昨年の12月に、宅配便が届いた。
「依頼主」欄には、知り合いのOさんの名前。
欄外には、「病院に入院中の為連絡不要」と記載されていた。
中には、Oさんの出身地の名産品が入っていた。
Oさんは、夫の仕事関係の知人で年に数回、夫と飲み会をする仲です。
随分前ですが、飲み会が遅くまで続き、県南の自宅に帰る交通手段がなく、
我が家に泊まっていったこともあり、私とも顔見知りです。
そんなOさんが、入院しているなんて・・・
携帯電話をかけても、繋がらず。
いろいろと情報収集を心がけた夫でしたが、手がかりは掴めぬまま
年が明け、Oさんの年賀状が届いた。
「__の病院に入院中。」と、Oさんの出身地に近い地方名が書かれていた。
その後も、いろいろと情報収集して少しつづ分かってきたことは・・・
Oさんは、昨年の3月で定年退職をしたそうです。
糖尿病を患っていたことが影響しているのか?
昨年3月に脚を切断し、秋には故郷の病院に転院したらしい。
脚は、片方なのか両方なのか?分からないが・・・
独身のOさんにとって大変なおもいをしたことは、想像がつきます。
とにかく、いただき物のお礼を言いたいし、Oさんに会って話しがしたい。
__地方の病院をネットで調べても、多すぎて検討がつかない。
少し前、夫がOさんの携帯電話に伝言を残しておいたことがっきっかけで
Oさんから電話連絡が入った。
病院名は、教えてもらえなかったけれど・・・地名を何とか聞き出せた。
片方の脚だけだったそうです。
元気そうな声が聞けて、安心したと同時に・・・
是非、会いに行きたい気持ちが強くなった私達でした。
Oさんの情報から、絞り出した病院が現れて、
だんだん具体的に変化してきました。
思い切って・・・行ってみよう~。何とも無茶な決断ですが、
「会いたい!」という気持ちが強かったようです。
週末を利用して、交通機関を乗り継ぐ旅を決行してきました。
最寄駅に着いて、Oさんの携帯に連絡。
夫の予想的中!予想していた病院に間違いありませんでした。
びっくりするOさん。
元気そうな顔色に安心しました。
昨年3月の大震災直後、体調を崩し自宅で一週間寝込んで
とうとう、自分の意思ではどうにもならない体を実感し
救急車搬送で、掛かりつけの病院へ。
その後、Oさんの記憶は、途切れているという。
気がついた時は、数日後。左脚は無くなっていたそうです。
立ち会った親族によると、Oさんは大変危険な状態だったそうで
お兄さんは、Oさん宅の荷物の整理をしたくらい、緊迫していたようです。
現在、義足を装着してのリハビリが続いているそうで、
微調整等、時間のかかる訓練の真っ最中!
「どうせやるなら、難しい方で」と、
膝が曲がる義足を選んで、挑戦しているOさんの目は輝いていました。
今後は栃木を離れ、親戚が住んでる出身地近くを住まいに選ぶそうです。
「家が決まったら、また遊びに来て!」
前向きなOさんの言葉に、私達が元気を貰ったような気がしました。
その日は、何度も何度もOさんの携帯電話から着信が入りました。
誰にも知らせず、頑張った気持ちが痛い程、伝わってきた時間でした。
リハビリが一段落したら一度、栃木に来るという。
そのときの再会を楽しみに、別れました。
思い切って、出掛けてよかった!
帰り道、咲いていた「八重スイセン」