私事ですが、2月25日(月)から3月2日(土)まで、京橋の「ギャラリー檜B・C」で展覧会を開催します。「1987 – 2019 描くことのreality」というタイトルを付し、会場ではそのために書いたテキストを配布します。
(http://hinoki.main.jp/img2019-2/exhibition.html)
このblogでは、はじめに展覧会前に画廊から配信したプレスリリースを掲載します。
<展覧会前のプレスリリース>
1987年制作のドローイングから2019年制作の水彩画、油彩画までを展示します。この間、作品の様式は変化してきましたが、つねに「描くことのreality」を求めて制作する姿勢は、変えなかったつもりです。そのことを、展覧会のタイトルとして付してみました。さらに自分の作品について考察した文書を、展覧会までに準備したいと思っています。
ということで、予告した文書は、次の通りです。
<テキスト「1987 – 2019 描くことのreality」>
もうだいぶ古い話になりますが、画家の野見山暁治(1920 - )の著書に、『絵そらごとノート』(1984年発行)というタイトルの本があります。これは絵について書かれたエッセイ集なのですが、なぜ絵描きの野見山が「絵そらごと(絵空事)」という言葉をタイトルに用いたのか、以前から気になっていました。そこで「絵空事」という言葉の意味を辞書で引いてみると、「絵には美化や誇張が加わって、実際とは違っている意から、大げさで現実にはあり得ないこと。誇張した表現。」と書かれています。絵画というものは、そもそも視覚的な「illusion」=「錯覚」による表現ですから、これはよくできた言葉だと思います。野見山は、自分の書いたエッセイなど「絵空事」みたいなものだよ、と言いたかったのか、それとも絵画というものは、いかにもっともらしい言葉で説明しても所詮「絵空事」だよ、と言いたかったのか、いずれにしても一見すると肩の力が抜けたような、あるいは一歩引いて見たような、そんな視点が野見山暁治という画家の魅力だと思います。その野見山が、自分の絵についてこんなふうに書いています。
永いこと絵は描いてきたつもりでいるが、自分の使っている油絵具についてさえいい加減で、時がたつにつれて古い絵に黴が生えたり、剥落があったり、ひどい話だ。ひたすら肌に伝わる感触だけで暮らしてきている。
(『絵そらごとノート』「あとがき」野見山 暁治著)
この文章から、絵具や画材に関する知識や技術について本人があまり気にしていないことが読み取れますが、これが謙遜ではなくて事実だとしたら、ちょっと問題かもしれませんね。しかし、ここで注目したいのは、「肌に伝わる感触だけで暮らしている」という部分です。「肌に伝わる感触」、つまり絵に対する触覚性が、野見山の絵画にとって重要な特質だと私は考えます。いくら絵画は「絵空事」だとうそぶいてみても、画家が絵を描くということ、絵にさわる行為によって制作するということは、まぎれもない事実です。野見山の絵に関して言えば、それが具象的に見えても、抽象的に見えても、極端なことを言えば何が描かれていても、私にとってはどうでもいいことです。それよりも絵に生き生きとした「触覚性」があるのかどうか、そこに「reality」が感じられるのかどうか、が重要なことだと思っています。絵が「絵空事」だということを熟知している画家にとって、描くときの「触覚性」が作品の「reality」となっているのではないか、と私は考えます。
さて、今回私は「描くことのreality」というタイトルで個展を開くことにしました。ここでの「reality」という言葉の意味が単なる「事実」という意味ではないことは、何となくご理解いただけたのではないかと思います。所詮「絵空事」である絵画ですが、その表現が「reality」を持っていることを、野見山暁治の著書を手掛かりとして説明したかったのです。
