平らな深み、緩やかな時間

116.『マネの絵画』ミシェル・フーコーについて

はじめに、すこしだけお知らせです。
上野の森美術館で7月23日から『なんでもない日 ばんざい!』という展覧会が開催されます。その展覧会で、私が大学生の頃に描いた静物画が展示されることになりました。もちろん、ポスターの図版にはなっていませんし、注意深く見ないと見逃してしまうような隅っこに展示してあるのかもしれませんが、とにかく私の絵が展示されることになる、と学芸員の方から連絡をいただきました。
もしもこの展覧会をご覧になる機会がありましたら、60号のさほど大きなものではありませんが、私の作品を探して見てください。40年近く私もその絵を見ていませんが、けっこういい作品だと思います。

それでは本題です。
先日の新聞に「謎めくマネに 心奪われて」という見出しが載っていました。美術史家の三浦篤(1957- )が書いた、ほぼ新聞の1ページを埋める記事でした。
三浦篤は『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』という本が二年ほど前に出版され、話題になっていた研究者です。三浦はこの記事の中でレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci、1452 - 1519)の『岩窟の聖母』に魅かれ、『名画を見る眼』などの著作がある東大の高階秀爾(1932 - )に美術史を教わり、さらにパリ大学で勉強して研究者になったと書いています。
彼は私より三つほど年上で、ほぼ同世代です。そして私も高階秀爾の『名画を見る眼』を岩波新書で読みました。とても読みやすくて魅力的な本だったことを憶えています。さらに彼は「また、阿部良雄先生の『群衆の中の芸術家』を読まなかったら、19世紀後半のフランス絵画を専門としていたかどうか分からない」とも書いています。その阿部良雄(1932 - 2007)の『群衆の中の芸術家』も、私は読みました。阿部は宮川淳(1933 - 1977)の親友で、私は宮川と阿部の往復書簡を読んだことから、阿部良雄の存在を知りました。阿部はボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、1821 - 1867)の研究者として有名ですが、私はボードレールの美術批評も阿部の研究も、どこかでもう少しちゃんと読み直さないといけないな、と思っているところです。それにしても、同じ時代に同じ本を読んでいながら、40年以上経つとこんなふうに差がつくものなのですね。若い方は興味が持てることがあったら、しっかりと勉強してください。ともかく、こうして三浦は卒論に選ぶほど、マネ(Édouard Manet, 1832 - 1883)に魅かれて研究を重ねてきたわけです。
それでは、マネはどんな画家なのでしょうか。『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』から三浦の解説を読んでみましょう。

ここで敢えて言い切ってしまおう。エドゥアール・マネを中心に据えた西洋絵画史を書くことができると、私は常日頃から思っている。大げさな言挙げと思われるかもしれないが、本書のねらいは一般読者にも分かる形でマネの生涯や作品を紹介することにはとどまらない。マネの画業を理解することが西洋絵画史を理解するに等しいことを論じることにあるのだ。なぜなら、マネの作品は西洋絵画の多様な伝統を吸収し、これらを素材として組み替えて、それまでにない新しいタイプの絵画を作り出し、後世に多大なる影響、インパクトを与えたからである。古典的な西洋絵画の流れがマネの中に集約される一方で、マネから始まる近現代絵画はいまだにマネが切り開いた圏域を蛇行していると言ってもよい。まさに絵画が伝統から近代へと転換する要の位置にいた画家マネが、19世紀後半のフランス絵画史において決定的な仕事を成し遂げてしまった。それはある種の美的な革命、芸術の根本的な変革なのだが、印象派の革新のように必ずしも見えやすいものではない。いやむしろ、直近の世代である印象派が成し遂げたことはある程度マネに先取りされてもいて、印象派はマネが切り開いた道を踏まえてさらに進んでいったと捉えるべきなのである。マネの作品のもつポテンシャルは計り知れず、本書では、その大きさ、広さを大胆に示してみたい。西洋絵画史においてこのような位置にいる画家は誰一人として他にみあたらないのだから。
(『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』「はじめに」三浦篤著)

