和田寺だより 

住職のよもやま話し

<柴燈護摩>

2005年01月28日 | 和田寺だより
例年は寒くなる頃ですが、今日ははうららかな小春日和でした。毎月28日は不動明王の縁日です。毎年、年始めの28日、1月28日は上立杭(かみたちくい)地区のお不動さんの前で無病息災、家内安全等祈念の為に柴燈(採燈)護摩(さいとうごま)を修しています。修験行者(しゅげんぎょうじゃ)さんが大勢よっての大掛かりな法要ではありませんが私も住職のおともということで1月9日、下小野原で実施の堂の講と共に年明けの恒例行事として入山以来(H5年~)佛祖のご加護によるものなのか欠かすことなく参加させていただいております。法要中、上立杭の壇信徒さんのどなたかが法螺貝を思い思いに吹かれますが辺りに法螺貝の独特の音が響き渡ります。

護摩とは梵語でホーマ(homa)といって智慧(ちえ)の火で迷いの薪を焼くことを意味する密教の修法でインドで火神アグニ(Agni)を供養して魔を除き福を求めるため行われた火祭を仏教に採用したものといわれています。不動明王や愛染明王(あいぜんみょうおう)などを本尊とし、その前に儀則に基く火爐のある護摩壇を置き規定の護摩木を焚き、火中に穀物などを投じて供養し、災いを除き(息災)、幸福をもたらし(増益)、悪を屈服する(降伏(ごうぶく))ことを祈願する修法のこととあります。
(「新・佛教辞典」中村 元監修、誠信書房より)

上の説明は護摩でも堂内で修す壇護摩のことですが天台宗の僧侶になる為の必須の修行に顕教(けんぎょう)と密教がありますが密教の行(ぎょう)を四度加行(しどけぎょう)(十八道、胎蔵界、金剛界、護摩)といいますがその中に護摩があるので天台僧侶であれば修行時代必ず護摩焚きを修しているわけですが当山には残念なことに護摩堂がなく本堂ご本尊裏の物入れに錆びついた火爐と一部の法具があるのみで寺内で護摩行を修すことはありません。もし将来、発起・発願し、壇上を調え護摩焚きを修すことがあれば相当なブランクがあるので改めて勉強し直す必要があるでしょう。(汗)※本当、一生勉強です。天台は円(法華経)、密教、禅(止観(座禅))、念仏(浄土教)、戒等行ずることが多く大変ですがその人にあったやり方でどの道を選んでもよいとされていますがある種その自由さがよいところではないかなと思っています。まさに総合仏教です。

さて、本日実施の柴燈護摩は上立杭の檀家さんに炉を作って頂いておりますが、屋外の広場等で炉を作って薪、檜葉等を組み上げて修する護摩のこで比叡山延暦寺でも世界平和等祈る為大護摩供として年に一度修していますが大峰山の修験行者の護摩のイメージが(法螺貝、法弓を射る行者の姿等)定着しているのではないでしょうか。

合掌


<開宗記念法要>

2005年01月26日 | 和田寺だより
本日、1月26日は天台宗の開宗記念日として宗内各地で法要が営まれています。篠山市、三田市、社町の宗内寺院二十数ケ寺の組織を多紀叡山講といいますがその多紀叡山講と先日お伝えした叡山流ご詠歌の地元の組織を福聚教会丹波本部(篠山市、丹波市、京都府の一部)といいますが二つの組織の共催として開宗記念法要が寺院教師、並びに各寺院総代代表者、福聚教会支部代表者と共に毎年、各寺院持ち回りで営まれています。

本年度は篠山市坂本(旧多紀郡西紀町)の福徳貴寺にて厳修されました。福徳貴寺さんは用明天皇代(585年~)、かの有名な聖徳太子開基と伝えられています。正副両住職先生は叡山流ご詠歌の総本山元講師、総本山講師としてご活躍されておられます。私もご指導頂いております。

さて、開宗記念法要の内容について触れたいと思いますが出仕僧と参加者全員で般若心経、伝教大師開宗和讃・詠歌、宗祖御願文(しゅうそごがんもん)、山家学生式(さんげがくしょうしき)、伝教大師讃仰和讃、宗祖ご宝号(南無宗祖伝教大師福聚金剛(な-む-でんぎょうだいしふくじゅうこうんごう)と三遍となえます)、物故者精霊追善供養としてお念仏をおとなえし、福徳貴寺さんのご詠歌と共に出仕僧が退堂するという法要の流れになっています。出仕僧が独特の音律(節回し)で修す法要もまた素晴らしいと思いますが今日の法要のようにみんなで声をあわせてとなえさせていただく法要は一体感が感じられ改めていいもんだなと思いました。