ところで現在の世界を見渡すと、「絵空事」という言葉と似ているようでいて、まったく異なる意味の「fake」という言葉が幅を利かせているようです。「絵空事」が絵画の虚構性を誇張した言葉であるとするなら、「fake」は「偽造」とか「贋作」といったことを表す言葉です。したがって、「fake」という言葉の中に「reality」は存在しません。しかし残念ながら、世界の少なからぬ人たちにとって、ときに苦々しい現実を突きつける「reality」よりも、自分にとって都合のよい「fake」の方が信じるに値する、と考えられているようです。そして、そうすることが自分に正直に生きることであって、苦々しい現実に耐える必要などないのだ、という考え方から「fake」が肯定されてもいるのです。
こんな時代だからこそ、「reality」という言葉をあえて展覧会のタイトルとして使ってみるのもいいのかな、と考えました。私は自分の表現に「reality」を求めて制作してきたつもりですし、また多くの表現者が自分にとっての「reality」を求めているのだと考えてきました。しかし、それが独りよがりのものであれば、「fake」とさして変わらないものになってしまいます。そこが難しいところですが、「reality」というからには自分にとって切実なもの、大切なものであることは間違いないはずです。そして表現である以上、それを他者と共有できるものにまで昇華させなくてはなりません。そう考えると、「reality」について語ることは簡単なことではありません。
それでは、絵画にとって「reality」とは、いったい何なのでしょうか。先ほどの例のように、ある画家にとってそれは「触覚性」であるのかもしれませんが、すべての画家にとってそうだとは言えません。それは画家が何を目指して絵を描いているのか、あるいは何のために表現しているのか、という根本的な問題と繋がっているのだと思います。今回は私の展覧会に関する文章なので、その制作の年代に即して書き進めていくことをお許しください。
少し前のことになりますが、埼玉県立近代美術館に『辰野登恵子 オン・ペーパーズ A Retrospective 1969-2012』(現在は名古屋市美術館で開催されています)という展覧会を見に行きました。辰野登恵子(1950 – 2014)は、私より一回り上の世代になります。この展覧会については、前のblogでちょっとした感想を書きましたが、そのカタログに彼女が学生時代のことを回想して語った言葉が紹介されています。それは、「キャンバスに筆で描くことが完全に古いと思われていた」という言葉です。絵画科油画専攻で大学に入学した学生にとって、それはなかなかつらい時代だったのではないかと想像しますが、そういう時代の流れの中で、辰野はシルクスクリーン版画をはじめます。そして少しずつ、版画からミニマルな絵画へと移行していくことになるのです。やがてキャンバスや紙に筆や鉛筆で描くようになると、画面に有機的な形体が現れてきます。それが1970年代から80年代にかけてのことで、私の学生時代と重なります。「キャンバスに筆で描くことが完全に古いと思われていた」という辰野の言葉は、そのまま私の年代にも当てはまりますが、その一方でミニマルな絵画や、そこから展開した(と思われる)絵画なら許容されるようになっていました。例えばフランク・ステラ(Frank Stella, 1936 - )のような作品です。さらに1970年代後半になると、新表現主義とかニュー・ペインティングとか言われる絵画が海外から流入し、美術の世界全体が何だかわけのわからない様相を呈してきました。辰野の作品に有機的な形体が現れたのもその時期だったので、それが流行の先取りのように思われていた面もありました。しかし『辰野登恵子 オン・ペーパーズ』を見ると、辰野をミニマルな作家と位置付けることの方がむしろ違和感がある、と私は感じたのでそのことを先のblogに書きました。
そんな混沌とした時代のなかで、私は目まぐるしく移り変わる流行を追うことができず、また、その波に乗るような才覚もありませんでした。とりあえず、近代以降、絵画がその平面性を追求してきたということ、そして伝統的な遠近法や旧套的な画面構成からの解放を試みてきたこと、などを足掛かりに考えるしかありませんでした。今回展示した1987年のパステルの作品は、そんな状況の中で色相の移り変わりだけを唯一の構成要素として描いた作品でした。パステルという素材を用いたのは、絵具の混色によるグラデーションではなくて、画面に直接触れる実感=「reality」が欲しかったからだと思います。
