K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

『イマジン』

2015年11月04日 | 映画
アンジェイ・ヤキモフスキー監督の『イマジン』という作品をギンレイ様で鑑賞したのでその感想を書きます。ポーランド出身の監督(ポーランドで「アンジェイ」と聞くとアンジェイ・ワイダが思い出されます)で、ポーランドと言えば『イーダ』や『ソハの地下水道』など個人的に好みの映画が多いのですが、本作もかなりの傑作です。



<Story>
リスボンにある、視覚障害者のための診療所。ここでは古い修道院に無償で場所を借り、世界各国から集まった患者たちに治療やトレーニングをおこなっている。そこにひとりの男がやって来る。彼の名はイアン、診療所にいる盲目の子どもたちを相手に“反響定位” の方法を教えるインストラクターだ。これを身に付ければ目が不自由でも視覚障害者用の白杖を使わずに外へ出て、自分を取り巻く環境を探求することも可能なのだ。白杖なしで自由に歩けるイアンの目的は、自身の技術や信念を伝授すること。生徒たちを危険にさらさないことを条件に、イアンは診療所で働き始める。(オフィシャルサイトより)


この映画ほど「音」を意識する映画はないでしょう。盲学校を舞台にした作品で、観客は視覚障害者の感じる「見えないことに対する恐怖」を強制的に体感させられるのです。
とにかく、徹底的に「見せない」。交通の往来や雑踏など、本来視覚的に認識している対象を映さずに、音だけで表現します。何も映って無いように見えて、車やバイクの音が響く道路を渡るシーンなど見ていて本当にハラハラします。この感覚はかなり新鮮ですね。目の前の対象を見せないために真上から撮影するなど、その手法は徹底しておりました。

まず、冒頭はものすご~くピンボケした映像から始まります。観客はいきなり正常な視覚を奪われ、「何だこれ?」と疑問に思っていると、知らぬ間にハッハッという犬の吐息に耳が傾けられているのに気づきます。つまり、このシーンで観客の視覚を強制的に遮断することで、聴覚を覚醒させているのです。音量のある程度の調整はしているのでしょうが、そのシーンから観客は「音」を意識せざるを得なくなる、何と巧みな演出でしょう!とのっけから驚かされます。

舌や指を鳴らし、高度な反響定位(自分の発した音の反射具合で自分の周囲の状態を把握する)技術で白杖を持たずにスイスイ歩くイアン。気づけば子供たちとも打ち解け、引きこもっていたエヴァを街へ連れ出すようにもなります。盲目な生徒たちにとって、盲目でありながら外の世界を知るイアンは希望の象徴であるかのように映ります。



「(反響定位のための音を発する)最適な靴さえあれば誰でも杖なしで歩けるようになる」と主張し、子供たちのトレーニングを続けるイアンでしたが、杖を使わないトレーニング法が危険だと判断され、最終的に診療所の医者から講師をやめるように諭されます。このシーンも医者の言うことが至極真っ当で、希望を象徴するイアンと立場の対比がなされているようです。

そして、最も感動的なのは最後のシーン。イアンはエヴァと出かけた際に、聴覚情報から街の近くに海があり、大きな船舶が停留していると告げます。しかし、地元の人々に聞いても「海は近くにはない」と答えられ、イアンから教えられた外の世界観が揺らぎ始める、つまりイアンという希望の象徴が崩れ始めます。(その前後でイアンの反響定位が失敗する描写などもあり)杖なしで歩くのは難しいのではないか、という暗澹とした閉塞感が再び盲学校全体に広がるわけです。
結局最後まで映像としてその姿を見せない「船」、それは本当にイアンの虚言だったのでしょうか。最後のシーン、盲学校を去るイアンを追いかけ、エヴァはひとりで杖を持たずに外に出ます。イアンから教わった「音から映像をイマジンする手法」で、危なげなところはありつつも歩む姿は、それだけでも「杖なしで歩く」という希望が形になったようで感動的です。最終的に辿り着いたのは嘗てイアンと訪れたバー、そこでエヴァが目にしたものとは…

「イマジン」というタイトルの秀逸さに心震えます。エンドクレジットもかなりオシャレでした。

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