K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

『マジック・イン・ムーンライト』

2015年09月21日 | 映画
こんばんは。昨日は大学のクラスの友達と飲み会で更新できませんでした…司法試験に合格した同期のお祝いで結局オールしてしまいました(スマブラ、マリカー、ポケスタ、大富豪13連戦…こんなオールは久しぶり!笑)

とまあ、そんなこんなで寝坊しつつ、今日はギンレイホールでウディ・アレンの『マジック・イン・ムーンライト』とアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を鑑賞して参りました。うーん、いつもお世話になっております、ギンレイホール様。鑑賞後の神楽坂散策もこなれてきました。

ということで、先にウディ・アレンの方の感想を書きます。

本作も皮肉たっぷりのコメディ。科学を信じる魔術師とスピリチュアルな占い師のラブコメが、コートダジュールを舞台にユーモアたっぷりに繰り広げられます。コリン・ファース扮する理論主義の魔術師スタンリーはニーチェの言葉を引用しながら、エマ・ストーン演じる占い師ソフィー、ひいてはスピリチュアルなもの全般を否定するのですが、次第に説明のつかない彼女の予言に自身の人生観が覆されていきます。



お互い全く異なる人生観を持っている二人は次第に(最初は友人として)惹かれていくことになるのですが、理論派のスタンリーはソフィーの好意に気づかず、君の出自を考えれば今のフィアンセが結婚できる最良の相手だと退けてしまいます。しかし、スタンリーが自身の本当の気持ちに気付いたとき、既にソフィーはプロポーズを受けており…という話です。



当初理論派だったスタンリーと情緒的だったソフィーが、お互いに影響を及ぼし合って愛情のボタンを掛け違えてしまう皮肉さが実に監督らしい表現ですね。スタンリーはスピリチュアルなものの存在を教えられ、理論を超越した愛情をソフィーに感じるようになるも、当のソフィーはスタンリーの論理性に中てられて、裕福な今のフィアンセとの結婚が理論的な幸福であると考えるようになってしまいます。理論を捨て去ってソフィーの愛情を求めるスタンリーの姿はなんだかみっともない感じでしたが、でもこの外聞をかなぐり捨てて惨めに愛情を求める姿にはすごい共感できました。
目に見えない運命ではなく富を取るリアリスト的なソフィーの態度に、元リアリストのスタンリーがロマンスを訴えるようになる、そしてそのシーンでソフィーがニーチェを読んでいるのもなんかより皮肉めいていますね。

本作のスタンリーもそうですが、『ミッドナイト・イン・パリ』のギル・ペンダー(オーウェン・ウィルソン)や『ブルー・ジャスミン』のジャスミン(ケイト・ブランシェット)にも通じるものがあります。ウディ・アレンはこうした知識人階級や富裕層を滑稽に描写(高潔やロマンスを嘲るような感じというか)するのが天才的までに巧みですね~。そしてところどころ自分にも当てはまってて辛くなるという…笑

しかし、脚本の巧みさもさることながら、本作でのエマ・ストーン女史の可愛さは眼を見張るものがあります。因みにバードマンにも出ておりました。



被り物がまた奥ゆかしさを代弁しているようで、高潔さを求める男性はこういう女性に弱いんでしょうなあ。あれ、ブーメラン…

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