
私は一度手中に収めたふた粒のクルミを路上に戻した。そして食べやすいように、軽く踏んで殻を割り、実がむき出しになるように殻を少し取り除いた。
そしてすぐに立ち去り、カラスからは見えない家の陰に入ったところで、こっそりとどうなるか覗いてみた。
カラスは全く動かない。私の方を見ているみたいだった。
一旦首を引っ込めて、少し時間を置いてからまた覗いてみたが、カラスに動きはなかった。
更にもう一度、かなり時間をおいてから覗いてみたが、結果は変わらなかった(つくづく暇な人である)。
私は残念だった。
カラスはクルミを食べるために、いつも何度もクルミの実を落としては拾い、拾っては落としを繰り返す。
その労力を思い、私は実を割ってあげた。それを食べるカラスの姿を見たかったのだ。
でも、カラスは私の偽善を見抜いているかのように、クルミの木の枝の高みから見下ろすだけだった。私が何か企んでいると思っていたのだろうか、とても用心深かった。
私の思惑は外れ、いつまで待っても食べる気配のないカラスを後に帰宅した。
先日持ち帰ったクルミは、今日ケーキの生地にトッピングして焼いてみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/12/d5da401bb2a404a9fcba663a01608326.jpg?1697642260)
新鮮なクルミは、やはり市販のものよりずっと美味しかった。
食べた後に、ふと「もしかしたら、このクルミもカラスが食べようとしていたクルミだったのじゃないだろうか」と思った。
いやいや、風に吹かれて落ちたクルミだと思おう。
今日も、買い物の帰り、電線の上から頭を上下に振って、勢いをつけてクルミを道路に投げ落とすカラスを見た。そこは交通量の多い幹線道路だ。おまけにクルミは殻の硬いオニグルミ。ご苦労の多いことで。
カラスは西洋クルミとオニグルミの殻の硬さの違いを、ちゃんと分かっているのかも知れない。その証拠に、よく走る河川敷のアスファルトのコースにクルミの殻が落ちていることがあるが、すべて割れやすい西洋クルミの殻だ。
中央に転がって行ったオニグルミを、車が轢いて行くかどうか、私もカラスの気持ちになって見ていた。なかなかクルミの上を走らないものだ。もどかしい。しかし、いつかは車に踏まれて砕けるだろう。
電線の上で、じっとクルミを見つめて根気よく”その時“を待つカラスをいじらしく思う。
毎年見られる光景だが、何度見ても飽きることのない風物詩だ。