スタニスワフ・レムのSFは現代社会でも一切色褪せない先進的な発想があります。事実、昨年日本公開となった『コングレス未来学会議』でも、電脳世界と現実の混淆という悲劇で観客を魅了しました。
そんな彼の代表作とも言える『惑星ソラリス』を鑑賞。大学のロシア映画の講義で一度観ていましたから二度目の鑑賞になります。タルコフスキーの映画の中では、最もポピュラーな作品ではないでしょうか。
<Story>
近未来、未知の惑星ソラリスの軌道上に浮かぶ宇宙ステーションで異常事態が発生。その調査のために科学者クリスは地球を出発する。到着したステーション内は荒れ果て、先発の3人の科学者は皆、狂気の淵に立たされていた。そして、クリス自身も数年前に自殺したはずの妻ハリーの姿を目撃し、言い知れぬ衝撃を受ける。だがそれは、人間の意識を反映して具現化させるソラリス表面のプラズマ状の海の仕業だった……。
もし自然に意志があったらどうなるのでしょう、本作は理性を持った異星ソラリスの海と人類の交信を幻想的かつミステリアスに描いた作品です。
ソラリスの海は知能を持つ生命体ですが、異星からやってきた人類とは無縁の存在です。こうした星外生命体との接触が本作のSFの核となってくるわけです。
異星人故に接し方がわからず、ソラリスの海はその超常的な能力によって、人の脳内に存在する人物に扮して接触してきます。脳内でイメージされる(忘れられない)人物なんて大体その人のトラウマやナイーブな存在部分なので、海に接してきた研究員たちもノイローゼ気味になってしまうんですね。
主人公のクリスに対しては10年前に死別した妻のハリーとして接触してきます。嘗ての想い人が現実に現れたとき、果たして私たちは正気を保っていられる(精巧すぎる偽物を愛さずにいられるか)でしょうか。初めは拒絶するクリスも、独自の感情(人類に劣らぬ感情)を有する偽ハリーに徐々に心を許すようになっていきます。
夫婦としての生活をステーションで開始するクリスとハリー。本物のハリーではないと自覚しつつも育まれる二人の愛、無重力空間で抱き合うシーンはSF映画史に残る名シーンでしょう。人間と人間を模した超生命体とのラブロマンス、ある種の異類婚姻譚と形容ができるかもしれません。
しかし、そうは問屋が卸しません。二人で生活していく内に、ソラリスの海は人類の「海」という概念を理解してしまいます。海と人間は恋愛関係に至らないという概念を学んだソラリスは、人間に扮して接触してこなくなります。つまり、人類との(人類にとって)あるべき接触の仕方を覚えたわけですね。ソラリスは人類に対しては惑星として生きることを決め、ハリーは本来の在り方(惑星)に戻るために自害してしまいます。
そしてソラリスは人類に対する本来の接し方として、幾つもの島を形成し始めます。そう、まるで地球にでも扮するかのように…
クリスが島を形成し始めたソラリスに降り立ってみると、ソラリスが自身の故郷(水辺の自宅と父親)を模していることに気づきます。ラストシーン、クリスがソラリスに縋る格好で終わるのですが、これもまた実にラブロマンスな描写です。
形は変われどクリスがソラリスを求めるという構図は変わらず、これを人類と惑星との恋愛譚だと考えるのは多少無理なロマンチックでしょうかね。
そんな彼の代表作とも言える『惑星ソラリス』を鑑賞。大学のロシア映画の講義で一度観ていましたから二度目の鑑賞になります。タルコフスキーの映画の中では、最もポピュラーな作品ではないでしょうか。
<Story>
近未来、未知の惑星ソラリスの軌道上に浮かぶ宇宙ステーションで異常事態が発生。その調査のために科学者クリスは地球を出発する。到着したステーション内は荒れ果て、先発の3人の科学者は皆、狂気の淵に立たされていた。そして、クリス自身も数年前に自殺したはずの妻ハリーの姿を目撃し、言い知れぬ衝撃を受ける。だがそれは、人間の意識を反映して具現化させるソラリス表面のプラズマ状の海の仕業だった……。
もし自然に意志があったらどうなるのでしょう、本作は理性を持った異星ソラリスの海と人類の交信を幻想的かつミステリアスに描いた作品です。
ソラリスの海は知能を持つ生命体ですが、異星からやってきた人類とは無縁の存在です。こうした星外生命体との接触が本作のSFの核となってくるわけです。
異星人故に接し方がわからず、ソラリスの海はその超常的な能力によって、人の脳内に存在する人物に扮して接触してきます。脳内でイメージされる(忘れられない)人物なんて大体その人のトラウマやナイーブな存在部分なので、海に接してきた研究員たちもノイローゼ気味になってしまうんですね。
主人公のクリスに対しては10年前に死別した妻のハリーとして接触してきます。嘗ての想い人が現実に現れたとき、果たして私たちは正気を保っていられる(精巧すぎる偽物を愛さずにいられるか)でしょうか。初めは拒絶するクリスも、独自の感情(人類に劣らぬ感情)を有する偽ハリーに徐々に心を許すようになっていきます。
夫婦としての生活をステーションで開始するクリスとハリー。本物のハリーではないと自覚しつつも育まれる二人の愛、無重力空間で抱き合うシーンはSF映画史に残る名シーンでしょう。人間と人間を模した超生命体とのラブロマンス、ある種の異類婚姻譚と形容ができるかもしれません。
しかし、そうは問屋が卸しません。二人で生活していく内に、ソラリスの海は人類の「海」という概念を理解してしまいます。海と人間は恋愛関係に至らないという概念を学んだソラリスは、人間に扮して接触してこなくなります。つまり、人類との(人類にとって)あるべき接触の仕方を覚えたわけですね。ソラリスは人類に対しては惑星として生きることを決め、ハリーは本来の在り方(惑星)に戻るために自害してしまいます。
そしてソラリスは人類に対する本来の接し方として、幾つもの島を形成し始めます。そう、まるで地球にでも扮するかのように…
クリスが島を形成し始めたソラリスに降り立ってみると、ソラリスが自身の故郷(水辺の自宅と父親)を模していることに気づきます。ラストシーン、クリスがソラリスに縋る格好で終わるのですが、これもまた実にラブロマンスな描写です。
形は変われどクリスがソラリスを求めるという構図は変わらず、これを人類と惑星との恋愛譚だと考えるのは多少無理なロマンチックでしょうかね。
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