はるらんまん 3人娘と生活…その後

日々思ったこと、感じたことを3人娘の母として...、日記のように適当に書いてます!! 55歳で再婚! 

親という厄介な存在  ***その4

2010-03-15 01:52:28 | ブログ

どちらの親同士の関係も

何か…上手く行かず、

子供が病気…

旦那が浮気…

縁がなかったって言えばそれまでなんだけど…

。。。

ま、離婚の理由なんて

ひとつやふたつじゃなくて

どこも一緒だと思うけど

いろんな事が混ざり合ってそうなる訳で、

それはそれで仕方ないけど、

「辛いことがあったらいつでも帰ってきなさいよ」

言っていた母は

いざとなると

「あんたの我慢が足りないからだ…

もう一度良く謝って、許してもらいなさい」

と言うから驚きだ(笑)

親に言う時点で、もう…にっちもさっちもいかない状態だって

。。。

誰が帰りたくて、帰るかよ!!って

子供を連れて、住むとこも、仕事も無い状態の時

泣きつくとこは、他にはなかったんだよね…

。。。

その後、

子供の為にと思ってわざわざ調停までかけて貰った慰謝料は

父の自営業の支払いができんと泣きつかれ、

貸してあげる事になり、

また、今後の為にと、

児童扶養手当で貯めたお金も

数年後、支払いができんと貸してあげ、

それを少し返してもらったところで

他界した父…

まだ父の残した借金が残ってるよぉ~~(笑)

そして「金がない、金がない」と口癖のように言っている母が

80歳と元気です

 親孝行するもんね

いつまでも元気で頑張って欲しいです(笑)

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親という厄介な存在  ***その3

2010-03-15 01:18:27 | ブログ

結婚してからもちょっと変な感じでした。

「毎週土曜日には電話してね」

母に言われた言葉です。

「先週は電話が無かったね、

電話がないと心配で、ずっと電話の前で待っていたのに…」

私は義母の目を盗んでは電話をしていました。

私、結婚したんだよな?

なんかの研修にでも来ているようだな…

何か変な違和感を感じてはいましたが

「あんたの事だけを楽しみに生きてきたのに

あんたがいなくなったら私はどうしたらいいの?

と言っていた母…

(…って 父の存在はどうなの?

父と母を捨てて(?)嫁に行った手前、

それくらいの事はしてあげなくちゃという

優しい子心がありました。

(これが間違いだったのか…

「お盆、正月、ゴールデンウイークには周りの人はみんな帰って来てるのに

私も楽しみにしてるのに、

あんたは帰ってこないの と言われ、

しばらくは旦那と一緒に帰ってはいましたが

旦那も自営業で仕事も忙しくなると

私と子供で帰るようになり、

「何で一緒に帰ってこないのと言われ

反対に義母には「また帰るのと言われ

何だかね~~って状況でした。

極めつけは、料理を作ったものを

タッパーに入れ、魚やらお菓子やらを

何度も宅急便で義父宛に送ってきて、

義母からは「お母さんは料理がうまいから

私が作ったよりは、お母さんから送ってもらう方がいいわね~~」

いやみを言われ、

クール便で送られたものは誰も開けることなく

夜までそこに置いてありました。

仕方なく、私が片付け、お礼の電話をし、

「義母さんからはお礼の電話も無い」と怒られ…

何が何だか…状態でした。

私の家での立場が悪いから、

頻繁に送るのは止めて欲しいと懇願しても、

「私は楽しみで送っている、みんながしてる事だ」

全く聞く耳を持ってくれませんでした。

2人暮らしならともかく、親との同居なのに…

その頃は主人からも、

あまりの宅配便の多さに「近所からのわらいものだ」

と言われていました。

…そうそう、

旦那の親との同居は母が、

「あんたが旦那と2人暮らしなんて無理だから、親と同居しなさい

「親と同居したら朝は5時に起きて、掃除や洗濯、炊事をするんだよ

・・・と言っていたのです…

旦那から言われた言葉…

「親と縁を切ってくれ!!」

笑 

そういう事になるわけです…

今となっては笑い話になるんだけど、

若い時って、ほんと 不器用

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親という厄介な存在  ***その2

2010-03-15 00:16:10 | ブログ

私が高校生になった頃

部活で遅くなると

バス停から家に帰るまでに

何人かの人に言われた。

お母さんが心配してたよ

母は家の前で待っていた。

「まだ帰ってこなくて、心配で待ってるんだよ」

周りの人に言いながら…

ひとりしかしかいない子供(娘)は

本当に心配だったらしいけど…

でも、私にしては相当ウザい笑)

高校三年生の時、人並みに彼氏ができた。

でも、ちょっとでも遅くなろうものなら

かなり怒られた。

ま、これは父にも母にもだったので

厳しい家庭には良くある話だ。

門限は8時だった。

ある日、近くの駐車場で車をとめて話をし(2つ上の彼氏だったので、車を持っていた)

1、2分過ぎて帰ると、警察に電話するところだったと

受話器を持って玄関に立って、大声でわめいていた

たぶん私の足音を聞いて受話器を持ったのだろう…

。。。

年頃になり、結婚したいと言ったら

猛烈に反対された。

ま、ひとり娘は婿養子を取って

出来れば家業を継ぐというのが

(そのころの一般的な?)親の考えだったから…

そうやって、過干渉の中で育つと

どうしても親元から離れたいものだ(笑)

反対されれば、反対されるほど

反発した。

最後には父は娘の幸せを願って許してくれたけど、

母は狂った…

       …ふりをした…!?

「あなたは誰?そんな名前聞いたことがない…」

本当に狂ったのかと本気で思った

私は精神病院に相談の電話をしたくらいだから…

      …が 直ぐに治った

いつものパフォーマンスだった…(たぶん)(笑)

面倒臭い親を持ったもんだ

旦那に言われた。

「うちの親に別れさせてくれって電話があった

娘には絶対言わないようにと。

うちの親にも息子には言うなっていったらしいけど

うちはなんでもちゃんと言うから…」…と

娘の幸せを願わず、陰でこそこそ結婚を邪魔する親ってどうなんだろ

ま、今は少なくなったと思うけど

昭和の時代はそんなこともあちこちであったのかも…な…???

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