一般的には、マネと言えば印象派の先行者として位置づけられ、その後の現代美術への影響という点からすれば、モネ(Claude Monet, 1840 - 1926)、ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)、ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848 - 1903)、そして誰よりもセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)の方が大きく取り上げられているのかもしれません。しかし、三浦はマネの現代美術への影響にも触れ、その可能性を示して見せたのです。それはどんな可能性でしょうか?後で見ることにしましょう。
そんなわけで、この本は西洋美術史の観点からマネを新たに見直した、それでいて読みやすく、ていねいな良書だと思うのですが、実は私の興味からすると少しはずれています。
そんなことを考えながら新聞の記事を読んでいて、そういえばフーコー(Michel Foucault、1926 - 1984)の『マネの絵画』という本、というか彼の講演録が出版されていたことも思い出しました。どんな内容だったのか、読んだ当時はあまり印象がなかったので、改めて読み直してみてびっくりしました。ちょうどいま、私が取り組んでいる絵画の課題に関わることで、それもそれまで誰も指摘しなかったような斬新な視点を含んだものなのです。
その話の詳細に入る前に、いろいろと基本的なことをおさえておきましょう。
まず、哲学者のミシェル・フーコーとはどんな人なのでしょうか?構造主義者であるとか、ポスト構造主義者であるとか、いろいろな言われ方をする人ですが、その思想はあまりに巨大過ぎて、私にはまったくわかりません。ただ、『言葉と物』(1966)を読みかじった印象で言うと、いかに私たちが現代の自分たちの視点からものごとを見ているのか、ということを理屈ではなくて、これでもか!というほどの事例から教えてくれた人です。
例えば古典主義時代と呼ばれる18世紀は、現在からそれほど遠い時代ではないような気がしますが、ものの分類の仕方ひとつとっても、今とはずいぶんと違っていました。博物学の領域を見てみると、そのなかの動物の分類として、解剖学と捕獲方法、棲息地の伝説の宮殿と食物としてのソースの味付け方法などが同じレベルで書かれているというのです。そう考えるとスウィフト(Jonathan Swift、1667 - 1745)の『ガリバー旅行記』もちょっとちがった読み方ができるのかもしれません。歴史を学ぶとき、私たちは現在を基準として昔のことを考えがちですが、その当時のものの見方(エピステーメー)を理解しないと、その時代を理解することは難しいのではないのか、ということに気づかされます。フーコーは「知の考古学」という言い方をするのですが、それは歴史よりももっと動的な、時間軸そのものを過去に移動するような視線のことだと私は理解しています。

そのフーコーの美術論と言えば、まさにその『言葉と物』の第一章の「侍女たち」におけるベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez, 1599 - 1660)の『ラス・メニーナス』を論じたものが有名です。この「侍女たち」の章は、画中の人物の視線、画家の視線、絵のこちら側の君主の視線などについて言及しながら、その視線が画面のなかだけでは追いきれなくなっていることを指摘したものです。それが「古典主義時代における表象関係の表象のようなもの」だとフーコーはいうのですが、難しいですね。この古典主義の時代と言うのは、中世までのような神の存在が鳴りを潜め、ルネサンスのような人文主義の高揚もおさまり、現代のような自然科学的な知見が世界を覆ってしまう前の、かなり屈折した、それでいて芸術が芸術として自律し始めた時代であったのだろうと思います。そこで『ラス・メニーナス』のように視線の行き場が消えてしまった、言ってみれば絶対的な視線が存在しないような表現が現れたのだと推察します。この絵を現代的に解釈すると、画中の鏡を利用した巧妙なトリック画だということになるのですが、これはいかにもつまらない見方だと思います。フーコーの解釈はこの絵に一つの時代の表象を見出すというわけですから、はるかに深く、興味深い見方です。そしてこの解釈が『言葉と物』という著作の序章をなすのに相応しいものだということは、言うまでもありません。

