という加治 将一という人の著作がある。
副島隆彦の「日本の真実」に取り上げられていたので、探しているのだが、貸し出し中が続いていてなかなか順番が回って来ない。
私には以前から疑問に感じていたことがある。それは日本の近代史、特に明治維新と云われる日本の近代化の進捗期に、何故にあのように年端もいかない若者達が表舞台で活躍できたのだろうという単純な疑問である。
崩壊し始める幕藩体制の中で、自由にものを言い、行動できたからとするには、彼らを取り巻く旧社会秩序の重さから、そこに何か腑に落ちない違和感のようなものを感じていたのだ。
明治維新というものが他に例の無い歴史的な突発事件であったとしても、その国家的成功体験がそれ以降の時代に継承されていないと感じられる点や、今も続く日本の社会風土や慣行と切り離れたような現象が、果たして自然発生的に起こり得るのだろうかという疑心にも似た思いを抱いていたのだ。
中でも龍馬は若くして暗殺されたということもあり、幕末の英雄として不動の評価と、多くの人々から憧れにも似た尊敬を得ている。
人々は龍馬という人間を知り、その存在に畏敬の念を抱くと同時に、彼らを生み出した社会背景から自由と平等の匂いを感じ取って、所属する社会の健全性にも一定の評価を与えているような気がする。
近代日本というものが、自然発生的に成熟した日本人達によって成し遂げられたとするには、以降に続く時代とのギャップがあまりにも大きいとは思わないかい。
為政者達にとって彼らの純粋性や理想が、今の社会の礎となっているとした方が都合がいいのは間違いない。
そういう疑心を抱いていたのは私一人ではないようである。どうやら真実は、我々が教えられ学び取ってきたこととは、少し違うようなのだ。
明治維新そのものが、英国の采配で成し遂げられ、日本近代化の祖とされる坂本龍馬や、伊藤博文、伊藤薫、高杉晋作といった幕末の志士達の多くがイギリスの意図によって動かされていたようなのだ。
この著作には「明治維新」と云うものが、イギリスによって懐柔され洗脳された諜報員、つまり英国のスパイに育て上げられた幕末の志士たちによって実行された、お手盛りの「人工的な革命」であったという真実が、英国側の歴史資料とともに明確に描かれているらしい。
こういうのは一度は読んでおくべきだろうと思う。
特に高知県出身の人などは、他府県の人々が龍馬に高い評価と尊敬の念を抱いているのに、それにただ同調しているだけでは、あまりに当たり前でつまらんだろう。
同郷者として、より深い掘り下げと洞察があったほうが喜ばれるし、何より格好がいいと思うんだが。
平凡な日本人には嫌われるかも知れないけどね。