今回は、画家に関する本の紹介です。
『放浪の聖画家ピロスマニ』
(集英社新書ヴィジュアル版) 新書 – 2014/12/17
はらだ たけひで (著)
<内容紹介>
パブロ・ピカソも激賞したグルジアの孤高の画家ニコ・ピロスマニ。一九世紀から二〇世紀にかけて活躍。作風はイコン(聖像画)の系譜をひき、今も多くの人を魅了。その代表作と評伝で魅力を伝える。
<内容(「BOOK」データベースより)>
「私の絵をグルジアに飾る必要はない。なぜならピロスマニがいるからだ」と、かのパブロ・ピカソに言わしめた孤高の画家ニコ・ピロスマニ。一八六二年に東グルジアの貧しい農家に生まれ、日々の糧とひきかえに酒場に飾る絵や看板を描き、一九一八年、孤独の内に亡くなったと伝えられる。作風はイコン(聖画像)の系譜をひき、今も多くの人を魅了し続けている。本書はオールカラーでその代表作を完全収録。漂泊する天才の魅力を余すところなく伝える。
以上、アマゾンに記載されている本の情報です。
みなさんは、ピロスマニ(Niko Pirosmani, 1862 - 1918)という画家をご存知でしょうか。
マイナーな画家だと思っていましたが、日本でもぽつぽつと展覧会が開催されたり、本が出たりしているようです。今回は、手軽な新書版が出版され、図版も多いのでお薦めです。ピロスマニの生涯や作品を紹介する本の文章は、ピロスマニの作品のように素朴で、ちょっと読んでいて飽きるところもありますが、この画家に関する本としては、かえってそれがよかったように思います。
私は学生時代に、映画『ピロスマニ』でこの画家のことを知りました。実はこの本の著者は、その映画の上映当時、岩波ホール(この映画を日本で紹介した映画館です)で働いていたそうです。それ以来、この画家に魅入られてしまったということです。私はたぶん、岩波ホールではなくて、名古屋の名画座のようなところでこの映画を見たはずです。そのころ、私の仲間うちではこれがかなり話題になりましたし、その数年後にピロスマニの展覧会もあって、彼の本物の作品に触れる機会もありました。
そのピロスマニの絵画ですが、描写は素朴だけれども、不思議な風格があります。その点では、素朴派のアンリ・ルソー(Henri Julien Félix Rousseau、1844 - 1910)と似ています。ただし、ルソーの場合、絵の具の扱い方や色の使い方など、アカデミックと言ってよいような印象を与えますが、ピロスマニの技法はもっと破天荒なものです。ピロスマニの描き方は、ほとんど即興といってよいもので、制作時間もかなり短かったそうです。絵の具の層は薄く、黒地のキャンバスに線や陰影部分を描き残すような、特殊な描き方をしているものも数多くあります。絵画、タブローというよりは、街中の看板の描き方に近いものです。ピロスマニにとっては、看板でも、タブローでもたいして違いはなかったのかもしれません。絵の掲げられる場所が、酒場の外壁であろうが、室内であろうが、知り合いの寝室であろうが、人に見てもらえるということにおいては、たいして違いはなかったのでしょう。
そのピロスマニの絵画が素朴に見えるのは、モチーフの立体表現や遠近法が写実的なものではないからです。人物のプロポーションや顔の描写も、子供の絵のようにデフォルメがされています。しかし、素朴ではあっても、その作品が発するイメージの喚起力は優れたものです。この新書版の小さな図版で見ると、風景の部分や群像描写などは、見方によってはヨーロッパの古典的な絵画のような確かな存在感があります。描かれたものの構造は単純なのに、その見え方のスケールが大きくて、広々とした空間を感じさせるのです。それは彼の中に、描く前から確固としたビジョンがあったからでしょう。
画家の中には、そういうビジョンが描く前からしっかりとあって描く人と、描きながらビジョンを作っていく人がいると思うのですが、ピロスマニは前者のタイプだと思います。残念ながら、私はそういうビジョンが浮かばないタイプの人間なので、ピロスマニの絵画を見ると、ただひたすらにすごいなあ、と思ってしまいます。この本の解説によると、描かれた人物の服装(例えば軍服)などは本物とは異なるものがあって、それはピロスマニの想像上のものだそうです。しかし、それが少しも不自然ではなくて、描写として物足りないということもありません。こういう画家にとっては、現実のモデルが不在であっても、いっこうに不自由しなかったのでしょう。才能がない絵描きならば、こういう場合に細部の曖昧さが気になってしまうものです。
ところで、ピロスマニの作品は、一時期、前衛的な芸術家から評価され、それが原因で幼稚な作品として新聞の風刺画などで蔑まれる、という逆風にあいます。「ただ、絵を描いているだけだ」という画家でしたが、世間は彼に淡々と絵を描かせてはいませんでした。時代はすでに、モダニズムの喧噪の時代に入っていたということなのでしょう。
グルジアという遠い国の、100年も前の時代のことなので、彼がどういう状況の中で生きたのか、私にはわかりません。しかし、ピロスマニの人となり、その周囲の世界のことが、ちょっと気になるのは映画を見たせいかもしれません。本の著者、はらだ たけひで氏が、わざわざグルジアまでピロスマニの取材に行った気持ちが、少しわかる気がします。当時の岩波ホールが紹介した映画には、そういう力がありましたね。映画そのものだけでなく、そこで描かれたものにどのような背景があるのか、覗いてみたくなるような、そんな気持ちにさせる力です。例えば『旅芸人の記録』という映画を見て、近代以降のギリシアという国について興味を持った人も多かったのではないでしょうか。私自身は、古代のギリシア彫刻以外のことは、この国について何も知らないのだな、あらためて思ったものです。
ほとんど映画を見なくなってから20年くらいたちますが、現在の岩波ホールの映画はどのようなものでしょうか。支配人の高野さんが亡くなったときには、だいぶ話題になりましたが、それもずいぶん前のことですね。時間に余裕ができたら、また行ってみたいものですが・・・。
話がそれました。最後になりますが、ピロスマニの作品はたいへん個性的なものですから、好き嫌いが分かれるところだと思います。すこしでも興味がある方には、この本はコンパクトでよいと思いますよ。
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