さらにフーコーの美術論と言えば、『これはパイプではない』というマグリット(René François Ghislain Magritte, 1898 -1967 )の有名な絵を論じた論文集(1968)があります。マグリットの『これはパイプではない』というシリーズの最初の作品は、フーコーによると「たしか1926年のものである」ということですが、何点かのヴァリエーションがあるようです。そのもっとも知られたものは、マグリット特有のシンプルな描写のパイプの絵と「これはパイプではない」という端正な文字が下に書かれた作品です。この絵の解釈はごく単純なもので、「これはパイプではない、なぜならこれはパイプの絵なのだから・・・」という子供のへ理屈のようなものです。しかし、このシンプルなメッセージこそシュルレアリスムの画家であるマグリットの真骨頂である、と言う人もいます。
しかし、ここでもフーコーはこれを単なるレトリックの問題ではなく、絵画の表象の問題として考えます。古典主義時代に絵画的表象と言語的表現が緊張感をもって分離していたのに、マグリットはそれを結び合わせてしまったことで重要な問題提起をしたのだ、と言うのです。考えてみるとコンセプチュアル・アートにおいても、画像のイメージと言語表現との関係について考察したものがいくつもありますが、マグリットの場合はオーソドックスな絵画的表現を用いたことで、絵画の歴史を遡る深い考察を誘導した、と言えるのかもしれません。とにかく、ここにおいてもフーコー的な洞察力が美術の領域においても発揮されていたのです。

それではマネの絵画において、フーコーは何を語ったのでしょうか。順序だてて見ていきましょう。
フーコーはある時期、マネに関する本を著そうとしました。しかし結局のところ、その原稿は破棄されてしまいました。そのことはとても残念なことですが、フーコーはその頃に何回か講演会を行っていたそうで、この『マネの絵画』は1971年にマネの絵画のスライドを用いて語られたものの録音から書き起こされたものだそうです。
フーコーは、自分がマネの研究者ではなく、マネの芸術の全般について語るつもりもないこと、そして大雑把に絵画の伝統について説明した後で、次のように語っています。

マネが行ったことは(少なくとも、それがマネによって西洋絵画にもたらされた変化の重要な側面のひとつだと思うのですが)、いわば、タブローに表象されているものの内部において、絵画そして絵画の伝統がそれまでにかわし、覆い隠すことを使命としていた、キャンヴァスの物質的特性、性質、そして限界を再び出現させたということなのです。
長方形をなす表面、垂直や水平の主要な軸線、キャンヴァスに対する現実の光による照明、鑑賞者がさまざまな方向からキャンヴァスを眺められる可能性、それらのすべてがマネの絵に含まれています。マネの絵のうちに、それらが再び与えられ、再現されているのです。そしてマネは<オブジェとしてのタブロー>、すなわち物質性としてのタブロー、外部からの光が照らし出し、鑑賞者がその前や周囲で向きを変えることのできる、色を塗られた<もの>としてのタブローを甦らせたのです(あるいは、発明したといてもよいでしょうか)。このように(オブジェとしてのタブロー)を発明したこと、表象されているもののうちにキャンヴァスの物質性を取り込んだこと。それが、私が思うにマネが絵画にもたらした大きな変化の核心であり、その意味において、マネは印象派を準備することができたものを越えて、クワトロチェンコ以来の西洋絵画において基礎をなしているもののすべてをひっくり返したのだ、ということができるのです。
(『マネの絵画』ミシェル・フーコー著 阿部崇訳)

ちなみにクワトロチェント(Quattrocento)はイタリア語で「400」という意味だそうで、芸術史上で1400年頃、すなわちルネサンスの頃のことを指すのだそうです。そして、マネは絵画の物質性、「オブジェとしてのタブロー」を「発明」したのだとフーコーは言います。彼はこうも書いています。

