おはようございます!会社で急遽異動になり、てんやわんやのただけーまです。
今回は、国立新美術館と森美術館で同時開催されたASEAN設立50周年記念 サンシャワー 東南アジアの現代美術展 1980年代から現在までに行ってきましたので、その感想を……今更ですが。
「サンシャワー」は、「天気雨」を意味し、東南アジア地域では頻繁にみられる気象現象です。「晴」れてるのに「雨」が降る二律背反的な単語ですが、急速に発展し先進と伝統の入り混じる同地域を示すアイコンでもあります。丁度、文明化し始め和洋入り乱れていた大正時代に通じるものがあるかもしれません。
混む中美術館に行くのが嫌なので、有給を取って鑑賞。酷い雨でしたが、ゆったり鑑賞できたので満足。森美術館の方から鑑賞したのですが、まず出迎えてくれるのが吊るされた象のオブジェ。
アピチャッポン・ウィーラセタクン+チャイ・シリ《サンシャワー》(2017)
期待が高まります!東南アジアで象といえばタイ!こちらは《サンシャワー》と呼ばれる作品の一部で、タイを代表するアーティスト アピチャッポン・ウィーラセタクンとチャイ・シリによる共同の作品になります。
森美術館の方は前半からフォトジェニックな作品が迎えてくれます。ジャカルタウェイスティッドアーティストの《グラフィック・エクスチェンジ》という作品は、古い看板を提供する代わりに、新しい看板を設置するというプログラムです。ずらっと並べられた古い看板は圧巻!かつ、それぞれいい味が出ています。
ジャカルタウェイスティッドアーティスト《グラフィック・エクスチェンジ》(2010)
日本語のコメントも書いてあってほっこり。
そして、今回のテーマにしっくり来ている作品が、リュウ・クンユウの《『私の国への提案』シリーズ》です。
華やかにそびえ立つビル群やそれらを含む街並みですが、近くで見ると飛び出す絵本のようにツギハギのイメージが重ね合わせられているのです。経済の急速な発展とそれに追いつかない国家という、相反するものの混在が表現されているようです。
リュウ・クンユウ《「『私の国への提案』シリーズ」より「そびえ立つ街」》(2009)
リュウ・クンユウ《「『私の国への提案』シリーズ」より「そびえ立つ街」》(2009)一部
そして、唐突に差し込まれるブレーメンの音楽隊のモチーフ。それは、無理して身体を大きく見せるという「虚構」のアイコンとなっており、東南アジアの都市としての発展に諸行無常の警鐘を鳴らしているようでもあります。
リュウ・クンユウ《「『私の国への提案』シリーズ」より「コンクリートジャングル」》(2009)一部
急速な近代化は即ち、先進諸国による経済的な侵略にほかなりませんが、そうした広義の意味での侵略に危機感を促しているのがトゥアン・アンドリュー・グエンの作品たちです。
《崇拝のアイロニー》は、長寿や精力増強の効果があると信じられ、乱獲されて絶滅危惧種となったサンゼンコウという動物を祀った祭壇です。下段には同様に乱獲されて数を減らしているサイの姿も見え、侵略によって脅かされる東南アジアを表現しています。
また、その発展形で《警告》という作品では、サンゼンコウとサイと龍の会話を電光掲示板で表示し、絶滅に瀕している自らをユーモラスに語る作品で、非常に面白い表現方法でした。
トゥアン・アンドリュー・グエン《崇拝のアイロニー》(2017)
トゥアン・アンドリュー・グエン《警告》(2017)
ウォン・ホイチョンの《移民の皮膚/先住民の皮膚》も凄まじい作品でした。在来種と外来種の植物の葉を使用して、人の顔を象った作品。多民族国家であるマレーシアの状況を、強烈に印象づける作品です。
ウォン・ホイチョン《移民の皮膚/先住民の皮膚》(1998)
インドネシア(ジャワ島)のアーティストFXハルソノの作品も非常にインパクトがあります。《遺骨の墓地のモニュメント》では、赤い電子キャンドルによる無数の慰霊碑が大きなオブジェを型取った作品。戦争の被害者を弔った作品ですが、その異様さにどうしようもなく目を奪われてしまいます。
FXハルソノ《遺骨の墓地のモニュメント》(2011)
FXハルソノ《遺骨の墓地のモニュメント》(2011)一部
同じくハルソノの《声なき声》もまたインパクトのある作品です。"demokracy"とアメリカ手話の指文字で表現された作品なのですが、最後の"y"が縄で縛られて成立していません。スカルノ大統領の「指導される民主主義」に端を発する、独裁的な大統領制度下での言論の不自由さを暗示しているようです。
