レンタルで借りたか、テレビの放映だったか定かでは無いが、子育てに追われる合間に観た映画だ。
主演は、名前がなかなか覚えられない、ハーレイ・ジョエル・オスメント。映画「シックス・センス」で有名だ。当時はまだ少年だった。
そして「ユージュアル・サスペクツ」「アメリカン・ビューティー」の2作品でアカデミー賞を獲得したケビン・スペイシー。そしてヘレン・ハントが共演している。
題名にあるペイ・フォワードとは、英語で表すと“Pay it forward”となり、日本語では「恩送り」「先へ送れ」と表現されるようだ。
意味は、例えば誰かに恩を受けたら(親切にされたら)、その人にお返しをするのでは無く、他の人に恩を送る(親切にする)という意味だ。
題名を日本語にする際に、「ペイ・イット・フォワード」とせずに、ネイティブの発音に近い「ペイ・フォワード」とされていることに、センスを感じる。
物語の中で、ハーレイ・ジョエル・オスメント演じる少年は、ケビン・スペイシー演じる学校の先生が出した課題「この世の中をより良くする為には何をしたら良いか」に対して、あるアイデアを思いつく。
それは「誰かに良い事をしてもらったら、良い事をしてくれた人にお返しをするのでは無く、他の三人へ良い事をする」というpay it forward運動だ。そうすれば、多くの人に良い連鎖が生まれ、世の中がより良くなるというものだ。
そして早速少年は実行していくのだが…。
この映画を観て知った「ペイ・フォワード」の意味。素晴らしい行動だと感動した。
しばらく私は「ペイ・フォワード」という言葉が頭から離れなかった。
その頃、我が家の子供たちは幼児と小学2年生か3年生だった。外出する時は、ほぼ子供たちと一緒に出かけていた。
その日も子供たちをともなって道を歩いていると、4~5人の小学生が、何やら困った様子で電話ボックスの側をウロウロしていた。
今では撤去されて跡形もなくなってしまった電話ボックスだが、当時は携帯電話が今ほど普及していない頃で、公衆電話もまだまだ利用があった時代だ。
通りがかりにその子供たちに「どうしたの?」と声をかけてみた。
すると、そのうちの一人が、お母さんに電話をかけたいのだけど、小銭が無いのだと言う。
たまたま私は、残金が3、40円になったテレフォンカードを持っていた。
そこで、これを使う様にとその男の子にテレカを渡して、その場を去ろうとした。すると、「どうやって返せば良いですか?」と聞いてきた。
真面目で律儀な子だなあと思った。と同時にあの「ペイ・フォワード」という言葉が頭に浮かび上がって来たのだ。
私はその映画を観て間もない頃だったので、「ペイ・フォワード」の世界を体現したかったのかも知れない。あるいは、ただ実践してみたかっただけだったのかも…。
「そのテレフォンカードはあげる。おばさんに返す必要はないからね。
でも、もし今度誰かが困っていたら、その人に親切にしてあげてね。」と伝えた。
その言葉を聞いている男の子の顔は、何か戸惑っているようにも感じられたが、私はペイ・フォワードを実践したことで満足していた。いや、ペイ・フォワードの実践をその子に促したと言った方が正確か。
何カッコつけてんだ、と突っ込む自分もいた。けれども、これは小さな幸福が連鎖するとても良い運動だと心から思う。
その後、ペイ・フォワードを実践する機会はなかった。
大体は、職場で同僚同士のお菓子のギブアンドテイクぐらいのもの。恩を受けた人に恩を返すだけでは、その小さな世界だけで完結してしまう。
日常生活のなかで、困っている人が側にいたら、できる範囲で力になりたいとは思っている。特にお年寄りを見かけると、「明日は我が身」と思い、親切にする様に心掛けている。
これはペイ・フォワードとはちょっと違うけれど、「徳を積む」行為と言える。善い行いを重ねていく事で、我が身にも良い事が巡ってくるという。
「ペイ・フォワード」には基本「される」という起動のきっかけが必要になるけれど、「徳を積む」ことは起動のきっかけは不要だ。自発行為であり、何人の人にどれだけ善行を施しても良いわけだ。
「徳を積む」行為は自分に向けての内側への行いであり、「ペイ・フォワード」は他者へ向けての外側への行い。
日本と米国の思考のスケールの違いを感じさせる。
徳を積む行為に広がりは感じられないが、ペイ・フォワードにはダイナミックな広がりと影響力が感じられる。
だが、何れも善行にかわりはなく、皆が幸せになるならそれで良し。
善行、最高!
皆で徳を積もう。ペイ・フォワードを試みよう。
そうすれば、日本もきっとユートピアに近づくはずだ。