おひさしぶりです。三連休前半は京都に旅行に行ってきましたが人が多すぎてげっそりしてしまったただけーまです。はい、人ごみ苦手です。学生時代に平日に行った京都が如何に居心地が良かったかが思い出されます。やっぱり観光名所は平日に行くに限りますねぇ。
久しぶりに小説の更新です、と言っても大分前のことですが……第150回芥川賞受賞作の『穴』を読みました。受賞作は「穴」という作品ですが、「いたちなく」と「雪の宿」という短編も同時収録しています。
受賞時に文芸春秋を立ち読みした際、文体が好みだったので元々気になってはいたのですが、いざ作品が出版されるや否や魅力的な表紙に購入を即決してました。タイトル通り「穴」をモチーフにした表紙ですが、全面こげ茶(+多少のマチエール)に白文字のタイトル・作者名と円柱のような象形図、非常にシンプルでいて小説のタイトルにぴったりの表紙。
表題作でもある「穴」よりも個人的には「いたちなく」の方が好みでしたね。「穴」は専業主婦である主人公あさひが引っ越し先での平凡な日常の中でちょっと奇妙な非日常と遭遇するような話(ざっくり)です。見たことのない奇妙な獣、呆けた義祖父、スマホばかりいじっている夫、ミステリアスな近隣住人の世羅さん、義理の兄を名乗る謎の男、一見しっかりしたように見える姑……登場人物は皆個性的であり、寧ろ主人公のあさひだけが特別な特徴の無いまっさらな存在のように感じられます。
そして、引っ越した先での土地ではまっさらな状態のあさひが、その土地特有の奇妙な出来事を通じて夫の家族にゆっくりと取り込まれていく(溶け込んでいく、ではない)様子が淡々としたリアリティのある文章で表現されています。
その「取り込まれていく」様は若干の恐ろしささえ感じますが、それでいて奇妙な程穏やかなので、まるであさひがその土地・一族に真綿で絞め殺されていくような感覚があります。それまでのあさひが絞め殺され、気づけば夫の一族としてのあさひになっていきます。その証拠に、最後はその土地でのパートを決め(=土地への取り込み)パート先の制服を着た自分の姿に姑の姿を重ねる(=一族への取り込み)シーンで終わります。
引越し先での一族(夫の家族)に取り込まれることを恐れて逃げたのが、夫の兄を自称する謎の男。彼は家族と折り合いがつかなかった、子孫を残すことしか考えない一族にいたたまれなくなって逃げた、とそう供述し一族から離脱するわけですが、それとは対照的に外側から取り込まれる立場なのが主人公であるあさひになります。そして一族を象徴するのが嘗て一族を支えてきた義祖父。呆けたままの義祖父は一族に取り込まれるという悪いイメージを象徴しているような存在のようでもあります。
クライマックスでは深夜の川辺でその土地特有の奇妙な動物の掘った穴に入りながら、あさひと義兄、義祖父が空を仰ぎながら同じ空間を共有するのですが、一族に取り込まれる存在(=あさひ)と一族から離脱した存在(=義兄)、一族を象徴する存在(=義祖父)が同じ空間で奇妙な(非日常的な)時間を過ごすという構成は実に巧みです。
また、そのシーンではあさひと義祖父のみが動物の掘った穴に入っており、姑の居る実家へ戻るのに対し、義兄は穴に入らずずっと星を仰ぎ続けるということからも、あさひと義兄の対称性が表現されています。
そういう意味では「穴」とは「一族」を暗示していると言えるでしょう。「穴」という虚ろで不安なものは確かに他人の一族に身を置くという行為の孕む不安性に重なるのかもしれません。
そしてその川辺での一件後、義祖父の死(一族の象徴の消滅)を皮切りに、あさひ自身がその一族の欠員(=穴)を埋めるようにして、その土地での職を決め、自身の姿に姑を認めて作品を幕を閉じます。
土着文化に潜在する恐怖が綿密な文章によって描写されている小説です。
この小説を読んでアニッシュ・カプーアの虚ろな穴をイメージした作品を想起してしまいました。抗うこともできず吸い込まれてしまう感覚に陥るこの作品が「世界の起源」と名付けられているのも何か奇妙なつながりを感じますね。
アニッシュ・カプーア《L’Origine du monde(=世界の起源)》(2004年)
