九州で桜の開花したそうですね。去年新宿御苑の桜で単独花見を敢行したことが思い出されます。
中村義洋監督の『白ゆき姫殺人事件』を観ました。湊かなえ原作なので観たいなーとは思っていたのですが、リバイバルも無さそうだし、だからと言って借りるほどの熱はない…そこでAmazon Prime!なかなか良い作品が揃ってます。
湊かなえさん原作であれば、個人的には中島哲也監督の『告白』の方が好みでした。元々中島監督のファンというのもありますが、節々に効いた中島節が「『告白』が原作の映画」から「『告白』という映画」に昇華しているように感じられましたね。
<Story>
誰もが認める美人OLが殺害された。この不可解な殺人事件を巡って、一人の女に疑惑の目が集まる。同期入社の地味な女性【城野美姫】。テレビのワイドショー取材によって、美姫の同僚・同期・家族・故郷の人々がさまざまな【噂】を語り始める。加熱するテレビ報道、炎上するネット、噂が噂を呼ぶ口コミの恐怖。果たして彼女は残忍な魔女なのか…それとも!?(Filmarksより)
自称フリーライターの男(綾野剛)が、白ゆき姫殺人事件と呼ばれる事件の真相を追う話。無実の人(井上真央)が犯人となるように選択された取材を敢行し、SNSに拡散、テレビ局にタレコミをするも、結局犯人は別の女性(蓮佛美沙子)だったという結末です。
SNS社会のリスク
ネット社会ならぬSNS社会での大衆の危うさが様々な登場人物の視点によってリアルに描かれています。選択された情報発信によって複数の仮想現実が成り立ってしまう危うさは、広範囲への口コミ拡散が可能な現代社会ならではのテーマでしょう。
Twitterの炎上なんか最たるものですが、SNS社会は特定され得る個人が特定されない大衆によって一方的に非難されるという性質があります。そうした大衆の無責任な似非正義感と、それによって生まれる非公式な冤罪を批判的に捉えた作品です。
最後綾野剛演じる赤星雄治がSNSでも現実でも見放されてボロボロになりながら放浪するのですが、小物感がうまく演じられていてよかった。炎上を起こした人の末路はどう転んでもみっともないものですね。どうでもいいですが、小物感のある綾野剛って芸人のフジモンに似てませんか?なんて言うとこれで炎上しちゃいそうですが…
アナログという強さ
また、友情関係という点でこの物語には対照的な人物がふたり登場します。1人目は谷村美月演じる大学の頃の友人。嫌疑をかけられた井上真央をネット上で庇うような一見良い人な存在なのですが、蓋を開けてみると「容疑者の友人を庇う私」という自己陶酔(似非正義感)にしか過ぎなかった。情けは人の為ならず、ではないですが、井上真央は自分を引き立てるための素材だとしか考えていないことが描写されます。
その一方で、貫地谷しほり演じる小学校の頃からの親友は、世間の流言に振り回されることなく、一心に井上真央のことを信じます。蝋燭の灯りというアナログな方法で互いの絆を確かめ合うのも対照的です。
蝋燭で谷村夕子に合図を送る城野美姫
よくよく考えれば、親しければ親しいほど、連絡って意外と取らないものですよね。それは会っても直ぐに昔の自分に戻れるくらい、相手のことを信頼しているということの裏返しなのでしょう。そういった精神性は蘇軾が詠んだ「同じ月を見ている」という内容の漢詩に通じるところがあります。
タイトルの「白ゆき姫」(綺麗なお姫様)に対して、物語は「赤毛のアン」(垢抜けない女の子)をベースにして展開していくのも個人的には好きでした。美しい白雪姫を取り巻くのは野次馬根性に溢れたガヤに過ぎないのであって、自分のことをギルバート(赤毛のアンの恋人)だと自称する貫地谷しほりと井上真央のエス感にこそ絆の深さがあるわけです。
みんなが注目する煌びやかな白雪姫ではなく、みんなが目を向けない地味なふたりに愛情の真実がある構成は、アナログ賛美のようにも、現実非難のようにも映ります。
白雪姫としての三木典子、赤毛のアンとしての城野美姫
しかし、井上真央は随分と役の幅が広がりましたね。幸薄系女優は麻生久美子が断トツで好きでしたが、今回の井上真央もかなり雰囲気が出ていて良かったです。なんて言うとこれもまた炎上の危機でしょうか。
ぼくもSNSの使い方は下手なので気をつけたいと思います、ハイ。