それから、素材の物質性や絵画という制度そのものへの問い直し、ということも考えざるを得ませんでした。日本の「もの派」と言われる人たちの作品はもちろんのこと、フランスの「シュポール/シュルファス」という現代美術の動向なども気になっていました。今のようにインターネットがそれほど普及していない頃のことです。断片的な情報しか得られない中で、矩形の絵画形式への問い直しを考え、タブロー形式から離れた表現を試みました。当時は理論的なことなどはまったくあいまいなままでしたが、例えば1995年に『批評空間 (第2期臨時増刊号) モダニズムのハード・コア―現代美術批評の地平』という雑誌が発行されるまで、グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)の論文、『モダニズムの絵画』(1960)の日本語訳を読んだこともなかったのです。こういう重要な論文は、学生時代に触れておきたかったと思います。次の文章はそのなかでも、もっとも話題になるところです。
しかしながら、絵画芸術がモダニズムの下で自らを批判し限定づけていく過程で、最も基本的なものとして残ったのは、支持体に不可避の平面性を強調することであった。平面性だけが、その芸術にとって独自のものであり独占的なものだったのである。支持体を囲む形体は、演劇という芸術と分かち合う制限的条件もしくは規範であった。また色彩は、演劇と同じくらいに、彫刻とも分かちもっている規範もしくは手段であった。平面性、二次元性は、絵画が他の芸術と分かち合っていない唯一の条件だったので、それゆえモダニズムの絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性へと向かったのである。
(『グリーンバーグ批評選集』「モダニズムの絵画」クレメント・グリーンバーグ著、川田都樹子・藤枝晃雄訳)
なんと明快で力強い文章でしょうか。しかし、この同じ論文の中で彼は「モダニズムの絵画が自己の立場を見定めた平面性とは、決して全くの平面になることではあり得ない」とも書いているのです。つまり、まったく平面的なミニマル絵画をグリーンバーグは評価していないのです。
そんなことが明らかになっていくなかで、「シュポール/シュルファス」の作品をまとまって見る機会もありました。そのはじめての展覧会が、『1970年・南仏—パリ シュポール/シュルファス展』(埼玉県立近代美術館/1993年)です。この動向の一部の作家の作品は、すでに日本でも紹介されていましたし、その代表的な作家であるクロード・ヴィアラClaude Viallat(1936― )は、この頃には国際的な作家になっていました。しかし、このタイミングで公共の美術館がこの展覧会を企画したことは、やはり素晴らしいことだったと思います。さらに『ポンピドゥー・コレクションによるシュポール/シュルファスの時代 ニース~パリ 絵画の革命 1966~1979』(東京都現代美術館/2000年)が後に開催されましたが、この時には、すでに私は「シュポール/シュルファス」の作家たちに対して、ある程度批判的な視点も持っていました。それでも本物の作品に触れることが、日本にいる私にとって大切な機会であったことには変わりありません。
その「シュポール/シュルファス」の作品を見ると、絵画の木枠、キャンバスといったタブロー形式を疑い、再検討し、それを解体した形で表現すること、当時の言葉でいえば「脱構築」することが、表現の目的となっているようでした。もちろん、彼らの多様な表現活動はそれだけではありませんが、その「脱構築」運動の熱が、彼らにとって表現の「reality」だったことは間違いないと思います。しかし彼らの活動の、そのあとに開かれるべき表現領域というものが一体いかなるものになっていくのか、私にはよくわかりませんでした。彼らは私よりずっと年上ですが、広い意味では同じ時代の現代美術の中で表現活動をしているわけですから、「脱構築」のあとに何をすべきなのか、それは私自身が考えなくてはならないことだったのです。とりあえず私は、矩形の絵画形式から離れることについて、あまりこだわらないことにしました。それよりも自分の作品を見やすいかたちで表現することの方が大切だ、と考えたのです。結果的に自分の作品が矩形の形式になっていても構わないし、そうでなくても気にしません。