小山田浩子『穴』(2014年)
久しぶりに小説の更新です、と言っても大分前のことですが……第150回芥川賞受賞作の『穴』を読みました。受賞作は「穴」という作品ですが、「いたちなく」と「雪の宿」という短編も同時収録しています。
受賞時に文芸春秋を立ち読みした際、文体が好みだったので元々気になってはいたのですが、いざ作品が出版されるや否や魅力的な表紙に購入を即決してました。タイトル通り「穴」をモチーフにした表紙ですが、全面こげ茶(+多少のマチエール)に白文字のタイトル・作者名と円柱のような象形図、非常にシンプルでいて小説のタイトルにぴったりの表紙。
表題作でもある「穴」よりも個人的には「いたちなく」の方が好みでしたね。「穴」は専業主婦である主人公あさひが引っ越し先での平凡な日常の中でちょっと奇妙な非日常と遭遇するような話(ざっくり)です。見たことのない奇妙な獣、呆けた義祖父、スマホばかりいじっている夫、ミステリアスな近隣住人の世羅さん、義理の兄を名乗る謎の男、一見しっかりしたように見える姑……登場人物は皆個性的であり、寧ろ主人公のあさひだけが特別な特徴の無いまっさらな存在のように感じられます。
そして、引っ越した先での土地ではまっさらな状態のあさひが、その土地特有の奇妙な出来事を通じて夫の家族にゆっくりと取り込まれていく(溶け込んでいく、ではない)様子が淡々としたリアリティのある文章で表現されています。
その「取り込まれていく」様は若干の恐ろしささえ感じますが、それでいて奇妙な程穏やかなので、まるであさひがその土地・一族に真綿で絞め殺されていくような感覚があります。それまでのあさひが絞め殺され、気づけば夫の一族としてのあさひになっていきます。その証拠に、最後はその土地でのパートを決め(=土地への取り込み)パート先の制服を着た自分の姿に姑の姿を重ねる(=一族への取り込み)シーンで終わります。
引越し先での一族(夫の家族)に取り込まれることを恐れて逃げたのが、夫の兄を自称する謎の男。彼は家族と折り合いがつかなかった、子孫を残すことしか考えない一族にいたたまれなくなって逃げた、とそう供述し一族から離脱するわけですが、それとは対照的に外側から取り込まれる立場なのが主人公であるあさひになります。そして一族を象徴するのが嘗て一族を支えてきた義祖父。呆けたままの義祖父は一族に取り込まれるという悪いイメージを象徴しているような存在のようでもあります。
クライマックスでは深夜の川辺でその土地特有の奇妙な動物の掘った穴に入りながら、あさひと義兄、義祖父が空を仰ぎながら同じ空間を共有するのですが、一族に取り込まれる存在(=あさひ)と一族から離脱した存在(=義兄)、一族を象徴する存在(=義祖父)が同じ空間で奇妙な(非日常的な)時間を過ごすという構成は実に巧みです。
また、そのシーンではあさひと義祖父のみが動物の掘った穴に入っており、姑の居る実家へ戻るのに対し、義兄は穴に入らずずっと星を仰ぎ続けるということからも、あさひと義兄の対称性が表現されています。
そういう意味では「穴」とは「一族」を暗示していると言えるでしょう。「穴」という虚ろで不安なものは確かに他人の一族に身を置くという行為の孕む不安性に重なるのかもしれません。
そしてその川辺での一件後、義祖父の死(一族の象徴の消滅)を皮切りに、あさひ自身がその一族の欠員(=穴)を埋めるようにして、その土地での職を決め、自身の姿に姑を認めて作品を幕を閉じます。
土着文化に潜在する恐怖が綿密な文章によって描写されている小説です。
この小説を読んでアニッシュ・カプーアの虚ろな穴をイメージした作品を想起してしまいました。抗うこともできず吸い込まれてしまう感覚に陥るこの作品が「世界の起源」と名付けられているのも何か奇妙なつながりを感じますね。
アニッシュ・カプーア《L’Origine du monde(=世界の起源)》(2004年)
小山田浩子『穴』(2014年)
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