こんにちは。冬将軍が猛威を振るっていますね。寒さと乾燥でツラい今日この頃です。
今回はデューラーと並び称されるドイツ・ルネサンスの巨匠ルーカス・クラーナハ、日本で初の個展となる展覧会『クラーナハ展―500年後の誘惑』です。
TBSが日本で初めてウィーン美術史美術館とパートナーシップを締結した記念展なんだとか。全3回中今回が初回、肝いりの展覧会なわけですね。
場所は国立西洋美術館。ル・コルビジェの建築物、昨年ようやく世界文化遺産に認められたことでも世間を騒がせましたね。

クラーナハは1472〜1553年に生きていた人物。2016〜2017年で500年後の誘惑ってどういうことやねんっということですが、1517年は実は宗教改革の年。ルターによる95ヶ条の論題が教会につきつけられた年でした。
では、ルターとクラーナハはどういう関係だったのでしょう。実はクラーナハはルターと個人的な親交があり、彼の作品の中で最も認知されていると言っても過言ではない絵画こそがルターの肖像画なのです。高校の世界史の教科書・資料集に必ず出てくるルター像、クラーナハの作品だったんですね。
彼の肖像画はルターという存在の敷延に大きな影響を与えます。ちょうど、ルターの思想が活版印刷技術の発展とともに広がっていったように。奇しくも、彼は木版多色刷り版画の創始者でもあったわけです。

ルーカス・クラーナハ ≪マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ≫
「クラーナハ展―500年後の誘惑」公式ツイッターアカウントより拝借
TBSの特設サイトにはクラーナハの活動を「芸術の宗教改革」という巧い表現を用いていますが、事実彼はプロテスタント的な主題の絵画の制作にも取り掛かります。思想のルターとイコンのクラーナハ、まさに「共闘関係」にあったわけですね。
西洋美術の発展は宣教活動と切っても切り離せない関係ですが、中世ドイツでも同様のことが起きていたわけです。

ルーカス・クラーナハ ≪子供たちを祝福するキリスト≫
では、画家としてのクラーナハはどのように評価されていたのでしょう。
同時代の人文主義者ショイルルは彼のことを「素早い画家」と評価し、またクラーナハもその評価に応えようと大量の絵画生産に乗り出します。
集団制作システムの導入による絵画の大量生産です。当時は銅版画が盛んであり、同時代の代表画家デューラーも多くの銅版画を残しています。ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明皇に仕え、有翼の蛇の紋章を商標代わりに使用する様は現代の経済活動に通じるものがありますね。
クラーナハの大量生産をモチーフに表現したのがイランのアーティスト レイラ・パズーキのインスタレーション作品です。彼は絵画のレプリカを大量生産する中国の絵画村に赴き、クラーナハの絵画≪正義の寓意≫を同時に描かせ、それをコラージュのように並べてインスタレーション作品を制作しました。

レイラ・パズーキ ≪ルカス・クラーナハ(父)『正義の寓意』1537年による絵画コンペティション≫
「クラーナハ展―500年後の誘惑」公式ツイッターアカウントより拝借
「あるイメージを機械的に反復/複製するものではなく、互いに類似していながらも、そのつど差異をもった絵画のヴァリエーションを生みだしていく再-生産の運動」(展示会キャプションより)を表現した作品です。個人的にはこれがもっともインパクトのある作品でした。
そして、今回の展示会で欠かせないのが女性像です。対になるようなヴィーナス像とルクレティア像は女体の妖艶さに溢れ、当時の絵画倫理とは一線を画した作品です。

ルーカス・クラーナハ ≪ヴィーナス≫

ルーカス・クラーナハ ≪ルクレティア≫
女性らしさは曲線美だと言ったのはブラジルの建築家オスカー・ニーマイヤーですが、クラーナハの描く女性の妖艶さはその丸みに留まりません。
芯が歪んでいる身体的違和感こそ、彼の女性像の魅惑です。力を加えれば崩れてしまいそうな華奢という不完全性が、彼女たちの魅力につながっているのです。
そうした感覚は現代にも通じるものではないでしょうか。自らの胸に刃を突き立てるルクレティア、口半開きで虚空を見つめる様はまさしくアヘ顔に他ならないではないですか!
不完全性の魅力は私の大・大・大好きなバルテュスの少女像にも言えることで、バルテュスは少女こそ「この上ない完璧な美の象徴」であると語っていますが、その完璧な美に生じた歪みがどうしようもなく私たち鑑賞者を魅了するのではないでしょうか。
今回はデューラーと並び称されるドイツ・ルネサンスの巨匠ルーカス・クラーナハ、日本で初の個展となる展覧会『クラーナハ展―500年後の誘惑』です。
TBSが日本で初めてウィーン美術史美術館とパートナーシップを締結した記念展なんだとか。全3回中今回が初回、肝いりの展覧会なわけですね。
場所は国立西洋美術館。ル・コルビジェの建築物、昨年ようやく世界文化遺産に認められたことでも世間を騒がせましたね。

