シェンヤン(瀋陽SHENYANG)生活体験記

中国東北部の瀋陽(昔の奉天、満州)。冬には-30度になる土地での驚きや感動を「初めて」の視線でおしゃべりしています。

耳にした生活情報を他に伝えるとき!

2012年05月28日 | 瀋陽に住み始めて。。
私はここでもいろいろ おしゃべりしていますが、
普段も、知ったことは、みんなにしゃべっちゃう。
   その土地で新しく生活する人が、
   誰かが知っていることを 知らずに 時間がかかったり
   余計な手間がかかったり 不便に思ったりすることが
   少しでも無いように、、
   それが私の信条。

でも目の前で、私が教えたことを人に教えているとき、
これって、○○さんに教わったんですけどねっって
ひとことが欲しいなあと思う。

○○さん、、、を忘れちゃっても、
   誰だったかなあ、私も教わったんですよって。

まるで自分が発見したみたいに目の前で言われちゃうと、
   え~っ、それって私が教えたんじゃない!
   って おもっちゃう。

あるマッサージのある老舗? が 瀋陽に進出してきたんだって、
大連の同系列のお店で
   「瀋陽に住んでいるなら、来月瀋陽に出店します!」
って言われて、周囲に教えたり、、、

瀋陽の日系デパートの あそこのトイレは 綺麗ですよ! って。
それって、私が、その人に教えた~。

まあねえ、皆様、色々な情報を耳にするから、それ自体が
誰かからきいたわけですが。
   でも、そのトイレは、きっと知る人ぞ知るなのかもしれないけど?

でも、大勢の中でしゃべったんじゃなくて、面と向かって話したことを
目の前で、他の人に伝えているときは、、、、
私は言っちゃう、
   「それって、私が教えたんですよ~」

小さなことですかねえ。
私は、教えてくれた人が嫌でなければ、会話に付け添えます。
   「誰それさんが、そのお店を教えてくれたんですよ」

その一言で、
   「あの人は買い物上手だから、確かなお店でしょう」
とか、
   「あの方は瀋陽に長いから、きっといいお店でしょう」
とか、
   「その人は、当地の生活が短くても、顔が広い方だから、
    きっと誰かから教えてもらったり、開拓したのでしょう」
とか。

実際、○○って知ってます? という会話になって、
   「当地5年以上のあの方に連れて行ってもらいました、
    私は仕立てていないけど、スーツ等、かっちりしたものが
    大丈夫なお店だってききました。」
そういう一言で、初めてでも後押しされて出かけられるってことがありますよね。

他方、反対に仇のようなことになるから、言わないという人もいます。
   「○○さんが言っていたことは 嘘だった」
と。

この世界、「嘘」は無いような気がするんですけど。
同じお店でも、経営者が変わったり、従業員が変わったら、
方針も、味も落ちたり、反対に上がったり。

まさに、お店だったり、ホテルもそう。
でも、「嘘」なんて思わずに、その人のときはそうだった! ということを
教えてくれているのだから、そんなこと言わない方がいいと思うんだけど。

その土地で生活しようとしている人には、なんでも気楽に教えてあげましょ!

「○○さんから、、、とか、何々の集まりでどなただったからか
 教わったんですよ」
と言えば、
まだまだ瀋陽若輩者の私が言うよりは、説得力があると思うんだけど。
えっ、私がしゃべりすぎているから、
私から教わったことだったかも忘れちゃう?



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