今日と明日は陶器まつり(17日・18日) です。町中、まつり一色なのでお寺の法務はお休みです。で、朝から民生の関係で今田支所会場で 赤い羽根 街頭募金のお手伝いに行ってきました。毎年ながら陶器市会場はたくさんのお客さんでした。募金のよびかけよりも風船にヘリウムを入れる方でいそがしかったです。でも小さなお子さんの笑顔が見られてよかったです。陶器関係いいものがお安くなっていますので是非お越し下さい。お寺はまさに伽藍堂(ガランドウ)ですね!?。まつりのついでにお参りしていただいても結構ですよでは
本日、午前中、今田小学校6年生のみなさんが総合学習の授業で「和田寺の秘密を探る」というテーマで当寺に来寺されました。A組、B組総勢40数名の生徒さんでした。実は小生の長男も生徒の一人でしたので息子はきっと照れ臭かっただろうと思います。1クラスは寺仏堂内で住職から資料やホワイトボードも使用しながら歴史全般のレクチャーがありました。もう1クラスを小生が担当しオリエンテーリングということで本堂を中心に境内地を案内させていただきました。1クラス45分間という限りある時間で説明しながら(少し時間オーバーでしたが)本堂までの上り道500メートルの往復は息が上がってしまいました。休みなしの2クラス分、2往復はなかなかこたえました。説明しながら歩くのはハードです。煙草の復活が原因かもともあれ、案内の内容はというと大化2年(646年)にインドの渡来僧、法道仙人によって開基されたことや先々代の代に本堂横の大きな桜の木が台風で倒れ、その根元から壺(丹波焼)が発見され、その壺の中から法華経の写経が出てきたこと。写経の末に崎山九郎次良時(さきやまくろじよしとき)の名があり母の13回忌追善供養の為に一行三礼し書き上げたことが記されていたこと。また、その近くにある宝キョウ印塔(墓)の傍に今田には生息しないアカガシやウラジロガシの大木が二本植わっているのは誰かが意識的に植えたものでないかという当寺に残る謎の部分についてもお話ししました。また、源平の合戦時に義経軍が平家方を追討し当山を焼き討ちにし、山頂にあった本堂も全焼し、その翌年清水寺の二老職の理円 和尚が再興したこと。その約200年後の1389年(康仁元年)に僧 良海が山頂から現在地に本堂をおろしてきたこと。その折におろしてこられた本尊安置の厨子を見ていただきました。残念ですが本尊は秘仏の為、お開きすることは出来ませんでしたが。また堂内につってある僧侶が往来に使用したとされる駕籠、篠山市内で現存する最古の鰐口の説明、和田寺山山頂の位置確認をし先人たちの苦労も感じていただきました。また境内地に当時、茶畑が沢山あって、時の殿様にお茶を献上していたこと。そして献上時の茶壷代わりに丹波焼が使われていたこと。また、猪の牙研ぎの木(トガの木)までの散策をし、その近辺に「行廣坊」というお堂があり実際にお坊さんが住んでいたこと。実際に当時の石塀、礎石や階段も見ていただきました。ほか頭痛地蔵の説明等随分盛りだくさんの内容でしたが案内を終えてみてこれはきっと大人の方も楽しめるツアーではないかと思いました。(時間がとれたら定期的に出来るかもです。)しかし、小生のつたない説明、小6のみなさんにはちゃんと伝わったのかなあ?当寺の持つ歴史の古さ、深さを少しでも感じていただけたならうれしいですが。小生は結構ワクワクしながら案内させていただきました!第2回目の19日(月)も楽しみにお待ちしております。担任の浅田・中森両先生、大変お世話になりました。私自身、あらためて当寺の勉強をする機会をいただいたと感謝しております。合掌