こんばんは。あっという間にもう3月、年度末ですね。もうすぐ真のアラサーになってしまう事実に怯えています。
今回はまたもや昨年の作品ですが、ノア・バームバック監督の『ヤング・アダルト・ニューヨーク』です。夢を諦めきれない大人をアイロニカルに描いた、ある意味『ラ・ラ・ランド』とは真逆の作品ですね。
なお、エマ・ストーンもアマンダ・サイフリッドも個人的に好きです。
「僕らは自由でありさえすればいい」──ブルックリンに暮らすドキュメンタリー映画監督のジョシュ(ベン・スティラー)と、映画プロデューサーのコーネリア(ナオミ・ワッツ)は、子どものいないミドルエイジの夫婦。友人のベビー自慢にうんざりしてそう語り合ったが、どこか負け惜しみに聞こえるのもわかっていた。
高く評価された前作から8年、いつまでたっても新作を“編集中”のジョシュは、アートスクールの講師をしていた。ある日、聴講生の20代の夫婦に声をかけられる。夫のジェイミー(アダム・ドライバー)は監督志望で、ジョシュをリスペクトしていると熱く語り、“アイスクリーム職人”だという妻のダービー(アマンダ・サイフリッド)は、そんな夫を応援していた。
作品を見てほしいと、ジェイミーの家に招待されたジョシュとコーネリアは、彼らの暮らしぶりに目を見張る。レトロな音楽と映画をLPレコードとVHSテープで収集し、家具は手作り。インスピレーションの沸くままに映画を撮り、イベントを開催し、まさに生活すべてがアートなのだ。彼らのユニークなセンスにすっかり心を奪われる。
SNSに支配される生活で出不精になっていたジョシュはジェイミーと、ベビー連れの友人にイヤイヤ付き合っていたコーネリアもダービーと、誘われるままに街に繰り出すようになる。二人は日に日にエネルギーを取り戻し、マンネリだった夫婦の関係も刺激に満ちていくが……。(「映画『ヤング・アダルト・ニューヨーク』公式サイト」より)
成功を掴めない中年の映画監督ジョシュ夫妻が、若いルーキージェイミーに翻弄されていく話。
家庭を持つという幸福を犠牲にして追いかけてきた夢を諦めきれない姿は、どこか大人になりきれない大人のような惨めさをも感じさせます。夢追い人を肯定する『ラ・ラ・ランド』とは逆のアプローチですね。
「"若いつもり"の40代と"成功したい"20代カップルの交流とギャップをカラフルに描く」といつ触れ込みの通り、現代文化に馴染もうとするジェネレーションX(アメリカ合衆国において、1961年から1980年までの20年間に生まれた世代)とアンティークな文化を好むジェネレーションZ(アメリカ合衆国において、1990年から2009年までの20年間に生まれた世代)の交流が本筋になります。
互いが相手の生きた時代の文化に憧れている「ねじれ関係」が本作の特長です。
出展「映画『ヤング・アダルト・ニューヨーク』公式サイト イントロダクション」
アンティークな文化を好むジェイミー・ダービー夫妻
最新のデバイスやSNSなどを好むジョシュ・コーネリア夫妻
本作は異世代夫妻の交流が本筋ですが、主軸はジョシュたち中年世代がの若さを求めることに対するシニカルな視点です。最近ではミッドライフクライシス(中年思春期)なんて言葉もあるようですね。
長年の自分の価値観と異なる文化に触れることで、自身の隠れた本心に気づき葛藤することのようです。
事実、彼はある映画の撮り方に対して強く固執していました。それは、映画界の巨匠であり、同時に義父でもあるブライトバードの撮り方です。
義父のブライトバード
彼は巨匠である義父に引け目を感じながらも、一途にその思想に沿った作品を追求し続けます。しかしなかなか結果が出ない。そんな中、ジェイミーの自由な生き方に心が揺さぶられるわけです。
ジョシュの拘りは他者の影響によるものであるため、「異なる価値観」という衝撃に対して非常に脆いんですね。
義父のような巨匠にもなれず、ジェイミーたちのような自由な創作をする若さもなく、子供も作らずに創作に没頭していたジョシュ。気づけば同世代の友人たちに比べ、歳相応の幸せを逃してしまっていました。
彼が呟いた「人生でできることは限られている」というクライマックスの言葉が非常に印象的です。時間が有限であるように、いつまでも夢を諦められない子供じみた大人(ヤングアダルト)ではいられない、年相応のアダルトな歩みをしていくのが美徳なのです。
夢を追うのもほどほどにしなさいという、夢追い人をアイロニカルに描いた作品でした。大人子供、いずれ自分がそうならないか不安です。笑