FXハルソノ《声なき声》(1993-1994)
FXハルソノ《声なき声》(1993-1994)一部
そして最後に、最も印象に残ったシンガポールのホー・ツーニェン《2匹または3匹のトラ》という映像作品を紹介します。
ホー・ツーニェン《2匹または3匹のトラ》(2015)
二種類の映像が向かい合った壁に写された作品で、虎と人が太陽の周りを回っている映像が延々と繰り返されます。陰陽のように対をなす人と虎は、決して交わらないように動いたかと思いきや、互いに浸食し合ったり、姿を変えたりと、さまざまな関係性を経てきたことが伝えられます。
冒頭は、まだ人と邂逅したことのないマレー虎の話から始まり、現地の人々との出会いと関係性、そして西欧列強の侵略(白人とマレー虎の初めての遭遇)にまで話が及びます。
具体的なエピソードとしては、建国当時の都市計画責任者ジョージ・ドラムグール・コールマンとの出会いですが、それは同時にマレー虎の大量虐殺の到来も意味しているのです。
そして、ヨーロッパの植民地としてのエピソードから、戦火のエピソードへと話は展開。日本軍がマレー・シンガポールへ侵攻するマレー作戦を主導し、「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文の逸話へ。マレー作戦では、多くのシンガポール華僑が処刑されており、この土地を語る上で避けられない事件です。
この作品は、マレー虎の話というよりも、シンガポールの歴史そのものを「虎」という存在を通じて学んでいるかのような不思議な感覚でした。
"We are tigers"という呟きが延々と繰り返され、力で捩じ伏せる人類の業の深さを、野蛮・文明の垣根を超えて表現しているかのようです。
因みにプレビューは以下のサイトで観られるようなので、ご参考までに。
Haus der Kulturen der Welt 2 or 3 Tigers | Trailer
しかし、流石森美術館と国立新美術館で同時開催されていただけあって、かなりボリューミーな展示でした。最後まで鑑賞し切れなかったのが悔やまれます……
次のレアンドロ・エルリッヒ展も観に行くぞー!おーっ!
今回は、国立新美術館と森美術館で同時開催されたASEAN設立50周年記念 サンシャワー 東南アジアの現代美術展 1980年代から現在までに行ってきましたので、その感想を……今更ですが。
「サンシャワー」は、「天気雨」を意味し、東南アジア地域では頻繁にみられる気象現象です。「晴」れてるのに「雨」が降る二律背反的な単語ですが、急速に発展し先進と伝統の入り混じる同地域を示すアイコンでもあります。丁度、文明化し始め和洋入り乱れていた大正時代に通じるものがあるかもしれません。
混む中美術館に行くのが嫌なので、有給を取って鑑賞。酷い雨でしたが、ゆったり鑑賞できたので満足。森美術館の方から鑑賞したのですが、まず出迎えてくれるのが吊るされた象のオブジェ。
アピチャッポン・ウィーラセタクン+チャイ・シリ《サンシャワー》(2017)
期待が高まります!東南アジアで象といえばタイ!こちらは《サンシャワー》と呼ばれる作品の一部で、タイを代表するアーティスト アピチャッポン・ウィーラセタクンとチャイ・シリによる共同の作品になります。
森美術館の方は前半からフォトジェニックな作品が迎えてくれます。ジャカルタウェイスティッドアーティストの《グラフィック・エクスチェンジ》という作品は、古い看板を提供する代わりに、新しい看板を設置するというプログラムです。ずらっと並べられた古い看板は圧巻!かつ、それぞれいい味が出ています。
ジャカルタウェイスティッドアーティスト《グラフィック・エクスチェンジ》(2010)
日本語のコメントも書いてあってほっこり。
そして、今回のテーマにしっくり来ている作品が、リュウ・クンユウの《『私の国への提案』シリーズ》です。
華やかにそびえ立つビル群やそれらを含む街並みですが、近くで見ると飛び出す絵本のようにツギハギのイメージが重ね合わせられているのです。経済の急速な発展とそれに追いつかない国家という、相反するものの混在が表現されているようです。
リュウ・クンユウ《「『私の国への提案』シリーズ」より「そびえ立つ街」》(2009)
リュウ・クンユウ《「『私の国への提案』シリーズ」より「そびえ立つ街」》(2009)一部
