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おはようございます
このシリーズ今日で3回目です
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晴れやかに輝いて生きてほしいなあ と思うのは
自分のこころが曇っていたからです
悲しみ・不安・・・
無意識のつらい事
ある種のトラウマ・・・
それでも生きていくのにどうするかというと感情を感じないようにしていた
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そんな事を心理学を学ぶうちに気が付いていったわけです
そしていろいろ学ぶうちに
自分が生きていると思っているけれど
その考えはどこで作られたのか?
と考えると
育ててくれた人たちの言葉で育っている
つまり幼少期の過去の出来事など個人史で経験体験したことの積み重ねであると
一言でいうと「個人史」
言い換えると生まれてから学んだ「ことば」で出来ている
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下の絵のコップの水
コップに水が入っているのですが
これを観て言い表す表現は 10人10色
この表現の違いが育った環境で使われる言葉にほぼ表れるということです
喉が渇いているという状況で
「あった!」
「えーこんだけしかないの?」
「だれかがのんだ?」
などなど
あなたはどんな言葉で表現するのでしょうか?
言葉にどんな意味を付けて解釈するのか?(観念という言い方もある)
その意味が当たり前と思っているけれど
意味付け解釈が違うから他者と意見が合ったと思っていても
「えーこんなはずじゃなかった」ということも多々あるのではないかな?
これを知った時
私は人と随分「意味付け解釈」が違う事がわかった
たとえば「一生懸命生きるものだ」というのは
15歳で心肥大で運動すると死にますよ・静かに寝ていなさいと言われてことが発端だ
今65歳で寝たきりじゃないですけどね
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まあ当たり前と思っている・考えてることは
生まれた後にインプットされたこと
決して望んでそのデーターを脳に入れたわけじゃないということ
その個人の育成歴を何の疑いもなく自分だと思っているということ
けれど本当だろうか?
幼少期の家庭の中やご近所のおばさんやおじさん
はたまた、お爺ちゃんやおばあちゃんのえいきょうが
大きくある
それで自分が望ましい状態に今いるなら ラッキー
そうでないなら
自分の生きて来た歴史を紐解いてみてはいかがだろうか?
良かったら一緒に紐解いてみませんか?
未来を望ましい状態にしていく為に
by taesan
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