少し硬い内容になりますが宗祖御願文(しゅうそごがんもん)は宗祖伝教大師最澄(しゅうそでんぎょうだいしさいちょう)が延暦4年(785年)、東大寺で授戒したあと、比叡山に登り、修行に入られるのですがその折に仏道修行者としていかに目的をすえて修行していくかを誓った決意をあらわすために記されたのが「願文」で「悠々たる三界は純ら(もっぱら)苦にして安きこと無く、擾々(じょうじょう)たる四生(ししょう)は唯患(ただうれい)にして楽しからざるなり。牟尼(むに)の日久しく隠れて慈尊の月未だ照らさず、三災(さんさい)の危きに近ずき五濁(ごじょく)の深きに沈む。云々・・・・・・・解脱(げだつ)の味獨り(あじわいひとり)飲まず、安楽の果、獨り證せず。法界の衆生と同じく妙覚(みょうかく)に登り法界の衆生と同じく妙味を服せん。云々・・・・・。」

簡単に言えば世の無常を感じ、憂い、比叡山に分け入り浄仏国土(じょうぶっこくど)と成就衆生(じょうじゅしゅじょう)を目指されました。浄仏国土とは仏道、法華経を基とした理想浄土の建設であり成就衆生とは理想人物の養成、即ち一隅を照らせる(能(よ)く言って能く行うことの出来る人、ポストにベストを尽くせる人)国宝的人材の養成といわれています。そして菩薩の道をめざし、人のために生きるという決意表明に他ならぬものでした。大師、弱冠十九歳の決意表明でした。成人式に暴れてぶち壊しにするような幼稚な若者とは大違いです。

注目したいのはすべての世界に生あるものは患い、苦しみ、一日として楽しまないと仰っていますが、平城京、南都仏教も相当堕落していたそうでそれらを憂い発願されたといわれていますがが全く今現在我々が住んでいるこの世界のことを言っているように思えてならないことです。イラク戦争ほか各国の紛争、北朝鮮の問題、台風、地震、津波等の災害、豊かさを求めすぎたゆえの地球温暖化現象等の環境破壊。世はまさに末法(まっぽう)というべきでしょう。

三災とは大小の二類があり小は生きものが滅びる(鳥インフルエンザ!?)、刀兵災(戦争)、疾病災(新種のウイルス!?)、飢饉災(紛争による難民!?)の三種。大は世間が破壊される火災、水災、風災といわれています。まさに今現在の様子というほかないでしょう。

延暦25年(806年)1月26日桓武天皇より毎年僧となることを国によって認められている一定数の者を年分度者(ねんぶんどしゃ)といいますが南都六宗に天台を加えて天台からは二名の割り当てを得ました。
まさに天台宗が公認された日というわけで今日を天台宗開宗の日としています。

来年、平成18年1月26日はちょうど1200年目にあたります。

(参考書)「願文」(天台宗教学部発行)、「伝教大師の生涯と思想」(木内尭央著、春秋社)、「わが家の宗教天台宗」(西郊良光、神谷亮秀著、大法輪閣)ほか 

合掌



笑う門には福来る!!

2005年01月25日 | 和田寺だより
本日は朝から福聚教会和田寺支部の新年会を行いました。福聚教会とは詠歌・和讃、舞踊を志すものの会で天台宗の詠歌・和讃を比叡山が本山ということから叡山流のご詠歌・和讃と言います。因みに各宗派にも詠歌講は組織されておられ会員数が多く有名な流派として曹洞宗の梅花流御詠歌、高野山真言宗の高野山金剛流御詠歌が上げられます。

和田寺支部が出来て50年以上が経っていますが現在、支部の会員さんは70名近くの会員さんがおられ(見た目も気持ちも若々しい中高年の女性。時には母親のような存在に感じます。(笑))日々伝教大師のみ教えを讃仰しながら明るく活動しています。和田寺にとって法要、行事、日々の活動には欠かすことの出来ない大切な方々です。実に心強い存在です。

