和田寺だより 

住職のよもやま話し

謹賀新年~脚下照顧~

2006年01月13日 | 和田寺だより

ご挨拶がおくれましたが新年あけましておめでとうございます。本年もみなさま何卒よろしくお願いします。   和 田 寺

さて、本日、和田寺の総代・監事の新年初集会がありました。その席上、寺族が新年のご挨拶をするというのが恒例となっておりますが本年の住職のあいさつの中で「『脚下照顧』(きゃっかしょうこ)という言葉を念頭に本年は寺院を運営したい」という話がありました。(大晦日にお配りした干支色紙の言葉でもあります。)ここ数年和田寺では建物を修復したり、環境を整備したり、事業に追われていた面があります。そこで本年は今一度「自身の足元をかえり見て、行動を起こす。そういう再出発の時期であります。」という言葉でした。

この『脚下照顧』(きゃっかしょうこ)という言葉をもう少し掘り下げたいと思いますがこれよりはある法話の一説を引用したいと思います。

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禅寺に行くと、玄関に「脚下照顧」「照顧脚下」「看脚下」などと書かれた札が掛けられています。文字通り「足下を見なさい。即ち履き物を揃えなさい。」という意味です。これには深い意味があって、「自分自身を見つめなさい。」という大切なメッセージが込められているのです。

私たちは、食事をしながらも「今日はどこどこへ行ってあれをしなければ・・。アッそうそうイチローは昨日ヒット打ったかな?・・」などと次から次へと様々なことを考えていて、静かに自分を見つめるという習慣があまりありません。自分の中には二人の自分がいて、絶えず闘っているのに気が付いていますか?例えば、勉強しようと思うけど眠いから寝てしまおうとか、映画を見に行くからまたにしようとか、弱い自分が勝ってしまうことがよくありませんか。そうです。弱い自分を見つめているもう一人の自分がいるのです。 このように知らず知らずのうちに自分を見つめるのではなく、意識して、長い時間、できれば何時でも見つめられれば、こんなに凄いことはありません。正にこれが「脚下照顧」なのです。

自分を常に監視人のように見つめられれば、無闇に怒ったり、人を傷つけたり、道端にポイ捨てしたり、そのほか様々なマイナスの行動や思考をとらなくなるのではないでしょうか。

実は、これが経営に非常に効果的な方法なのです。 自分の経営を「脚下照顧」する。

具体的に言えば、社長としての自分自身や、会社そのものを、冷静に、自己中心的にでなく第三者として客観的に見つめて、それを箇条書きにする。その項目が沢山挙がる経営者ほど自分の経営をしっかり見つめている証拠です。項目の書き出しができたら、あとはその項目を、すぐに解決できるものとできないものに分類し、できるものからその具体的な解決方法を洗い出して一つ一つ実行していくのです。とても単純で、何だこんなことかとお考えかと思いますが、案外皆さんやってないんですね。やりだしても直ぐにやめてしまう。ここに成功の分かれ目があるんですね。

さて、ここで注意ですが、自分を見つめることにばかりに気をとられて、本来の「靴を揃えること」を疎かにしている人が何と多いことか。

自分も気を付けたいところです。

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実に為になるお話です。私自身はお釈迦さまの言葉通り~力まず、焦らず、怖がらず~そして~なまけない~ように日々(にちにち)を送ることが出来たらと思います。

少し長くなりましたが、本年も何卒よろしくお願いします。

合掌