クラーナハは1472〜1553年に生きていた人物。2016〜2017年で500年後の誘惑ってどういうことやねんっということですが、1517年は実は宗教改革の年。ルターによる95ヶ条の論題が教会につきつけられた年でした。
では、ルターとクラーナハはどういう関係だったのでしょう。実はクラーナハはルターと個人的な親交があり、彼の作品の中で最も認知されていると言っても過言ではない絵画こそがルターの肖像画なのです。高校の世界史の教科書・資料集に必ず出てくるルター像、クラーナハの作品だったんですね。
彼の肖像画はルターという存在の敷延に大きな影響を与えます。ちょうど、ルターの思想が活版印刷技術の発展とともに広がっていったように。奇しくも、彼は木版多色刷り版画の創始者でもあったわけです。

ルーカス・クラーナハ ≪マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ≫
「クラーナハ展―500年後の誘惑」公式ツイッターアカウントより拝借
TBSの特設サイトにはクラーナハの活動を「芸術の宗教改革」という巧い表現を用いていますが、事実彼はプロテスタント的な主題の絵画の制作にも取り掛かります。思想のルターとイコンのクラーナハ、まさに「共闘関係」にあったわけですね。
西洋美術の発展は宣教活動と切っても切り離せない関係ですが、中世ドイツでも同様のことが起きていたわけです。

ルーカス・クラーナハ ≪子供たちを祝福するキリスト≫
では、画家としてのクラーナハはどのように評価されていたのでしょう。
同時代の人文主義者ショイルルは彼のことを「素早い画家」と評価し、またクラーナハもその評価に応えようと大量の絵画生産に乗り出します。
集団制作システムの導入による絵画の大量生産です。当時は銅版画が盛んであり、同時代の代表画家デューラーも多くの銅版画を残しています。ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明皇に仕え、有翼の蛇の紋章を商標代わりに使用する様は現代の経済活動に通じるものがありますね。
クラーナハの大量生産をモチーフに表現したのがイランのアーティスト レイラ・パズーキのインスタレーション作品です。彼は絵画のレプリカを大量生産する中国の絵画村に赴き、クラーナハの絵画≪正義の寓意≫を同時に描かせ、それをコラージュのように並べてインスタレーション作品を制作しました。

レイラ・パズーキ ≪ルカス・クラーナハ(父)『正義の寓意』1537年による絵画コンペティション≫
「クラーナハ展―500年後の誘惑」公式ツイッターアカウントより拝借
「あるイメージを機械的に反復/複製するものではなく、互いに類似していながらも、そのつど差異をもった絵画のヴァリエーションを生みだしていく再-生産の運動」(展示会キャプションより)を表現した作品です。個人的にはこれがもっともインパクトのある作品でした。
そして、今回の展示会で欠かせないのが女性像です。対になるようなヴィーナス像とルクレティア像は女体の妖艶さに溢れ、当時の絵画倫理とは一線を画した作品です。

ルーカス・クラーナハ ≪ヴィーナス≫

ルーカス・クラーナハ ≪ルクレティア≫
女性らしさは曲線美だと言ったのはブラジルの建築家オスカー・ニーマイヤーですが、クラーナハの描く女性の妖艶さはその丸みに留まりません。
芯が歪んでいる身体的違和感こそ、彼の女性像の魅惑です。力を加えれば崩れてしまいそうな華奢という不完全性が、彼女たちの魅力につながっているのです。
そうした感覚は現代にも通じるものではないでしょうか。自らの胸に刃を突き立てるルクレティア、口半開きで虚空を見つめる様はまさしくアヘ顔に他ならないではないですか!
不完全性の魅力は私の大・大・大好きなバルテュスの少女像にも言えることで、バルテュスは少女こそ「この上ない完璧な美の象徴」であると語っていますが、その完璧な美に生じた歪みがどうしようもなく私たち鑑賞者を魅了するのではないでしょうか。
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