何という事もない風景だが、そのカラスがいたのは舗道の上。丁度、公道からスーパーへ車が左折して侵入する、段差の無いコーナー辺りだった。
車がカラスの直ぐ側を次々に侵入して来る場所で、内輪差で轢かれてしまうんじゃないかと心配になるくらいの距離感だ。
しかし見ていると、カラスは逃げる様子もなく、置き物のようにそこにじっと佇んでいるのだった。
不思議だなと思った。
昨日またスーパーへ行くと、やはり同じ場所に同じカラスと思われる個体が遠くからでも確認出来た。
もしかしたら…と思い、カラスのそばを通る際に道路の方を見ると、案の定、硬そうなオニグルミがちょこんと置いてある。
きっとこのカラスが置いたものに違いない。硬いクルミを、車に轢いてもらって割り、中の実を食べる寸法なのだ。
次々に車が来るので、私もカラスの気持ちになって、クルミを踏んでくれないかなあと思いながら、通りすがり見ていたが、2台3台と通り過ぎるもクルミがあるコースから微妙に外れて行く。結末を確認せずに、後ろ髪を引かれながら通り過ぎた。
若いハシボソガラス。スタイルも良く美しいカラスだった。おまけに頭も良い。雌雄の別はわからないが、人間だったらモテモテだな。
以前駐車場でも、カラスがクルミを上空から落として実を割る行為をたまに見かけた。
車にクルミを轢かせるとは、さらに高度な知恵だと思うが、随分リスクの高い行動を取るものだとも思う。なんと言っても車の走行を避けながら、クルミを食するという、まさに命がけの行為。
買い物帰り、クルミはカラスの思惑通り潰れただろうか、と思いながら同じ場所を通った。すでにカラスの姿はなく、クルミも無かった。おそらく食べられたものと想像する。
私の住む町には、かつて用水路だった遊歩道がある。
ある日通りかかると、近くの保育園の年配の保育士さんが、子供達と樹の下で何か食べていた。時折、石を使っていたので、歩きながら何を食べているのかそれとなく確認すると、オニグルミを割って食べていたのだった。
その後、私も一粒ぐらい見つけて拾って帰ったが、オニグルミの何たる硬さ。金槌で割ったが、実も少ないのに殻ごと粉々になってしまった。なんとか味見したが、西洋クルミよりコクが強いように感じた。
20年以上前、まだ幼児であった息子とお出かけの帰り道。
いつもと違う道を歩くのが好きだった息子が赴くまま、知らない小道へと入っていった時の事。
道路上にきれいな西洋クルミがポツンと一粒落ちていた。立派な大きなクルミだ。買えばお高いクルミである。拾い上げると心が浮き立った。落ちているのだから、拾って帰っても誰からもお咎め無しだよなぁと思う。
周辺を見ると、さらにポロポロとあちらこちらに落ちている。
最もたくさん落ちていたのは、一軒のお宅の前の駐車場だった。
駐車場の奥には物置小屋があり、そのトタン屋根の波型のくぼみには、更にビッシリとクルミが乗っていた。
更に見上げると、クルミの立派な大木が頭上に枝を伸ばしている。
私は息子と一度家に帰り、ビニール袋を持ってそのお宅の前に引き返した。
一応、お断りをして拾わせていただこうと思ったのだ。
チャイムを押して、そのお家の方に厚かましくも、クルミを拾わせていただいても良いかどうか尋ねた。
すると、好きなだけ拾って行っても良いと許可をいただいたので、その通り拾わせていただいた。
お礼にクルミのパウンドケーキでも作っておすそ分けしようかとも考えたが、初対面の人へ手作りの物というのも憚られたため、結局生協の無添加りんごジュースを3缶、お礼としてお届けした。
味をしめた私は、翌年の同じ時期もその小道をクルミを狙って何度か歩いたが、その年は不作であったらしく、クルミを拾う事は出来なかった。
更にその翌年も訪れてみると、なんと残念なことに、くるみの木は切られて無くなっていた。なんで切っちゃったのか。
毎年ここのクルミでパウンドケーキを焼けると目論んでいた私の野望は、“捕らぬ狸の皮算用”、儚い夢と散った。
クルミは現在ネットで買うと、アメリカ産だと、グラムあたり2円位の価格だ。市販の少量のものとなると、グラムあたりの単価は高くなる。
先日例によって、スーパーのワゴンを覗くと、珍しくクルミがあった。85グラム入り120円。安い。賞味期限が迫っていたが、すぐに使うからと購入した。
そう言えばまだ使ってなかったなぁと、今日賞味期限を確認すると、12月4日!
あー、過ぎてしまってたー。
とにかく一日も早く、利用しなくては…。
昨日カラスを見かけなければ、買ってきたクルミに思いが及ぶ事も無かっただろう。
あの賢いカラスさんに取り敢えず感謝。