確かに、マネは印象派の先駆者であるというのは正しい。彼が印象派を可能にしたのです。しかし私が触れたいのはその点についてではありません。マネは、印象派を可能にしたということ以外のこと、あるいはそれ以上のことをしたように思われるからです。マネが印象派をも越えて可能にしたのは、印象派以後のすべての絵画、20世紀絵画のすべてであり、今もなお現代美術がその内部で発展し続けているような絵画だったのではないか、と思われるのです。マネがもたらした奥深い断絶、あるいは深いところでの断絶は、おそらく、印象派を可能にした変化の総体などよりもいささか位置づけの難しいものです。
(『マネの絵画』ミシェル・フーコー著 阿部崇訳)

マネが「オブジェとしてのタブロー」を「発明」したことは、マネが印象派を可能にしたこと以上のできごとだと、フーコーは言っています。このマネの絵画の「物質性」による現代絵画への影響という指摘は、私にとって意外なものでした。
例えば三浦篤の『エドゥアール・マネ』においても、マネの絵画の現代への影響について語られています。しかしそれはマネの絵画の平面性からボナール(Pierre Bonnard, 1867 - 1947)やマチス(Henri Matisse, 1869 - 1954)について語られ、あるいはマネの先鋭的なモチーフの選び方からアンディ・ウォーホル (Andy Warhol、1928 - 1987)などのポップ・アートへと話が及び、さらにマネの絵画の写真への親和性からトーマス・ルフ (Thomas Ruff, 1958 - )や森村泰昌(1951 - )などへの波及について考察されたものです。
これらの、主にマネのモチーフとの向き合い方やイメージの扱い方についての現代への影響については、実は沼尻真理子(1949 - )という研究者が『マネと現代美術』(1988)という著作において、ハイパー・リアリズムやアンディ・ウォーホルを取り上げながらすでに40年以上前に論じていました。
しかし、フーコーが語ったマネの絵画の「物質性」という指摘は、彼らの見方とはまったく異なります。

ここで、マネの『ボルドーの港』(1871)という絵についてフーコーの語った部分を引用しておきましょう。この作品はマネの絵の中でも『草上の昼食』、『オランピア』、『バルコニー』、『フォリー・ベルジェールのバー』ほど有名ではないので、画像の見られるアドレスも貼っておきます。(これはアマゾンの複製画販売のページです。うまく見られなかったらごめんなさい。)
https://www.amazon.co.jp/プリキャンバス-マネ・「ボルドー港」-プリキャンバス複製画・-ギャラリーラップ仕上げ-6号サイズ/dp/B00KDXNTJI)
それでは、フーコーの文章を読んでみましょう。

さてこのタブロー、1872年のものだったと思いますが、ここではご覧のように、主に垂直軸と水平軸とが機能しています。この垂直・水平の軸は、もちろん、キャンヴァスを取り囲み、タブローの枠そのものを形づくっている例の水平・垂直軸を、絵の内部で繰り返しているものです。しかしそれは同時に、いわば絵画の透かし模様のように、キャンヴァスそのもの、物質性をもつものとしてのキャンヴァスを織りなす、水平・垂直の繊維のすべてを繰り返してもいるのです。
それはあたかも、キャンヴァスの繊維がそのまま現れてその内部の幾何学的形状を見せているかのようであり、キャンヴァス自体は大雑把に描いたかのようにここで糸が交差しているのがご覧いただけます。また、もし仮にこの(画面上左上の)部分、絵の4分の1か6分の1かを切り離してみるなら、それがほとんど垂直と水平、すなわち直角に交わる線同士の戯れ(=作用)だけで成り立っているのがお解りでしょう。そして、皆さんのうちで、モンドリアンが木を描いた絵、というより、1910 – 1914年にかけて木を描いた一連のヴァリエーションをご存知の方がおられましたら、まさしくここに抽象絵画が生まれているのがお解りでしょう。モンドリアンはその有名な木の絵を描くことで、そこから、カンディンスキーと同時代に抽象絵画を発見したのでしたが、それはいわば、マネが『ボルドーの港』で船を描いたのと同じようなことだったのです。その木からモンドリアンが最終的に引き出したのは、直角に交差し、骨組みというか格子模様、水平・垂直な直線がおりなす骨組みのようなものを作りだす、そうした線の戯れだったわけです。そしてそれと同様に、このもつれ合う船、この港の動き全体からマネが引き出すに至ったのは垂直線と水平線との戯れであり、それは、物質性をもつものとしてのキャンヴァスの構造についての幾何学的表象にほかならないのです。キャンヴァスの生地がもたらすこうした作用(=戯れ)は、面白くもあれば、その時代にとっては全くスキャンダラスでもあったわけですが、次の絵、『アルジャントゥイユ』のうちにそれを再びみることができます。
(『マネの絵画』ミシェル・フーコー著 阿部崇訳)