今回はまたもや昨年の作品ですが、ノア・バームバック監督の『ヤング・アダルト・ニューヨーク』です。夢を諦めきれない大人をアイロニカルに描いた、ある意味『ラ・ラ・ランド』とは真逆の作品ですね。
なお、エマ・ストーンもアマンダ・サイフリッドも個人的に好きです。
「僕らは自由でありさえすればいい」──ブルックリンに暮らすドキュメンタリー映画監督のジョシュ(ベン・スティラー)と、映画プロデューサーのコーネリア(ナオミ・ワッツ)は、子どものいないミドルエイジの夫婦。友人のベビー自慢にうんざりしてそう語り合ったが、どこか負け惜しみに聞こえるのもわかっていた。
高く評価された前作から8年、いつまでたっても新作を“編集中”のジョシュは、アートスクールの講師をしていた。ある日、聴講生の20代の夫婦に声をかけられる。夫のジェイミー(アダム・ドライバー)は監督志望で、ジョシュをリスペクトしていると熱く語り、“アイスクリーム職人”だという妻のダービー(アマンダ・サイフリッド)は、そんな夫を応援していた。
作品を見てほしいと、ジェイミーの家に招待されたジョシュとコーネリアは、彼らの暮らしぶりに目を見張る。レトロな音楽と映画をLPレコードとVHSテープで収集し、家具は手作り。インスピレーションの沸くままに映画を撮り、イベントを開催し、まさに生活すべてがアートなのだ。彼らのユニークなセンスにすっかり心を奪われる。
SNSに支配される生活で出不精になっていたジョシュはジェイミーと、ベビー連れの友人にイヤイヤ付き合っていたコーネリアもダービーと、誘われるままに街に繰り出すようになる。二人は日に日にエネルギーを取り戻し、マンネリだった夫婦の関係も刺激に満ちていくが……。(「映画『ヤング・アダルト・ニューヨーク』公式サイト」より)
成功を掴めない中年の映画監督ジョシュ夫妻が、若いルーキージェイミーに翻弄されていく話。
家庭を持つという幸福を犠牲にして追いかけてきた夢を諦めきれない姿は、どこか大人になりきれない大人のような惨めさをも感じさせます。夢追い人を肯定する『ラ・ラ・ランド』とは逆のアプローチですね。
「"若いつもり"の40代と"成功したい"20代カップルの交流とギャップをカラフルに描く」といつ触れ込みの通り、現代文化に馴染もうとするジェネレーションX(アメリカ合衆国において、1961年から1980年までの20年間に生まれた世代)とアンティークな文化を好むジェネレーションZ(アメリカ合衆国において、1990年から2009年までの20年間に生まれた世代)の交流が本筋になります。
互いが相手の生きた時代の文化に憧れている「ねじれ関係」が本作の特長です。
出展「映画『ヤング・アダルト・ニューヨーク』公式サイト イントロダクション」
アンティークな文化を好むジェイミー・ダービー夫妻
最新のデバイスやSNSなどを好むジョシュ・コーネリア夫妻
本作は異世代夫妻の交流が本筋ですが、主軸はジョシュたち中年世代がの若さを求めることに対するシニカルな視点です。最近ではミッドライフクライシス(中年思春期)なんて言葉もあるようですね。
長年の自分の価値観と異なる文化に触れることで、自身の隠れた本心に気づき葛藤することのようです。
事実、彼はある映画の撮り方に対して強く固執していました。それは、映画界の巨匠であり、同時に義父でもあるブライトバードの撮り方です。
義父のブライトバード
彼は巨匠である義父に引け目を感じながらも、一途にその思想に沿った作品を追求し続けます。しかしなかなか結果が出ない。そんな中、ジェイミーの自由な生き方に心が揺さぶられるわけです。
ジョシュの拘りは他者の影響によるものであるため、「異なる価値観」という衝撃に対して非常に脆いんですね。
義父のような巨匠にもなれず、ジェイミーたちのような自由な創作をする若さもなく、子供も作らずに創作に没頭していたジョシュ。気づけば同世代の友人たちに比べ、歳相応の幸せを逃してしまっていました。
彼が呟いた「人生でできることは限られている」というクライマックスの言葉が非常に印象的です。時間が有限であるように、いつまでも夢を諦められない子供じみた大人(ヤングアダルト)ではいられない、年相応のアダルトな歩みをしていくのが美徳なのです。
夢を追うのもほどほどにしなさいという、夢追い人をアイロニカルに描いた作品でした。大人子供、いずれ自分がそうならないか不安です。笑
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます