バッグ作家の日本紀行

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親業の卒業と祖父業の楽しみ

2019-03-07 22:26:29 | 日記
3月3日に三人の子供のうち最後まで残っていた息子の結婚式が目黒の雅叙園で行われました。

純和風と日本美を追求した雅叙園の佇まいに感動し、



宿泊は雅叙園の部屋で私の人生でこんな豪華なお部屋に泊まることはないだろうと言う素敵なお部屋でした。



東証一部上場の会社「じげん」の丈社長さんに主賓としてご挨拶頂き、息子が関係する会社の細谷社長さんに乾杯のご挨拶を頂きとても感激しました。

また、歌手の方々に今でも曲の提供やボイストレーニングをされている方に祝いの歌を歌って頂き感動の連続でした。



式自体は人前結婚式で、厳かと言うよりとても親しみのある優雅な式でした。

すべて息子たちが段取りをして私たち親族は楽しみと喜びで至福の時を過ごすことが出来ました。

北海道の姉、八王子の姉、広島、神奈川、東京の友人、福岡の名のある方、そして各地の親族の皆様、本当にありがとうございました。

私もやっと子育てを卒業し、これからは7人の孫やまだ増える孫のためにもおじいちゃん力を磨くつもりでおり、新しい道を進むことが出来ます。

最後に、新郎の父の挨拶文を記してお客様、取引先、全ての縁ある方々に感謝の思いをお伝えできればと思っております。

        新郎の父挨拶文


只今ご紹介いただきました。新郎の父、〇〇〇〇と申します。両家を代表して、ひとことご挨拶を申し上げます。

本日はご多忙の折にも関わらず、遠路はるばる、新郎〇〇、新婦○○のためにご足労いただき、誠にありがとうございました。

ご列席の多くの方々から、温かいはなむけのお言葉をたまわり、新郎新婦と共に、感謝の念で心一杯になっております。心よりお礼申し上げます。

先程の~~様のお話の中で、私たちの知らない息子の頑張りをお聞きしましたが、これもひとえに素敵なご友人、恩師、同僚、上司の方々にご縁させて頂いた事で成長することが出来たものと感謝しております。

実は(新郎)は私の自営業としての仕事が一番、経営的に厳しい時期に生まれました。

一年のうち、三分の一しか私が家にいることが出来ない長年の環境の中でも姉二人と共に明るく育ってくれましたが、中学生の頃は自分探しの中で、思い悩むことも多々あったようです。

学校に行きたくないと思ったりして、後ろ向きの姿を示したこともありました。

しかし、友人や、その親御さん、ご近所の方々、学校の先生など多くの皆様方のお話を受け止め、ある時を境に吹っ切れたようで、親もびっくりするくらい前向きな姿を示すようになりました。

私の留守中、仕事に追われ、難しい顔をした時の母親に「お母さん、ネガティブはだめよ、ポジティブに、ポジティブにね。」と何回も言ってくれた(新郎)に母親は今でも救われたと思っています。

私が広島から新聞奨学生として東京に出たように、同じ道を進みたいと言い出した時には父親として十分なことが出来ず、申し訳ないと思いながら送り出しました。

しかし、私たちの心配をよそに東京での息子は専門の勉強や就職などでも本当に多くの方々に導いて頂きました。

今でも親として思うことはなぜ、(新郎)はいつもこんな素敵な方々と縁を結ぶことが出来るのだろうかということです。

本当に縁して下さった皆様方に感謝しかありません。

そして、今日は多くの縁の中でも人生を共にして未来に向かう(新婦)さんと言う素敵なお嬢さんと憲一が縁を結び披露宴が出来ましたことをとても有り難く思っています。

(新婦)さんを育ててこられたご両親、ご親族の皆様方に感謝と共に、皆様方と縁を結べたことをうれしく思っています。

二人にはこれから楽しいことや悩むこと、苦しいことなど多くの事があると思いますが、二人の家庭が、社会に開かれた温かい家庭として築いていけることを願っています。

どうかご列席の皆様方には、今後とも二人が力をつけ、明るく人様のお役に立つことが出来ますように、ご指導、ご鞭撻、友誼を平にお願い申し上げます。

 本日は、不行き届きな点もあったり、十分なおもてなしができないこともあったかも知れませんが、どうかお許し頂ければありがたいことです。

最後になりましたが、ご列席の皆様方お一人お一人のご健勝、ご多幸をお祈りし、親族代表のあいさつとさせて頂きます。

本日は誠にありがとうございました。