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taesanの周りに起こること・感じること

宵山

2014-07-17 17:10:56 | 日記


復活した船鉾

誘われ急に宵山に行くことにした



あちこち歩いてお茶して出たら船鉾のコンチキチンと言う行列に出会った

ゴミの回収などあり道も綺麗やった

大丸の前にできた東急ハンズにも涼みがてら入ってみた

昔に比べると で店も人でも減った様に感じたな

そして頬を撫でる様な風がなんだかちょっと涼しく感じた

京都の夏は祇園祭りが最高にムシムシして暑くここを乗り切ったら

一夏越せると思ったものだ

今年はどんな夏なんだろう

介護にまつわること

2014-07-17 14:50:18 | 日記
母の介護が始まったのは2003年

父が福祉についてよく知っていると周りに思われていたことと

父が状況を開示したくない様なそぶりだったことが

周りの援助を遠ざけたと感じている

知り合いが看護師長で相談に乗ってもらい

相談員さんと今後の方針を決めたこたが昨日の様に思い出される

父が自分がするのだと仕事の様に世話を焼いた

が、施設に入ると父のすることもなくなり結果的に父が先に旅立った

その後税金の申告などしたことないことをやって来たが

収入に応じての介護費用のたかさには閉口した

年金のほとんどが特別養護老人ホームへの支払いとなった

私が夜中に施設から急変した母のところへ行くタクシー代金もで無いくらい

区役所 福祉事務所で粘り強く聴き合わせた

彼女の状態は身障者手帳を申請すると良いと教わった

税金は寡婦控除や高額医療や 身障者控除がある

そんなこんな申請や申告を することはなかなか理解力のいることで大変だったな

諦めず 教えて欲しいと頼み込み随分粘ったと思う

共済組合と国税局に問い合わせ今年は申告無しで大丈夫と言う答えが返って来て安心していた

ところが、府市民税が微々たる額かかったのだ

まあびっくり

びびたる税金だがそれを基準に母の全ての費用が算出されることになる

これもk諦めず 国税局に問い合わせたのだの経緯を話し相談の電話を区役所の市民税課にし 教えをこうた

母の場合履歴から医療費の申告を区役所にする必要がある

一喜一憂しながら

諦めず

どうしたら良いか尋ねながら

ここまで来て慣れた

あと何年 させてもらえるか と思える様になって来た





今ここ

2014-07-17 10:37:40 | 心理学
5月から8週間のトレーニングが7月13日に終了し一番心に残ることは「今ここ100%生きているか?!」

その瞬間の積み重ねが人生の質を変えていく

そのことは以前からも思っていた

が、60歳を過ぎたせいもあるのかより大切だと感じた

さあ、ならば何を行動するか・・・どうあるか

85になる山形の叔母に会いたいと思いながら実現していない

2006年父が亡くなってからあったのは翌年納骨した時だ

2007年以来ということになる

東北の震災の時も電話が通じず心配したが無事であった

その後は電話のかかわりだけであった

そのうちそのうち…葬式に行くことになるのか?

そう思ったときに話せる間に会っておこう!

思い立ったが吉日

トレーニング終了後すぐに行くと決めてあってきた

電話で話すより元気な叔母が目の前にいた

足がずいぶんそろりそろりとなっているがあとはまずまずこんなものだろう

一人暮らしが長いからか自分でするという気概が本人を支えているのだろう

行くまでは遠慮があったのか、遠いから気にしなくていいよ 

泊めることは世話ができないから無理だ

などときてほしくないようなオーラがいっぱいだった

けれど会って話すと懐かしい話やら 今の話題やら

お寿司を取ってっくれたのだが 年齢よりしっかり食べる私とほぼ同じくらい食べたし

そのあと、小玉スイカを半分にして 好きなだけほしいだけ食べるといいっけのは~

といいつつ 私も叔母もおいしいねと言いながら完食!

よく食べるね!というと

生きていくことはつらいこともあるししんどいこともあるけど

元気でいるには食べなきゃね! とあっけらかんと言う叔母に

同じ遺伝子を持っているなあ~たと感じた

帰り際に満面の笑みで「来てくれてうれしかったよ。逢えてよかった。よかったらまた来て」

叔母の気持ちがしみた

寮母をしていたからか小さいときから私の気持ちをよく理解してくれる大人だった

勿論、父の離婚も、母が養母だということも叔母は知っているが

てっちゃん(父 哲郎)はなーんも話さなかった人だからねと。

私の記憶には小学校時代から毎年京都観光に3泊くらいしてあちこち行ったりデパートめぐりをしたのが思い出だ

近くに住むいとこは用事を頼んでも「今忙しい」と言って3か月も待つことはざらだという

その生き方にも寂しさを感じる

なぜなら叔母は彼の子供を孫のようにかわいがっていた愛を感じるなら

時間を作ってもよさそうだなあ・・と  ちょっぴり悲しかった

京都から5時間半ほどかかる日帰りはきついができないことはない

そして60歳ならジパングも使えるんだと気が付いた

そうすれば宿とセットでもきっとお安く行けるはず!

仕事に対しての目標にもなる

これから2月か3月に一度山形に行けるように頑張ろうと思って帰路に就いた

お金は頭で稼いで心で使う  だったかな・・・

あるに越したことはないのだから


今ここ集中して何をするか

どう生きるか

愛の価値観で生きていきたいと強く思う