中村義洋監督の『白ゆき姫殺人事件』を観ました。湊かなえ原作なので観たいなーとは思っていたのですが、リバイバルも無さそうだし、だからと言って借りるほどの熱はない…そこでAmazon Prime!なかなか良い作品が揃ってます。
湊かなえさん原作であれば、個人的には中島哲也監督の『告白』の方が好みでした。元々中島監督のファンというのもありますが、節々に効いた中島節が「『告白』が原作の映画」から「『告白』という映画」に昇華しているように感じられましたね。
<Story>
誰もが認める美人OLが殺害された。この不可解な殺人事件を巡って、一人の女に疑惑の目が集まる。同期入社の地味な女性【城野美姫】。テレビのワイドショー取材によって、美姫の同僚・同期・家族・故郷の人々がさまざまな【噂】を語り始める。加熱するテレビ報道、炎上するネット、噂が噂を呼ぶ口コミの恐怖。果たして彼女は残忍な魔女なのか…それとも!?(Filmarksより)
自称フリーライターの男(綾野剛)が、白ゆき姫殺人事件と呼ばれる事件の真相を追う話。無実の人(井上真央)が犯人となるように選択された取材を敢行し、SNSに拡散、テレビ局にタレコミをするも、結局犯人は別の女性(蓮佛美沙子)だったという結末です。
SNS社会のリスク
ネット社会ならぬSNS社会での大衆の危うさが様々な登場人物の視点によってリアルに描かれています。選択された情報発信によって複数の仮想現実が成り立ってしまう危うさは、広範囲への口コミ拡散が可能な現代社会ならではのテーマでしょう。
Twitterの炎上なんか最たるものですが、SNS社会は特定され得る個人が特定されない大衆によって一方的に非難されるという性質があります。そうした大衆の無責任な似非正義感と、それによって生まれる非公式な冤罪を批判的に捉えた作品です。
最後綾野剛演じる赤星雄治がSNSでも現実でも見放されてボロボロになりながら放浪するのですが、小物感がうまく演じられていてよかった。炎上を起こした人の末路はどう転んでもみっともないものですね。どうでもいいですが、小物感のある綾野剛って芸人のフジモンに似てませんか?なんて言うとこれで炎上しちゃいそうですが…
アナログという強さ
また、友情関係という点でこの物語には対照的な人物がふたり登場します。1人目は谷村美月演じる大学の頃の友人。嫌疑をかけられた井上真央をネット上で庇うような一見良い人な存在なのですが、蓋を開けてみると「容疑者の友人を庇う私」という自己陶酔(似非正義感)にしか過ぎなかった。情けは人の為ならず、ではないですが、井上真央は自分を引き立てるための素材だとしか考えていないことが描写されます。
その一方で、貫地谷しほり演じる小学校の頃からの親友は、世間の流言に振り回されることなく、一心に井上真央のことを信じます。蝋燭の灯りというアナログな方法で互いの絆を確かめ合うのも対照的です。
蝋燭で谷村夕子に合図を送る城野美姫
よくよく考えれば、親しければ親しいほど、連絡って意外と取らないものですよね。それは会っても直ぐに昔の自分に戻れるくらい、相手のことを信頼しているということの裏返しなのでしょう。そういった精神性は蘇軾が詠んだ「同じ月を見ている」という内容の漢詩に通じるところがあります。
タイトルの「白ゆき姫」(綺麗なお姫様)に対して、物語は「赤毛のアン」(垢抜けない女の子)をベースにして展開していくのも個人的には好きでした。美しい白雪姫を取り巻くのは野次馬根性に溢れたガヤに過ぎないのであって、自分のことをギルバート(赤毛のアンの恋人)だと自称する貫地谷しほりと井上真央のエス感にこそ絆の深さがあるわけです。
みんなが注目する煌びやかな白雪姫ではなく、みんなが目を向けない地味なふたりに愛情の真実がある構成は、アナログ賛美のようにも、現実非難のようにも映ります。
白雪姫としての三木典子、赤毛のアンとしての城野美姫
しかし、井上真央は随分と役の幅が広がりましたね。幸薄系女優は麻生久美子が断トツで好きでしたが、今回の井上真央もかなり雰囲気が出ていて良かったです。なんて言うとこれもまた炎上の危機でしょうか。
ぼくもSNSの使い方は下手なので気をつけたいと思います、ハイ。
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