朝早く会員の中の9名の世話人さんが集合され大きな鍋で昼食のお弁当に添えるかす汁を作っていただきました。本当においしく頂戴しました。

おつとめ、住職の法話、会食後、ここからが本日のメインです。新年会恒例のだしもののはじまり、はじまりです。各集落単位で次から次へと歌あり、踊りあり、大正琴あり、詩吟あり、芝居あり、笑いあり、泪あり時間が足らないくらいです。大道具、小道具、衣装、結構大掛かりです。チームワークと若さのパワー(!?)を感じました。今年のだしものの流行は「マツケンサンバ」でした。楽しい一時を過ごすことが出来ました。くれぐれも・・・年中こんな調子ではありません。(笑)

昔から「笑う門には福来る」といいますが医学的にも無理にでも笑顔をつくっているほうが怒っているよりは身体にはよっぽどいいと聞いたことがあります。世は嫌な事件ばかりですが大人になれば今日のように心の底から笑える日は少ないように思いますが笑顔、和顔は周りのものに幸せを与え、すなわち福を授けられるものだと思います。自他共々「笑う門には福来る」ではないでしょうか。

合掌


足場完成!!

2005年01月21日 | 和田寺だより
DSCF0016大寒の暦通り、朝から牡丹雪が舞う寒い一日になりました。1月になり本日を含め、お壇中に二軒のお弔いがございました。ご冥福をお祈り致します。

さて、本堂大屋根工事ですが職人さんには本当に寒い中、作業をお世話になっております。本日でほぼ足場工事が完了致しました。建物内部まで足場が組まれるとは知りませんでした。(笑)足場が完成して改めて伽藍の大きいことが実感出来ます。

銅板祈願奉納について早々に大勢の方々からお申込みいただき誠にありがとうございます。

合掌


震災から10年!!

2005年01月18日 | 和田寺だより
阪神淡路大震災から10年が経ちました。もう10年と感じるかまだ10年と感じるかは人それぞれではないでしょうか。

昨日、1.17の5:46から全日本仏教青年会主催の震災慰霊法要、行脚に参加させていただきました。

前夜からいつも以上にマスコミ各社はこの1.17のニュースを大きく取り上げているように感じました。震災後の家屋等の瓦礫の山、崩れた家屋から助けだされる人々の様子、長田区の火災等当時の生々しい様子が幾度となく写し出されます。この未曾有の震災で6000人以上の尊い生命が一瞬にして奪われたこと、数ヶ月に及ぶ避難所暮らしを余儀なくされた方がいることなど当時のことを風化させず次代に伝えていくこと、又この震災を教訓にして備えていくことは必要なこととは思いますがいつもこの時期になると季節の風物誌のように、映画のワンシーンのように何度も写しだされるあの当時の映像を見ると複雑な心境になります。

非常に極端な言い方になりますがつらいことや悲しいことは「忘れましょう」とするのが仏教的な物事の捉え方だといわれています。そしてつらい時、苦しい時は何度でも立ち止まりながらも「それでも生きてこう。」とするのが仏教徒としての歩み方だと思います。もちろんあの震災で家族を亡くされた方はあの出来事を一生忘れることは出来ないと思いますし、ご遺族の気持ちを思うと(私の身近な所でも亡くなった方がおられます。)いたたまれませんが、ある一定の期間を費やしながら受け入れていくことは人間には必要な部分であるように思います。そして本当につらいことを乗り越えて生きていこうとすれば本当につらいことは一日も早く忘れていくより仕方がないように思われます。しかしそう簡単にいかないのが現実でしょうか。いずれにせよこの時期になると何度も写し出される当時の映像を見ると複雑な心境になります。

法事等の追善供養はいつまでも忘れないでおきましょうという儀式だと思いますが亡くなった家族の闘病中などのつらく悲惨なことまでをいつまでも思いつづける必要は無いように思います。そして、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんの存在、素敵ないい思い出はおのずと心の奥底にいつまでも留まるものだと思います。

合掌



工事開始間近!!

