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ポジティブな私 ポジ人

父のあやまち

小学校1年生の理科の時間だったと思う。
教材の水鉄砲のキットを渡され、それぞれ自分の水鉄砲を完成させなければならない時があった。
完成させると言っても、棒にスポンジを巻き付けて、出来上がりといった簡素な物だったと思う。
しかし、1年生の私にはにはなかなか難しく、授業中に完成しなかった。
先生は「出来なかった人はお家で完成させて来てください」と言ったので、家に持ち帰ることにした。

土曜日の授業だったのだと思う。
週休二日制が定着した今では考えられないが、当時は土曜日は半ドン(午前中のみ授業や仕事がある事)で、休日では無かった。

翌日は日曜日なので、父が家にいた。
父は新聞を読んでいた。

傍らで私は宿題の水鉄砲作りをやっていた。事のほか難しく、思う様にいかない。意識はしていなかったのだが、上手くできないもどかしさ等をいちいち口に出していたようだ。

父はいつもなら「黙ってやれ」などと、声をかけるのだが、その日に限って何も言わなかった。

どの位の時間を費やしたか覚えていないが、どうやっても水鉄砲作りが上手くいかないので、父の力を借りようと思った。
私は「上手く出来ない亅と言って、父の目の前に作りかけの水鉄砲を差し出した。

すると、父は私の手から乱暴に水鉄砲を取ると、私の頭をそのブラスチックの水鉄砲で叩き、さらに水鉄砲の両端を持って、真ん中からバキッと折ってしまった。

私は頭を叩かれた痛さよりも、水鉄砲が真っ二つになってしまった事がショックだった。
一連の動作があっという間の出来事で、あ然としたが、2つになってしまった水鉄砲を見ると涙が出て来た。
明日、学校に持っていかなければいけないのに、どうしよう。
この時ほど、時間が戻せたらと心から願った事はない。  

父に叩かれた理由は、きっと水鉄砲を作ろうと、グズグズと怒ったり嘆いたりと、うるさかったからだと思った。
それに父には当時、離婚問題や男手一つでの子育てやら何やら問題が山積していたので、心も体もストレスでパンパンに膨らんだ風船の様な状態だったと思う。それが遂に「パーン」と破裂した瞬間だった。父の堪忍袋の緒がとうとう切れたのだった。

この出来事を、思い出しながらこうして文字に書き起こしてみて、初めて気付いた事がある。

これまで、父を怒らせた私がいけなかったのだと、ずーっと思っていた。けれども、大人になった私が客観的に見てみると、子供だった私に非はあるだろうかと疑問に思う。
ただ、ちょっとうるさかっただけだ。そんな私を本来は「うるさい」と一喝すれば済んだことだ。

それを、頭を叩き、学校の課題を破壊した父の行為は、現代なら差し詰め“児童虐待”である。

私は悪く無かったのだと言う事を、今改めて悟った。

しかし、感情的になってそんな事をしてしまった父は、すぐさま反省したはずである。その証拠に、事態の修復に速やかに動き出した。

途方に暮れている私を見て、父は「待ってろ」と言って家を出て行った。
程なくして父が竹の筒を持って家に帰ってきた。
どうするのだろうと思って見ていると、父はキリで竹の節の丁度真ん中に穴を開けると、今度は長めの箸に布を巻き付けて輪ゴムで止め、竹筒へ差し込み水鉄砲として使えるように調整した。
そして、水を貯めた洗面器に竹の水鉄砲を入れて水を吸い込み、勢い良く押し出して見せた。竹の水鉄砲の完成だ。

父にやって見る様に言われ、試してみると面白い程水が遠くに飛んだ。
父は「明日はこれを持って行きなさい亅と言った。

翌日の理科の時間、皆はプラスチック製の水鉄砲を完成させて持ってきていた。私は父の作った水鉄砲を出すのがちょっと恥ずかしかった。

プラスチック製から竹製の水鉄砲になった理由は、私のことだから、全て先生に話したのだろうと思う。先生はどう思っただろうか。

水の満たされたバケツが用意され、皆で外で水鉄砲を使って見る事になった。

皆んながプラスチック製の水鉄砲をバケツに入れ、水を吸わせては勢い良く押し出している。
そこへ、私も父の水鉄砲をバケツに入れてみる。

クラスメートは皆、興味津々で私の水鉄砲を、見ていた。
竹製の水鉄砲はプラスチック製のよりふた回り以上大きな物で、よく水を吸い込み、押し出すとみんなの小さな水鉄砲より、遠くまで水が勢い良く飛んだ。

「ちょっと貸して」と言う男の子もいて、私の水鉄砲と彼の水鉄砲とをばくりっこ(交換する事)したりした

誰も私の水鉄砲をバカにしなかった。逆に、珍しがって人気になったぐらいだった。

それにしてもあの竹筒はどこで手に入れたのだろう?
あの頃、ホーマックやビバホームのようなホームセンターは無かったから、金物屋さんで手に入れたのだろうか。
そして、かつてガキ大将だった時の本領発揮とばかりに、手作りの水鉄砲をサッと簡単に作った父。

終わりよければ全てよし。

父は昭和の男。間違った事をしても、素直に誤りはしなかった。
けれども、竹筒で作った水鉄砲は父の反省を具現化したものであると思う。
きっと心の中では私に謝っていたのだと思う。


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