昨日やってましたよねー!
なんか、吹き替え微妙だけど字幕ありにするとすごい邪魔になるから結局吹き替えで観ました笑
CMやってた頃は、なんとなく面白そうだなぁとは思ってたんですが。
まさかこんな映画だとはおもわなんだ。
普通にホラーやん。
マジやめておくれな;;
いや、まあホラーも良いと思いますけどね。
ホラーの美学ってあると思いますよ。
研究している人は少ないと思いますけど・・・
怖いもの見たさっていう言葉があると思うんですけど。
やっぱり、「怖い」という感情があるのに、どうしても観てしまう。
というかある程度の需要がある。
こういう一見矛盾したようなことがホラー映画を鑑賞する時は起きてると思うんですよね。
それはサスペンスとかにも当てはまると思うんですけど。
怖いんだけど、観てしまう。
悲劇の快に近いものがあるような。
気がしますね。
古代ギリシアで演劇と言えば、
必ず悲劇想定されますよね。
アイスキュロス、エウリピデス、ソフォクレース。
3大悲劇作家とも呼ばれています。
喜劇作家と聞かれれば、多くの方がアリストファネスしか想起出来ないのではないでしょうか。
そもそも、古代ギリシアの演劇の祭典であるデュオニソス祭では、
悲劇3に対して喜劇(サテュロス劇という名称)1だったとかなんだとか。
授業でやった気がします。
まあ、そんなこんなで。
不快なものに対する欲求と言うものは昔からあったわけです。
悲劇だってホラーだって、自分の身に起きたら嫌ですよね。
しかし、観ることに関しては辞さない。
寧ろ欲求までする。
フロイト心理学から考えれば、
普段抑圧されているスリルへの欲求を、
ホラー映画やギリシア悲劇を鑑賞することで無意識的に発散させていたのではないかという解釈が成り立ちます。
正しいかどうかは置いておいて。
こうしたスリルへの快は、人間の本能的な部分が関わってきそうですね。
躍動する野生を理性で抑えつけるフラストレーション。
もし人の野性が解放されたら、人間はスリリングな体験を平気で出来るようになるのでしょう。
例えば、建物から飛び降りたり、
野生動物と死闘を繰り広げたり。
そして、そんな野性を解放された人間が、
この映画<I am Legend>には登場します。
設定は【ネタばれ注意!】
まあ、ガンの治療薬が実は未完成で。
投与された人間は基本的に死ぬんですが、
免疫を持って死ななかった人間も、理性を失って狂ったように暴れまわる「ダークシーカー」という存在になってしまいます。
そのダークシーカーたちが、免疫を持ちダークシーカー化しなかった人間を襲いまくった結果、
世界の人口は主人公を除いてゼロになったっていうのが物語の設定です。
この世界の滅亡はNYから始まり、舞台も基本的にNYです。
ダークシーカーは、紫外線に弱いという特徴があり、
昼間行動できないため、主人公のネビル博士(ウィルスミス)は今迄生きてこれたわけですね。
あ、ちなみに絶滅したのは人間だけで、動物はばっちり生きてます。
まあ、設定っていうのはこんなもん。
理性が崩壊した人間が、理性のある人間を滅亡させたっていう変なアイロニーがここにはあります。
しかもその原因が、未完成の治療薬という点からも、人類の冒涜生というか、
踏み込んではならない領域にまで達している、奢った人間に対する警鐘のようにも感じられます。
そして、人間もしょせん理性がなくなれば野生動物と変わらないというメッセージも感じられますね。
人間を人間たらしめているものは何か。
それは理性であったり、社会性であったりするのですが。
人間が変貌したダークシーカーの姿には、そうした人間性は見られません。
そうしたもはや人外の存在が人を脅かし、
光と闇の住み分けをなし、人と野生をはっきり区別している点でも、
反文明や脱機械化を主張しているような気がします。
クリスチャン的な要素とか、過度な環境主義の要素だとか。
まあ、深読みしすぎですよねwww
でもそんな勉強をこの前までしてました^^
そしてどんな映画もそういった分析的な視点から見れば、
いくらでもこじつけ出来るんだなって思いましたね笑
うん、こんなのこじつけだよー。
映画批評なんてこじつけだよー。
観たいように観れば良いじゃん―。
って、思う人はそう思えば良いし。
しっかり分析しながら観たい人はそう観れば良い。
絵もおんなじサー。
分析して観る必要なんて全くない。
音楽も。
小説も。
だったらなんだ芸術学なんてやってるんだ私。
そうした見方に楽しみを見出したからだよね。
hona-☆
なんか、吹き替え微妙だけど字幕ありにするとすごい邪魔になるから結局吹き替えで観ました笑
CMやってた頃は、なんとなく面白そうだなぁとは思ってたんですが。
まさかこんな映画だとはおもわなんだ。
普通にホラーやん。
マジやめておくれな;;
いや、まあホラーも良いと思いますけどね。
ホラーの美学ってあると思いますよ。
研究している人は少ないと思いますけど・・・
怖いもの見たさっていう言葉があると思うんですけど。
やっぱり、「怖い」という感情があるのに、どうしても観てしまう。
というかある程度の需要がある。