2005年01月11日 | 和田寺だより
お陰さまで本堂屋根工事が間もなく始まります。本日は工事が始まると大型車も往来する関係で住職と施工業者(出石町の徳網建設)でご近所の挨拶まわりを行いました。また各所に案内板、看板等設置致しました。尚、工事完了まで(5月末頃まで)しばらくご不便をおかけしますが寺仏堂、新庫裡より上は一般車進入禁止になりますが何卒よろしくお願いします。

楽寿観音さんは車で至近まで参拝可能。頭痛地蔵さんは歩いてなら参拝可能です。ご本尊千手観音さま(秘仏)は寺仏堂にてお祀りしております。

工事の進捗状況は出来る限りお伝えしていきたいと思います。

さて、本工事に併せてお知らせ内にて銅板祈願奉納のご案内させていただいております。又、町内・外の檀徒のみなさんにはすでにご案内させていただいておりますが本日、霊園契約者のみなさん宛ての当ご案内の発送準備がようやく完了しました。明日付けで各ご家庭に送付させていただきたいと思います。文中にも書いてございますが銅板裏に記された「願主名」と「願いごと」は将来的に残るものでございます。まさに次代へのメッセージにもなるものと思います。縁ある方々で屋根を守り、当山の法燈を護持しようとの思いをもってこの機会に是非ご祈願いただければと存じます。

合掌



<堂の講>

2005年01月09日 | 和田寺だより
寒い一日になりました。本日1月9日は毎年地元、下小野原の行事「堂の講」(ドノコ)があります。

新年を迎え、一年間の豊作、無病息災、家内安全等祈願する法要が寺院で行われるのを修正会(しゅしょうえ)といいますが、「オトウ」ともよばれる「堂の講」もその一種です。主として神社、寺、地域で祀られているお堂等で行われています。下小野原は毎年公民館でこの行事を行っています。他地域でも類似した行事があるそうです。

ヌルデ(うるし科)の木で作った「ゴズエ」は祈願のための聖樹で豊熟を祈念するための神のよりしろ(神霊が招きよせられて乗り移るもの)といわれています。ヌルデの木とシキミは稲や果樹木等を表わし、シキミの枝に結ばれたおみくじの様な紙を参詣者が思い思いにつけるのですがこれは稲穂や果実、財物が鈴なりになる様子、三つ割りの部分に挟んである半紙は「牛玉宝印」(ゴズホウイン)といって、神仏(牛王天王?)から授けられる各種の財物を潤す功徳があるというお札の一種と考えらます。

法要の途中、住職が大きな声で「南無最上佛面除災與楽」と叫びながら錫杖(しゃくじょう/上端の円環に数個の小環をつけ動くと音の出る杖で、道で毒蛇・害虫を追い、乞食(こつじき)に音を出して遊行を知らせるためのもので大乗僧の十八の一。)を振ると参詣者一同が「ゴズエ」と細い棒を双方の手で卓を強く叩くのでけたたましい音が室内に響きわたります。とてもユーモラスな感じです。卓を強く叩くのは祈願の強さ、「牛玉宝印」を授けててもらえる喜びや早く授け下さい、といった催促を表している様です。

読経の後で硯の墨をつけた棒で顔に三回ずつ墨をつけるしぐさを行いますがこれは「インノコ」(印の功、印の幸)といって一人一人に功徳が及ばされ無病息災・健康増進等を祈る為に行わます。

「ゴズエ」は持ち帰り苗代の水口に立てる慣わしがありましたが、現在は各家の垣内(かいち)の一定の場所に立てられます。

※「牛玉宝印」(ゴズホウイン)
守り札の一種で、起請文(誓紙、誓詞=誓いや約束事を書き、もし内容にたがう時は神仏の罰をこうむる旨を記して印を押す)の料紙、民族慣行(オトウ等)に授けられるもの。

因みに和田寺の「牛玉宝印」の版木は西暦1426年(応永33年室町 足利義政の頃)の銘あり。県下で最古、全国で4、5番目に古いもので篠山市文化財に指定されています。

この辺りでは珍しい行事ということで一昨年にサンテレビの取材がありました。興味のある方は毎年、1月9日、1時より下小野原の公民館で実施しておりますので百聞は一見に如かずです。一度お参りされては如何でしょうか。

合掌






定期バスのご利用も!!

2005年01月08日 | 和田寺だより
本日、総代さんの新年初集会がありました。お勤めの後、年頭にあたり住職よりあいさつ、寺族のあいさつ、溝畑総代会長よりごあいさつをいただきました。その後、報告とお願い、今後の予定等の会合を持ちました。会合後、初集会ということで中山石渠和田寺営業所、上田所長、石井社員も加わり会食の一時をもたせていただき一同気持ちを新たにさせていただきました。一田寺の護持・運営に努めてまいります。何卒本年もよろしくお願い致します。