いま自分が探究すべきことは絵画の平面性の問題であり、もうすこし詳しく言えば、ただ平面的な画面を目指すのではなくて、平面性と絵画的なillusionとの相関関係を探究していくことが自分にとっての「reality」である、と思い定めたのです。グリーンバーグが「モダニズムの絵画が自己の立場を見定めた平面性とは、決して全くの平面になることではあり得ない」と書いていたことが、心に引っかかってもいました。私は、模様のある布や紙、つまり平面的なプリント模様の装飾の上から、刷毛やローラーで色を重ねていき、その表面が平面性を残している時点で制作をやめる、ということを繰り返し試みました。さらにそこにコラージュを加えて、描いた痕跡を切断し、異質な平面を貼り付けるなどして、画面の平面性を喚起するように心がけました。そんなことをしているうちに、自分の作品が狭い領域の中に追い込まれていくような気がしてきました。タブロー形式という旧套的な表現から解放されたはずが、いつの間にか制限されたパターンに当てはめられているような気がしてきたのです。いまにして思えば、そういう方法論の中でもさまざまなことが可能であったと思いますが、その時点でそう判断できなかったことは、私の才能の限界だったともいえると思います。
それで、しばらくはいろんなことを試みました。古典的な画家のなかでも私の好きなシャルダン(Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699- 1779)の絵画の模写をしてみたり、自分で静物のモチーフを組んで写生してみたり、その空間構成を意識しながら平面的な表現に置き換えてみたり、といったことです。自分の意のままにならない現実のモチーフが目の前にあることによって、私の中にあるパターン化された表現やイメージが役に立たなくなり、そのことですこし新鮮な気持ちが持てるようになりました。具体的な空間が、目指すべき平面性の手掛かりを与えてくれていた、ということもあるのかもしれません。それでも静物画の場合には恣意的にモチーフを並べることができますので、さらに自分の意のままにならないもの、モチーフの空間の全体から細部に至るまで観察による発見に満ちあふれたもの、ということで自然のなかにある木や建物などを描くことにしました。できれば、普通に考えると絵にもならないようなモチーフがいいと思い、花が咲いているわけでもなく、枝ぶりも煩雑で何気なく林立する木立や、材木が放りっぱなしになっているような古い材木置き場などを写真に撮ってみたり、写生してみたりしました。そしてそれらを描くときには、仕上がりまでのイメージなどをあまり持たずに、そのときに描きたいところから描くようにしました。これは話としては単純なことなのですが、やってみるとなかなか難しいことです。つい、全体をながめてバランスを取ってしまったり、アクセントを入れてみたくなったりしてしまうのです。学生の頃には絵が下手で悩んでいたくせに、いまになって妙に絵作りをする癖がでてしまうのですから、おかしなものです。とりあえず写真から絵を描き起こしていくときには、恣意的な操作はせずに写真の通りに描き写すことにしました。とはいえもちろん、私がいま、ここで絵を描いているということ、抽象絵画やミニマル絵画などを知ったうえで絵画の平面性を探究しているということを外すわけにはいきません。それが私にとって、絵を「描くことのreality」だからです。したがって、形を写し終わった後で、実際の風景の奥行きや明暗をいかに平面として表現していくのか、ということが、それからの私の絵の課題となりました。