ここでフーコーがマネの絵画に見出している「物質性」というのは、なかなか高度なものです。ふつう私たちは絵画の物質性と言えば、絵具のマチエールであったり、キャンヴァスの布目であったり、あるいはその表面にコラージュされた何かであったりします。例えば私がこのblogで取り上げた岡崎乾二郎(1955 - )の『抽象の力』(2018)では、抽象絵画の物質性が称揚されたのですが、それはこんな記述でした。

キュビスム以降の芸術の展開の核心にあったのは唯物論である。
すなわち物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける。その具体性、直接性こそ抽象芸術が追究してきたものだった。アヴァンギャルド芸術の最大の武器は、抽象芸術の持つ、この具体的な力であった。
だが、第二次世界大戦後、こうした抽象芸術の核心は歪曲され忘却される。その原因の一つは(アメリカ抽象表現主義が示したような)抽象を単なる視覚的追究とみなす誤読。もう一つは(岡本太郎が唱えたような)抽象をデザイン的な意匠とみなす偏見。三つ目は(具体グループが代表するような)具体という用語の誤用である。これらの謬見が戦前の抽象芸術の展開への正当な理解を阻害してきた。ゆえにまた、この世界動向と正確に連動していた戦前の日本の芸術家たちの活動も無理解に晒されてきたのである。
(『抽象の力 近代芸術の解析』「緒言」/豊田美術館「抽象の力」展 図録より)

この「物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける」というところの「物質」というのは、まさに「物質」であって、例えばアヴァンギャルド芸術に見られるような、画面上になかば暴力的に貼り付けられた物質のことです。この物質性が「抽象の力」であったのですが、グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)らのフォーマリズムが、絵画を「視覚的追究とみなす」という「誤読」をしてしまったために、忘れられてしまったのだ、というのが岡崎の言いたいことだと思います。
しかし、ここでフーコーがマネの絵画に見出した「物質性」は、視覚的に感受された「物質性」のように読めるのですが、いかがでしょうか?フーコーはキャンヴァスそのものの「物質性」について触れた後で、マネが『ボルドーの港』で強調した「垂直と水平、すなわち直角に交わる線同士の戯れ」によって、キャンヴァスの「物質性」が表象されているというのです。つまり絵画の「物質性」を意識させるものは、画面上の素材の物質感だけではなくて、描かれた線によって視覚的にキャンヴァスの「物質性」を感じさせるのだ、とフーコーは言っているのです。
これは、「触覚性絵画」を標榜している私にとって、大変に示唆に富んだ指摘です。絵画における「物質性」を意識させるものは、文字通りの物質だけではなく、視覚的な表現によって「物質性」を感じさせることも可能だ、ということをフーコーは言っているわけで、このことを私は絵画の「触覚性」と呼びたいのです。
それから、ここでフーコーが取り上げているモンドリアン(Piet Mondrian、1872 - 1944)の木の絵ですが、これらの絵はモンドリアンの作品の中でも興味深いものです。なぜなら、この頃のモンドリアンの作品がもっとも生のままの絵画に近く、そういう意味ではモンドリアンがキャンヴァスの構造に一番近づいていた時期の作品なのだと思います。完成度の高いこれ以降のモンドリアンの抽象画よりも、私はこの時期のモンドリアンの作品の方が「物質性」が強かったのではないか、と思います。