いよいよ本格的に平成17年が始動するという感じです。

さて、昨年二月より今田町内に「ぬくもりの郷・こんだ薬師温泉」がオープンし非常に人気が高くあちらこちらから沢山の方がおみえになっているようです。又、立杭の郷に今秋(予定)に県立陶芸館もオープンする関係から昨年12月23日より神姫路線バスのJR相野駅(福知山線)から「こんだ薬師温泉経由清水(寺)行」の運行が開始されました。

もちろん中山石渠の相野と霊園間の無料送迎(霊園使用者対象)は従来通り行いますが毎水曜日の霊園管理事務所の定休日などにご利用下さい。又マイカーのご利用でない一般の参拝者の方は是非ご利用下さい。

・JR相野駅前 ③番のりば「こんだ薬師温泉経由清水(寺)行」に乗車
  和田寺口 下車・乗車 (和田寺口~和田寺霊園間徒歩ゆっくり歩いて約10分)  
 
 ・バス代(相野駅~和田寺口 片道360円)  

ダイヤは以下の通り
             
平日・土・日・祝日                                   
   (往路)                              
(停留所)(時間)
相野駅10:24→和田寺口10:42→こんだ薬師温泉10:49

相野駅12:54→和田寺口13:12→こんだ薬師温泉13:19

相野駅15:16→和田寺口15:34→こんだ薬師温泉15:41


平日・土・日・祝日                                   
   (復路) 
(停留所)(時間)
こんだ薬師温泉14:45→和田寺口14:52→相野駅15:09

こんだ薬師温泉16:15→和田寺口16:22→相野駅16:39

こんだ薬師温泉17:45→和田寺口17:52→相野駅18:09 

※尚、タクシーご利用の場合は相野駅、古市駅(詰め所より無料電話)、草野駅からご乗車ください。
草野駅、和田寺間が距離的には一番近く料金もお安くなりますが無人駅ですので前もってタクシー会社に予約を入れて
下さい。

(日本交通篠山営業所)TEL 079(552)0010

(有馬交通)フリーダイヤル 0120(41)2481


合掌


ご本尊移動!!

2005年01月06日 | 和田寺だより
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お知らせ内に詳しく説明しておりますが特に台風16号の影響で本堂銅板大屋根が甚大な被害を受けてしまいました。
これにより屋根部分の全面改修をすることとなりました。施工業者は競争入札により出石の徳網建設に決定しました。
工期は5月末までを予定。昨年12月23日に総代さん、福聚教会の支部会員さん(詠歌、舞踊の会員さん)、施工業者列席のもと安全祈願祭を行いました。

近日中に工事が開始されますがいずれ屋根部分はすべて取替えとなりますので堂内の仏さま、仏具の移動が必要になりましたがこちらも昨年12月24日に仏具屋さん6名にお手伝いいただき無事移動が完了致しました。大変お世話になりました。憧幡、前机、施餓鬼壇等の大きな仏具、びんずるさん(なでぼとけ)、二十八部衆の一部(千手観音さんの眷属で善神、龍王、神母女など、名称に異説あり)を仏具屋さんの倉庫に預っていただくことになりました。


ご本尊さまは秘仏十一面千手観世音菩薩さまですが(西暦1337年造立。カヤ木の一木造で像高108cm。全体に赤みがかっています。)昭和45年に仏師佐川定慶氏の手により修理を行っておりますが日誌上、HPの写真、寺仏堂内の写真等はその修理時に撮られたものです。残念ながらお寺の歴史上、公式にはご開帳されたことはありません。観音さまの場合三十三年に一度ご開帳されるお寺が多いようです。

このご本尊さまを安置しているお厨子ごと、寺仏堂まで無事移動させていただきました。安全祈願祭時に撥遣(はっけん)おしょうね抜きをして寺仏堂移動後仮開眼安置しておりますのでみなさま是非お参りください。

お厨子はご本尊造立時に製作されたものと推測されますがくお厨子内部右側面には「本尊移徒康応元年己巳八月七日」の墨書きがあり、西暦1389年、南北朝時代末期にご本尊が和田寺山頂から現在地に移された経緯がわかり、当山年表の根拠となっています。  

合掌


謹賀新年

2005年01月01日 | 和田寺だより
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新年明けましておめでとうございます。
大晦日より雪模様となりました。除夜法要の準備には責任役員の皆さんに、除夜法要の手伝いには総代さん全員にお世話になりました。ありがとうございました。お寺は不思議と雪景色が似合います。去り行く年を省みながらお参りのみなさんは真剣に合掌をされているようでした。昨年は暗い事件や災害がありましたが今年はいい年になればと思います。
                                                                     合掌