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ポジティブな私 ポジ人

値切る父

ネットのフリマで欲しい物を探すと、大抵目的のものはすぐに見つかる。良い時代だなあと思う。

そこで購入を決めるのは、物の状態と提示されている値段が、見合っているかどうかという事だ。
すごく欲しい物でも、ちょっと購入に踏み切るには、納得できない値段の場合もある。値段の交渉コメントを入れようかと思う瞬間だ。

子供の頃は「値切る事」は、少しあさましい行為の様な気がしていた。

幼い頃、スーパーマーケットはまだ一般的ではなかった。食品を買う場所は大抵市場だった。
父は魚を買う時は、必ずといって良いほど、品物をよく値切っていた。
「ちょっと負けて」と、父が値段交渉をするのを、側で聞いていて私は嫌な気持ちになるのだった。

商品にはあらかじめ値段が設定されている。それなのに、安くなるように要求するのは、商売をする人に損をさせることになる。それはいけない事だ。
世間知らずで生真面目だった私は、そんな風に考えていた。

でも、値切るシーンは大阪など関西が舞台のドラマなどで、よく見かけた。
「高いなあ。おっちゃん負けてんかー」といったセリフと共に、値段交渉のシーンをよく目にしてはいた。
関西だからこそ、それは許される事だと考えていた。

欧米の映画でも、値段交渉の場面はよく出てくる。売り手と買い手のお互いの希望の金額まで歩み寄る方法。
異国のことであるし、物語の中の事として、特にあさましいとも感じてはいなかった。むしろ定番のそのシーンは、「また出たお決まりのシーン」程度の認識だった。

最近になって、夫が毎週欠かさず見ている番組、「名車再生!クラシックカー・ディーラーズ」でも、レストアする車を持ち主から購入する際や、レストア後の車を売る時などに定番の値段交渉をよく見る。

購入する側は買いたい希望の金額から少しずつ値を上げ、売りたい側は少しずつ値を下げていく。
お互いが希望する”程よい金額“まで、交互に値段を言い合って歩み寄り、最終的には笑顔でガッチリ握手をして“Deal!”という事になる。

この値段交渉術が、とても理にかなった良い方法だなと最近になって感じ始めた。

ネットのフリマでは、出品者によっては「値引き交渉お断り」とあらかじめプロフィールに記載している方もいる。
何も書いていない方には、欲しい物がある時には「お値引き可能でしょうか」とコメントする事にしている。
すると、意外と皆、値引きしてくれるのである。

フリマへ出品する品物の値段は、値引き交渉のコメントが入ることをあらかじめ想定して、少し高めに設定している方もいる。私もその中の一人だが(笑)。
コメントが来た場合は、出来るだけ応じるようにしている。

昔、父が値切っていた事。今なら理解できる。
自分が稼いだ貴重なお金だもの、それを最大限に有効に使うとなれば、値切るのも当然だ。
それに市場での値段交渉は、古き良き時代のささやかな駆け引きであり、市場という場所ならではのコミュニケーションの一つだったのだとも言える。

何れにしても、若い頃と違いバリバリと働いて稼ぐことができなくなった今、お金はより大切である。
値切る事は、それが許される場所であるなら、今では迷わず値切る事にしている。





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