さて、さらに他の作品のフーコーの解説も見てみましょう。有名な『バルコニー』(1868-9)という作品です。この作品をご存知ない方は、『ウィキペディア(Wikipedia)』のマネの項目で調べていただければ簡単に見つけられます。それでは、フーコーの解説です。

光はタブローの中に入り込むかわりに外部にある。というのも、われわれの方はバルコニー上にいるからです。真昼の日光を仮定してみましょう。それはバルコニーを真正面から照らし、ここで人物たちを照らし、影を浸食してしまうほどです。この大きなドレスの白い広がりには、いかなる影も描かれてはおらず、かろうじていくつかの輝く光の反映があるだけです。その結果、いかなる影もなく、すべての部屋の中にあるものは見えないからです。そしてタブローは、明暗法を用いたタブロー、すなわち影と光が混ざり合うタブローとなるのではなく、ひとつの奇妙なタブローとなります。そこでは、すべての光が片方に、すべての影がもう一方に、つまりすべての光はタブローの前面に、すべての影はもう片方に位置しており、あたかもキャンヴァスの垂直性そのものが、背後の影の世界と前面の光の世界とを分け隔てているかのようです。
<中略>
そしてここでも、三人の人物がそれぞれ別の方向を見ており、もちろんわれわれには分からない強烈な光景に心を奪われていることによって、不可視性が示されているようです。それぞれ別の光景、というのも、ひとつはキャンヴァスの前に、もうひとつはキャンヴァスの右、三つめは左にあるからです。いずれにせよわれわれには何も見えておらず、ただそのまなざしだけが見えます。あるいはひとつの場所ではなく、ひとつの動作を見ているわけですが、それはまたしても手の動きであって、閉じた手、半ば開いた手、完全に開いた手。そして、手袋をした手、手袋をしようとしている手、手袋をしていない手。そしてこの経巡っている同じ動作こそが、つまるところ三人の人物が行っている動作なのです。手の形づくるこの円環だけが、先ほど『温室にて』や『草上の昼食』でみたように、タブローのちぐはぐな諸要素を繋ぎとめています。そしてそのちぐはぐさとは、不可視性そのものの炸裂にほかならないのです。
(『マネの絵画』ミシェル・フーコー著 阿部崇訳)

この絵に描かれている光と影は、画面の前面と後方とを分け隔てているものであり、それはキャンヴァスの垂直性によってそうなっているかのようだ、とフーコーは書いています。マネは現実の光が複雑に遮られたり、反射したりしながら部屋の奥へと伸びていくような描写には、まったく興味がありません。そして確かにこの絵を覆っているのは、キャンヴァスの構造を彷彿とさせるバルコニーの鮮やかな垂直と水平の線であり、さらには絵画的な奥行をはぐらかすような三人の人物のばらばらの視線です。そこには絵画らしい物語を拒否するフラットな現実を感じます。
それにしても、フーコーの美術評論家ばりの絵の解説が見事です。そこには絵画の描かれた背景であるとか、作者に関するうんちくであるとか、そういうことは一切書かれていませんが、それでも画面上から読みとったことだけで十分に絵について語っています。
せっかくなので、もう一枚取り上げてみましょう。『鉄道』(1873)という作品で、少女と女性が鉄道の煙が背後に見える場所に佇んでいる絵です。二人のすぐ後ろには鉄の柵があり、少女は後ろ向きに立って柵をつかんで機関車を見ているようですが、煙でよくわかりません。一方の帽子をかぶった女性はこちらを向いて座っていますが、視線は私たちの背後の何かに向けられています。
この作品についても、ご存知ない方は、『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べていただければ簡単に見つけられます。フーコーの解説は次の通りです。

