Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

2024-03-05 06:00:00 | エッセイ

 

 

「親友はいるか」そう尋ねられれば、即座には答えられない。ためらう。

いったいどのような存在の友を親友と呼ぶのか。

その定義によって、答えが多少違ってくるように思う。

国語辞典で確かめてみる。

「親友」=心から打ち解けた親しい友人。

その横にもう一つ。

「心友」=よく心の中まで知り合った友人。

「親友」も「心友」もほぼ似たような友人と解釈していいのだろう。

そんな「親友」は、高校生、大学生、あるいは社会人になり立ての頃、

確かにいたように思う。

 

「人は常に友達を失い続けている」

──ニューヨーク大学医学部のアイリーン・レバノン教授が、こう言っている。

日々の生活の中で楽しい時間を共有したり、悩みを打ち明けたりできる、

そんな心許し合える友人を持つことの大切さは言うまでもない。

さらに固い絆で結ばれた友、これこそ親友と呼べる友人であろうが、

そんな友を持っている人ほど健康で長生きしやすい。

いろんな科学的調査がそう裏付けているとあれば、

「人は常に友達を失い続けている」と言うのは、何とも心寂しい話である。

 

現実を見れば確かに、学校を卒業したり、会社を定年退職したりすると、

その都度、そうした友人たちが減っていく。

高校生、大学生、あるいは社会人になり立ての頃、

確かにいたように思う僕にしても、「今はいるのか」と聞かれれば、

過去の話の中に収めそうになるのだ。

また結婚したり、転職したりした時なども、一人、また一人と

友達としての付き合いが失われていくことを

多くの誰もが経験し、感じているはずだ。

 

  

 

それなのに、年を取るにつれ新しい友達をつくることは難しくなる。

子どもの時は、公園で知らない子と知り合い、一緒に遊べば、

たちまち友達となってしまうのに、大人になるとそう簡単ではない。

それと、学校というのはゆっくりと、自然に親密さを生み出してくれる

まさに友達育成の場なのである。

大人には、学校のような場は少ないし、そんな場に身を置くだけの

時間的な余裕も失われてしまう。

 

こう理屈を並べると、友達のいない孤独な老人ばかりになってしまう。

先のレバノン教授は──

「大人になってから友達をつくろうとすると、まず『友達が少ないことは問題だ』

とか『もっともっと友達をつくらなければ』といったことを過剰に意識してしまう。

それは〝不名誉な事実〟として強迫観念みたいなものになりかねず、

そうなると、ますます友達ができにくくなる」

「現実には、友達がまったくいないという人はいない。友達がいない、少ないことで

強迫観念に陥る必要はまったくないのだ。あまりにも理想的な友人関係、

つまり親友関係というものを強く思い描き、追い求めすぎてはいまいか」

こんな風にも言っている。

要するに「もう少しリラックスした友人関係でいいのではないか」

そういうことであろうか。

 

そう言われると、少しは気が楽になる。そのような人は何人かいる。

その人たちは、親密な社会的つながりを感じさせてくれる。

彼らを親友と呼ぶ。それで十分だ。あまり難しく考えないことにしよう。

 

 

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