こういう一見矛盾したようなことがホラー映画を鑑賞する時は起きてると思うんですよね。
それはサスペンスとかにも当てはまると思うんですけど。
怖いんだけど、観てしまう。
悲劇の快に近いものがあるような。
気がしますね。
古代ギリシアで演劇と言えば、
必ず悲劇想定されますよね。
アイスキュロス、エウリピデス、ソフォクレース。
3大悲劇作家とも呼ばれています。
喜劇作家と聞かれれば、多くの方がアリストファネスしか想起出来ないのではないでしょうか。
そもそも、古代ギリシアの演劇の祭典であるデュオニソス祭では、
悲劇3に対して喜劇(サテュロス劇という名称)1だったとかなんだとか。
授業でやった気がします。
まあ、そんなこんなで。
不快なものに対する欲求と言うものは昔からあったわけです。
悲劇だってホラーだって、自分の身に起きたら嫌ですよね。
しかし、観ることに関しては辞さない。
寧ろ欲求までする。
フロイト心理学から考えれば、
普段抑圧されているスリルへの欲求を、
ホラー映画やギリシア悲劇を鑑賞することで無意識的に発散させていたのではないかという解釈が成り立ちます。
正しいかどうかは置いておいて。
こうしたスリルへの快は、人間の本能的な部分が関わってきそうですね。
躍動する野生を理性で抑えつけるフラストレーション。
もし人の野性が解放されたら、人間はスリリングな体験を平気で出来るようになるのでしょう。
例えば、建物から飛び降りたり、
野生動物と死闘を繰り広げたり。
そして、そんな野性を解放された人間が、
この映画<I am Legend>には登場します。
設定は【ネタばれ注意!】
まあ、ガンの治療薬が実は未完成で。
投与された人間は基本的に死ぬんですが、
免疫を持って死ななかった人間も、理性を失って狂ったように暴れまわる「ダークシーカー」という存在になってしまいます。
そのダークシーカーたちが、免疫を持ちダークシーカー化しなかった人間を襲いまくった結果、
世界の人口は主人公を除いてゼロになったっていうのが物語の設定です。
この世界の滅亡はNYから始まり、舞台も基本的にNYです。
ダークシーカーは、紫外線に弱いという特徴があり、
昼間行動できないため、主人公のネビル博士(ウィルスミス)は今迄生きてこれたわけですね。
あ、ちなみに絶滅したのは人間だけで、動物はばっちり生きてます。
まあ、設定っていうのはこんなもん。
理性が崩壊した人間が、理性のある人間を滅亡させたっていう変なアイロニーがここにはあります。
しかもその原因が、未完成の治療薬という点からも、人類の冒涜生というか、
踏み込んではならない領域にまで達している、奢った人間に対する警鐘のようにも感じられます。
そして、人間もしょせん理性がなくなれば野生動物と変わらないというメッセージも感じられますね。
人間を人間たらしめているものは何か。
それは理性であったり、社会性であったりするのですが。
人間が変貌したダークシーカーの姿には、そうした人間性は見られません。
そうしたもはや人外の存在が人を脅かし、
光と闇の住み分けをなし、人と野生をはっきり区別している点でも、
反文明や脱機械化を主張しているような気がします。
クリスチャン的な要素とか、過度な環境主義の要素だとか。
まあ、深読みしすぎですよねwww
でもそんな勉強をこの前までしてました^^
そしてどんな映画もそういった分析的な視点から見れば、
いくらでもこじつけ出来るんだなって思いましたね笑
うん、こんなのこじつけだよー。
映画批評なんてこじつけだよー。
観たいように観れば良いじゃん―。
って、思う人はそう思えば良いし。
しっかり分析しながら観たい人はそう観れば良い。
絵もおんなじサー。
分析して観る必要なんて全くない。
音楽も。
小説も。
だったらなんだ芸術学なんてやってるんだ私。
そうした見方に楽しみを見出したからだよね。
hona-☆
てか予告編と違いすぎww
普通に観てもぽかーんってなるやつならシュルレアリスム的手法を取った映画が良いと思うよ。北野武とか。。でも個人的には超現実派の映画は本当に理解不能だから分析の仕様がない気はする・・・
他人の批評っていうのは要は新しい視点を与えてくれるってことだもんね。
てか分析は去年君も授業でやったんでしょ笑
批評はある程度自分の主観を押し出していかなければならないという点ではナルシシズムにならざるを得ないのかもしれませんね。
ニューヨークといえば・・・ウォール街。世界金融の中心地からの世界の崩壊ってことはリーマンショックかな、と思いましたが、時期が違いますね笑
なんか、映画の構造分析とかはいくつか本で読んだことあるけど、どうせ分析するなら刺激的な分析が出来る映画がいいよね。普通に観てもポカーンってなるやつがいいね。そんなのない?
というわけで、分析とか聞かせて!
「評論なんてでたらめだ。ホントにそんなものがあると思うやつはバカ」って批評家自身が言ってますからね。
批評の本質はそれ自体ではなくて、
語ることによるナルシシズムにありますよね。
アイアムレジェンドは舞台がニューヨークだったのが重要なのかなと個人的には思います。