ここでも再び同じ具合です。もちろん、相変わらず同じように同じ垂直と水平を見ることができます。この垂直線と水平線が、このタブローの、この絵の一種の面を決定しています。また、ここには先ほどの『給仕する女』に見られたのと同様の二人の人物、つまり一人はこちらの方向を見ていて、もう一人がわれわれと同じ方向を見ているという、「互い違い」と呼べるような二人がいます。一人はこちらに顔を向けていて、逆に、もう一人はこちらに背中を向けている。さて、この女性が見ているものですが、女性はそれにかなり気を取られているのがお解りでしょう。われわれにはその光景が見えません。というのも、それはキャンヴァスよりも前方に位置しているからです。そしてこの少女がみているものはというと、われわれには見えません。というのも、マネが通り過ぎてゆく列車の煙をここに描いていて、もはや何も見えなくなっているからです。もしもそこに見えるはずのものを見ようとすれば、少女の肩越しに向こうを眺めるか、あるいは絵の向こうに回り込んで、女性の肩越しにこちらを眺めなければならないことになります。
キャンヴァスが表と裏をもつひとつの平面たらしめているような、そうした物質的特性をマネがどのように用いているか、こうしてお解りでしょう。現在まで、表と裏とを利用することに興じた画家は、ほかに一人もいません。ここでマネはそれを行っているわけですが、それは絵の前と後ろを描くということにおいてではなく、いわば鑑賞者に、見えるはずだと感じるもの、しかし絵の中には描かれていないものを見るためにキャンヴァスの周りを回り、場所を移動したいという欲求を持たせることにおいてなのです。キャンヴァスの表面そのものによってもたらされるこの不可視性の戯れを、タブローのまさしく内部で作動させるのです。ご覧のようにそれは陰険で、こちらを嘲弄するようで、意地悪と言えるようなやり方なのです。というのも、絵画が、見えない何ものかを見せているものとしておのれを提示するというのは、まるで初めてのことだからです。視線がそこにあって、何か見るべきものがそこにあると知らせている。しかしその「何か」は、定義上、絵画の性質からして、そしてキャンヴァスの性質からして、必然的に見えないものなのです。
(『マネの絵画』ミシェル・フーコー著 阿部崇訳)

フーコーが注目するのは、またしても描かれた人物のばらばらのまなざしであり、それに関連した前方と後方の大きな空間構成です。少女の見ているはずの煙の向こうの光景と、こちらを向いている女性が心奪われているものとの間で、私たちは引き裂かれています。それは「キャンヴァスの表面そのもの」という物質的な場所で起こっていながら、「タブローのまさしく内部で作動」していることから、純粋に視覚的な出来事なのです。ここにもマネ独自の絵画の「物質性」が表象されています。私たちは絵の裏側を、あるいは絵のこちら側を見たいという欲求に駆られるものの、キャンヴァスの周囲を巡っても無駄だということを知っています。私たちは絵の中に視覚的に入り込むしかないのですが、それでも何も見ることができません。その不可能な構造を作り上げたマネのことを、フーコーは「意地悪」だと言うのです。
そしてフーコーは、こんなことをした画家はマネが初めてだと言っていることに注意しましょう。さらに言えば、こんなことに気づいた鑑賞者も、フーコーが初めてなのかもしれません。少なくとも私はフーコーの他にそんな人を知りませんし、この貴重な発見を知ってびっくりしたわけです。
私の驚きが、うまくみなさんに伝わったでしょうか?

ところでここで、『鉄道』という同じ絵を美術史家やフォーマリズム批評では、どのように解説するのか見てみましょう。文章の長さが異なるので、その優劣を見るのではなく、絵の見方を比較してみてください。
次の引用は、美術史家である先ほどの三浦篤の『エドゥアール・マネ』からのものです。

中でも、近代都市パリを象徴する斬新なテーマを取り上げた『鉄道』は、モネの「サン=ラザール駅」連作(1877)やカイユボットの『ヨーロッパ橋』(1876、ジュネーブ、プティ・パレ友の会)に先行しているのが注目に値する。それは新しいアトリエからも遠くない、線路脇の建物の庭から眺めた場面で、背景には線路の向こう側の建物やヨーロッパ橋の一部が見えている。基本的には鉄柵の前で女性と少女がポーズする人物画ではあるものの、通過する汽車の存在を白煙で暗示し、印象派に近い外光表現への関心も表れている意欲作にほかならない。
(『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』「主題としてのパリ」三浦篤著)