そして、唐突に差し込まれるブレーメンの音楽隊のモチーフ。それは、無理して身体を大きく見せるという「虚構」のアイコンとなっており、東南アジアの都市としての発展に諸行無常の警鐘を鳴らしているようでもあります。
リュウ・クンユウ《「『私の国への提案』シリーズ」より「コンクリートジャングル」》(2009)一部
急速な近代化は即ち、先進諸国による経済的な侵略にほかなりませんが、そうした広義の意味での侵略に危機感を促しているのがトゥアン・アンドリュー・グエンの作品たちです。
《崇拝のアイロニー》は、長寿や精力増強の効果があると信じられ、乱獲されて絶滅危惧種となったサンゼンコウという動物を祀った祭壇です。下段には同様に乱獲されて数を減らしているサイの姿も見え、侵略によって脅かされる東南アジアを表現しています。
また、その発展形で《警告》という作品では、サンゼンコウとサイと龍の会話を電光掲示板で表示し、絶滅に瀕している自らをユーモラスに語る作品で、非常に面白い表現方法でした。
トゥアン・アンドリュー・グエン《崇拝のアイロニー》(2017)
トゥアン・アンドリュー・グエン《警告》(2017)
ウォン・ホイチョンの《移民の皮膚/先住民の皮膚》も凄まじい作品でした。在来種と外来種の植物の葉を使用して、人の顔を象った作品。多民族国家であるマレーシアの状況を、強烈に印象づける作品です。
ウォン・ホイチョン《移民の皮膚/先住民の皮膚》(1998)
インドネシア(ジャワ島)のアーティストFXハルソノの作品も非常にインパクトがあります。《遺骨の墓地のモニュメント》では、赤い電子キャンドルによる無数の慰霊碑が大きなオブジェを型取った作品。戦争の被害者を弔った作品ですが、その異様さにどうしようもなく目を奪われてしまいます。
FXハルソノ《遺骨の墓地のモニュメント》(2011)
FXハルソノ《遺骨の墓地のモニュメント》(2011)一部
同じくハルソノの《声なき声》もまたインパクトのある作品です。"demokracy"とアメリカ手話の指文字で表現された作品なのですが、最後の"y"が縄で縛られて成立していません。スカルノ大統領の「指導される民主主義」に端を発する、独裁的な大統領制度下での言論の不自由さを暗示しているようです。
FXハルソノ《声なき声》(1993-1994)
FXハルソノ《声なき声》(1993-1994)一部
そして最後に、最も印象に残ったシンガポールのホー・ツーニェン《2匹または3匹のトラ》という映像作品を紹介します。
ホー・ツーニェン《2匹または3匹のトラ》(2015)
二種類の映像が向かい合った壁に写された作品で、虎と人が太陽の周りを回っている映像が延々と繰り返されます。陰陽のように対をなす人と虎は、決して交わらないように動いたかと思いきや、互いに浸食し合ったり、姿を変えたりと、さまざまな関係性を経てきたことが伝えられます。
冒頭は、まだ人と邂逅したことのないマレー虎の話から始まり、現地の人々との出会いと関係性、そして西欧列強の侵略(白人とマレー虎の初めての遭遇)にまで話が及びます。
具体的なエピソードとしては、建国当時の都市計画責任者ジョージ・ドラムグール・コールマンとの出会いですが、それは同時にマレー虎の大量虐殺の到来も意味しているのです。
そして、ヨーロッパの植民地としてのエピソードから、戦火のエピソードへと話は展開。日本軍がマレー・シンガポールへ侵攻するマレー作戦を主導し、「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文の逸話へ。マレー作戦では、多くのシンガポール華僑が処刑されており、この土地を語る上で避けられない事件です。
この作品は、マレー虎の話というよりも、シンガポールの歴史そのものを「虎」という存在を通じて学んでいるかのような不思議な感覚でした。
"We are tigers"という呟きが延々と繰り返され、力で捩じ伏せる人類の業の深さを、野蛮・文明の垣根を超えて表現しているかのようです。
因みにプレビューは以下のサイトで観られるようなので、ご参考までに。
Haus der Kulturen der Welt 2 or 3 Tigers | Trailer
しかし、流石森美術館と国立新美術館で同時開催されていただけあって、かなりボリューミーな展示でした。最後まで鑑賞し切れなかったのが悔やまれます……
次のレアンドロ・エルリッヒ展も観に行くぞー!おーっ!
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