K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

『ライチ☆光クラブ』

2016年04月24日 | 映画
睡眠不足が高じて目の隈が半端ないただけーまです。とにもかくにも眠いです。

(もう2ヶ月も前の話ですが……)内藤瑛亮監督の『ライチ☆光クラブ』を鑑賞しました。原作は『幻覚ピカソ』や『帝一の國』でおなじみの古谷兎丸先生!美少年のディストピアというなんか特定の層を狙ったような設定ですが、そういえばぼくの腐女子姉は古谷先生が好きですね……



<Story>
煙と油にまみれた蛍光町の廃工場。そこには大人になることを拒絶する9人の少年が結成した秘密基地、光クラブがあった。醜い大人に抵抗すべく集まった彼らの世界は、最強の力と永遠の美を手にしたことをきっかけに狂いが生じ……。


『帝都物語』を思わせる衣装と『CASSHERN』のような荒廃した世界観。テーマも美の帝国を築くというもので、要素要素では個人的にはとても好きでした。
BLのシーンがあまり綺麗じゃなかったのと、中条あやみの歌があまり上手じゃなかったのが気になりましたね。

無い物ねだりのディストピア
ディストピアの中で求める少年たちだけの美のユートピア。美を求める少年たちが成人し美しさから引き剥がされてしまう世界で、永遠の美というユートピアを追い求めること自体が、正に雲を掴むようなディストピアにほかなりません。
「成長は罪ではない」と自身を納得させる光クラブの面々が、少女の持つ絶対的な美を否応なく崇めてしまうのもまたなんと皮肉なことでしょうか。また、美「少女」を求めるあたり、大人という存在に対する強い嫌悪感と成長によって美が失われてしまうことの自意識が伺えます。

美の所在
物語は基本的に荒廃した工場町で進んでいくのですが、穢れのない永遠の美のアイコンとして登場するのが中条あやめの演じるカノンです。光クラブの支配者ゼラはカノンを性的な対象とすることを禁じ、一切触れてはならぬと勧告します。


永遠の美であるカノン

永遠の美であるカノンとそれに触れてはならない光クラブ。その構造はまるで光クラブが美からかけ離れている存在であることを物語っているようです。こうした少年らしい自己矛盾による「破綻」が、この物語の退廃性をより際立たせているようにも思うのです。

美は必ずしも美少女のみに宿るわけではありません。少年の美は成人とともに失われるからこそ、その輝きを放つわけです。成人しても美を求める光クラブの支配者ゼラと成人を肯定するリーダーのタミヤは、その少年美の本質の理解の違いから生じた差なのかもしれません。

最終的に少女の美を獲得し得たのが、ノイズ混じりに美を追求した少年たちではなく、良い意味で短絡的(純朴)な愛情を示したロボットのライチだったことも、美に固執した少年たちの世界がディストピアであったことを私たちに教えてくれるようです。
光クラブの求める最強の力として開発されたロボットライチ。ライチは楊貴妃の好んだ永遠の美を象徴する果実でもあり、カノンを手に入れた無垢なライチの存在こそが、正しく少年たちの理想の姿だったのかもしれません。


最強の力であるライチと永遠の美であるカレンが踊るシーン

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2 Comments

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Re:Unknown (tadakeima)
2018-06-28 23:52:34
読んでいただきありがとうございます。
誤記失礼いたしました。修正し再投稿しました。
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Unknown (Unknown)
2018-06-28 14:06:24
中条あやめではなく、あやみさんです...
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