よく読むと、限られた字数の中で美術史的な知見と情報が無駄なく配置されています。これがどういう時代に描かれたのか、マネは表現者としてどういう位置にあったのか、このわかりにくい光景がどういう場所で描かれたのか、など数行の中にみごとに書かれています。一般的な教養としてマネを知りたい人には格好の案内となっていて、なおかつ「意欲作にほかならない」というさりげない評価も混じっています。
さらにもう一人、歯ごたえのあるフォーマリズム批評の文章も読んでみましょう。

最後に、この作品の生きた平面性との関連から『鉄道』について触れておきたい。幼女が握っている鉄柵は、その中央部に向かって間隔が狭まっており、手前に向かってかすかに湾曲しているようにして表されている。その背後には画面の両端の家屋などを残して白い煙が描かれている。背景はこの煙でシャット・アウトされ、表現としてたぐい稀なる煙が背景ならざる背景となる。この点で、画面は平面的である。この煙の色彩は幼女の衣服と繋がるが、しかしそのより灰色がかった白、そして青は煙より暗く、それが書物を広げている女性の青い衣服とかかわる。大雑把にいって、白い煙の背景=明、鉄柵を含めた前景=暗という対比が生じている。この関係のなかで明の煙が前出し、後退しようとする暗の鉄柵を前の場所に押し戻そうとするとき、この場所がわれわれに向けて奥行を作り出すのである。それには手前に湾曲する鉄柵も作用していよう。通常、平面的といわれているこの作品の不可視の深さと広がり、それは、『草上の昼食』に潜在していたイリュージョンの開示である。
(『絵画論の現在』「エドゥアール・マネ」藤枝晃雄著)

この『鉄道』という作品は、全体的な構成としては「平面的」でありながら、そのなかで作者がどのようにして奥行きを作り出しているのか、藤枝晃雄(1936 -2018)は徹底的に読み取ります。このblogでは、グリーンバーグの主導したフォーマリズムが絵画の平面性を提唱しながら、それは完全な平面ではない、と言ったことを何回かご紹介しました。それは矛盾した見解のように見えますが、この藤枝の批評を読むと、その狭い空間の中で優れた画家はどのようにして奥行きを創出するのか、それを優れた批評家がどのようにして分析するのか、がよくわかります。その細やかな感覚と高い知性に魅かれる方は、フォーマリズム批評が合っているのかもしれません。それは息詰まるような緊張感のある批評世界ですが、もっと世界を広げてみたい、という欲求も理解できます。
そのことについて、このblogでも見てきましたが、覚えていますか?グリーンバーグ以降のアメリカの美術批評について何回か書きましたが、私も勉強して、もう少し書き足したいと思っています。もしも分かったことがあったら、私にも教えてください。

さて、このように比較すると、美術史的な批評と、フォーマリズム批評とはずいぶんと違っていましたね。そして今回のフーコーは、どちらかというとフォーマリズム批評に近い見方で絵について語っていました。しかしフーコーはマネの絵画の「物質性」に着眼点を置いていることにおいて、フォーマリズム批評の「視覚追究」の姿勢からは、はみ出しています。
そしてフーコーは、結局、マネに関する著作を残さずに亡くなってしまいました。このフーコーが指し示したマネの絵画の物質性について、(これだけがどうして幸運にも講演録として残っていたのか、この偶然の理由はよくわかりませんが・・・)これは私たちにとって、とても大切な遺産になるのかもしれません。
これからもう少し注意深くマネの絵画を見て、そしてフーコーの思想についても調べてみる必要がありそうです。あまりに巨大過ぎて、ちょっと近づき難いのですが、あせらずに頑張りましょう。

 
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