K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

ヨルゴス・ランティモス『ロブスター』

2016年07月14日 | 映画
恋愛関係において、最も忌避すべきなのは「嘘」である、ヨルゴス・ランティモス監督の『ロブスター』のラストシーン、嘘の実現を迫られ、自身の目にフォークを突き立てる主人公デヴィッドの姿はそう語っているようです。
恋人を作らなければ動物になるという奇抜な世界観の中で、愛とは何なのかについて観衆に投げかけるのが本作です。



<Story>
"独身者"は身柄を確保されホテルに送られる。そこで45日以内にパートナーを見つけなければ、自ら選んだ動物に変えられ、森に放たれる。そんな時代、独り身になったデヴィッドもホテルに送られ、パートナーを探すことになる。
しかしそこには狂気の日常が潜んでいた。しばらくするとデヴィッドは"独身者"が暮らす森へと逃げ出す。そこで彼は恋に落ちるが、それは"独身者"たちのルールに反することだったー。


シンプルな構造に設定に沿った色味のない映像、それを彩るクラシック音楽。文句なしの傑作です。


独身者専用ホテル。レトロな色調の世界観

嘘の上には恋愛関係は成り立たない、というひとりの女性の台詞を徹底的に追及した作品のように感じました。嘘と恋愛関係は実は相性が良い、というのも心底手に入れたいと感じた相手が居た場合、手に入れるために嘘を重ねるのが定石だからです。
例えば、専門商社なのにあたかも総合商社に勤めているかのように話したり、両親が険悪なのに円満であるかのように語ったり。※誰かを想定しているわけではございませんのであしからずっ

恋愛をしなければ動物になるという強迫観念を押し付けるホテル側(限られた相手から選ぶという意味では見合い制にも通じる)と独身者内での恋愛の一切を禁止する独身者集団。作中には相反する恋愛観の組織が対比的に描かれ、愛情とは何かというテーマに迫っていきます。
どちらとも馴染むことのなかった主人公デヴィッドは、結局独身者集団の中で特定の相手と恋愛関係に陥ってしまいます。それは作中では希薄であった自由恋愛を彷彿とさせるものであり、意中の相手と街へ逃げ出す様子は自由恋愛賛美のようにも感じられます。

主人公がしきりに意中の相手と同化を求める傾向にあったのがとても印象的でした。ホテルで気になる女性にアプローチする際、類似点を強調する形で恋愛関係に至ろうとします。しかし、その同化は偽りだとバレ、ホテルでの恋愛関係は破綻。「嘘の上には恋愛関係は成立しない」と叱咤されます。
この傾向は独身者集団に加わった後半でも現れ、近視という共通点を切口にデヴィッドは独身者集団の女に入れ込んでいきます。しかし、独身者集団のリーダーにふたりの関係はバレ、結局近視の女は視力(デヴィッドとの共通点)を奪われてしまう。デヴィッドは元近視の女を連れて街に逃げ出します。


プレイヤーを同時に再生させようとするデヴィッド

同化と恋愛関係を混同していたデヴィッドは最後どのような行為に出たのか。自身の眼球にナイフを突き立てたシーンで映画は幕を閉じます。デヴィッドは愛ゆえに視力を失ったのか否か、結末は観客に委ねられるわけですね。
恐らく、デヴィッドは視力を失わなかったのでしょう。デヴィッドの同化傾向とは、それ即ち「自己愛」の裏返しに他ならず、視力を失った女は完全に他人となってしまったからです。そこにデヴィッドは愛を見出せない。

まあ、何事も嘘ついちゃいけないってことですかね(小並感)


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