そしていま私は、その試行錯誤の過程を見る人と共有したいと考えています。セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 – 1906)やジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901 - 1966)の作品を見ると、彼らがいかに対象と向き合い、それを表現として定着していったのか、ということが伝わってきます。できれば私の作品も、そのようでありたいと願っています。これは現代絵画における「行為性」の問題ともつながってくるものです。その「行為性」の問題について、はじめて注目したのが、おそらくポロックの絵画をアクション・ペインティングとして捉えた美術批評家のローゼンバーグ(Harold Rosenberg,1906 - 1978)でしょう。その後、芸術における「行為性」の問題は、絵画から離れてパフォーマンスやハプニングなどの実際の人間の行為の方に発展していきました。しかし私は絵画における「行為性」について、まだまだ探究の余地があると思っています。例えば、画面上の作家の行為の痕跡をたどることで、作家が認識したことや考えたことを感受できる、というような考え方です。ポロックの良作はもちろんですが、セザンヌやジャコメッティの作品を見ると、彼らの筆や手の痕跡から作家の思考や苦悩の跡までたどることができます。そのことがより一層、彼らの作品を興味深いものにしているのです。どうすれば自分の作品もそう見えるのでしょうか。まだ明らかな答えを見出すことができず、行き当たりばったりの方法で作品を制作しています。ですから、出来上がりにはばらつきが出てしまいますが、それも仕方がないことです。私にとって重要なことは、制作の根底に「reality」が感じられるということですから、それだけは外さないようにしなくてはいけない、と思っています。
さて、ここまで私の「描くことのreality」について書いてきましたが、もちろん、これで十分というわけにはいきません。私の作品の出来、不出来はともかくとして、「reality」というあいまいなもの、形のないものについて書くときにどのように文章を綴ればよいのか、ということが実際の作品制作とは別の問題として私の前に立ちはだかっています。最近、持田季実子(1947 – 2018)という研究者の著作に出会いましたが、彼女の『絵画の思考』という著書を読むと、いま私が書いたようなことと似た問題意識を感じます。その本には次のような文章があります。
芸術作品は、文化史の資料ではなく、文学や時代思潮の図解でもなく、精神分析の材料でもなく、それらの諸要素を兼ねそなえながら中心に最も本質的な固有の意味の層をもっているはずだ。抽象具象を問わず絵画固有の意味とは、線、色、面、形態などでできた「形の意味」としか呼びようのないものである。視覚的にのみあらわされ、言語では語り得ない、言語より先んじる、言語とは別の、まさに描く行為によってしか表現されない思考。批評する側はそれをつかまえて、あらためて明快に言語化することをめざさなければならない。
(『絵画の思考』「序」持田季実子著)
あるいは、こういう文章もあります。
芸術の思考は哲学のそれとちがって推論によるのではなく、科学のように分析と総合を事とするのでもないが、しかし芸術は単に感覚や感情の発露にとどまらぬまぎれもない思考がある。
(『絵画の思考』「序」持田季実子著)
ここで持田の言う「絵画の思考」とは、画家が「reality」を求めて制作する行為を解き明かし、言語化したもの、あるいはそれを目指したもののことだと私は考えます。その「最も本質的な固有の意味の層」という部分が、私の考える「reality」と共鳴するからです。そして持田が画面上の「線、色、面、形態」をつぶさに観察するという点においてグリーンバーグに代表される(と言われる)フォーマリズムの理論と重なる部分がありますが、その到達しようとしている地点において異なります。
持田は『絵画の思考』のなかの「雲のドラマ―ロスコ」という章において、「私たちはグリーンバーグらによって60年代まで盛んになされたフォーマリズム批評をいつまでも踏襲すべきではないだろう」とはっきりと書いています。このことについて私は昨年末にblogで取り上げましたが、そこでは持田のこの文章に対して美術批評家の藤枝晃雄(1936 – 2018)が反論していることにも触れました。実を言えば、そもそも私が持田の著作について知ったのは、藤枝の反論の文章を先に読んだからでした。ですから、その議論について再びここで取り上げることはしませんが、彼らのやり取りから私が感じたことは、仮に何かの方法論によって作品を制作したり、あるいは作品を読み解いたりできたとしても、それは万能のやり方ではなくて、絶えず疑い、客観視する必要があるのだろう、ということです。当たり前といえば当たり前の話ですが、方法論や様式化することばかりに意識が集中し、それが目的化してしまうと、狭義のフォーマリズムや様式論に陥ってしまうのだと思います。それは藤枝にしろ、持田にしろ、ともに否定していることなのです。とくに藤枝が強調していることは、グリーンバーグはそのような狭義の理論に捕らわれない、確かな批評の眼をもっていたということです。
ここでグリーンバーグとポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)との関係を思い起こしみるのもよいでしょう。ポロックが現代アメリカ美術を代表する画家になる過程で、グリーンバーグが彼に的確な助言を与えたことは有名な話です。グリーンバーグの批評なくして、ポロックが独自の表現に辿りつくことはなかったでしょう。とくにグリーバーグによって導かれたオールオーバーな画面は、ポロックのキャリアの到達点を示すものだと考えられています。もちろん、私もそう信じてきました。しかし2012年に東京国立近代美術館で開催された『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』を見たときに、「あれっ!」と思いました。この展覧会では、ポロックのオールオーバーな様式の絵画が何点か来日していたので、多くの観衆がそれらの作品を目当てに展覧会場に足を運んでいました。私もその一人だったのですが、この展覧会で私がもっとも感銘を受けた作品は『トーテム・レッスン2』という、ポロックがオールオーバーな画面に至るまでの過渡期に描かれた作品でした。この作品はネイティブ・アメリカンの絵画に影響されたと思われる神話的な形象が大きく描かれたものですが、その背景のグレーの部分を含めた画面全体がどこまでも広がっていくような感じがする素晴らしい絵でした。確かに方法論としてはその後のドリッピングによるオールオーバーな画面の方が革新的だと思いますが、この『トーテム・レッスン2』はそのような様式的な区分を越えたものです。これを単なる過渡期の作品と見なしてしまうのは、私の中にフォーマリズム批評的な絵の見方が、知らないうちにこびりついていたのだろうと思います。芸術作品を見るときには、そういう固定観念を取り払って、もっと素直で柔軟な目をもった方がよいのだと教えられた気がしました。
それでは、その『トーテム・レッスン2』をグリーンバーグはどう評価したのでしょうか?フォーマリズム的な視点から、この作品を過度的なものと判定したのか、それとも…。実際にグリーンバーグはこの作品が出品された展覧会の展評を書いていて、次のように評価しています。
アート・オブ・ディス・センチュリーでのポロックの二回目の個展は、私の意見では、彼の世代のなかの最強の画家として、そしておそらくミロ以来の最も偉大な画家としての彼を確立している。彼の煙った荒々しい絵画のうちにある唯一、楽観主義的なところは、彼個人にとっての、芸術の有効性を彼自身が明らかに信じ込んでいるところに由来する。キュビズムの凋落以来、パリ派の芸術には、ある程度の自己欺瞞がある。だが、ポロックには、それが全く無いし、彼は醜悪に見えることを恐れない―深遠で独創的な芸術は全て、最初は醜悪に見えるものだ。彼の油彩を見て圧倒されるように感じる人には、彼のグワッシュの作品から近づくようにアドバイスしよう。それなら、油彩ほどには、画面の隅々から可能な限りの強烈さを絞り出そうとしてはいないので、より卓越した明晰さに達しているし、油彩ほど息苦しいまでに詰め込まれていない。だが、油彩のなかでも、二点―両方とも『トーテム・レッスン』と題されている―は筆舌につくしがたいほど良い。ポロックの唯一の欠点は、キャンヴァスをあまりに均一に塗り込めることにあるのではなくて、あまりに唐突に色やヴァルールを併置しすぎて、ぽかんとあいた穴(gaping holes)ができてしまうことだ。
(『ユリイカ 1993年2月号』「グリーンバーグのポロック論集成」「The Nation,7 April 1945」川田都樹子訳)
文章の末尾のアドバイスは、まさにオールオーバーな絵画へと導くものですが、全体を読むとフォーマリズムというカテゴリーにはおさまらない、直感的な鋭さを感じます。藤枝がグリーンバーグを擁護し、彼の作品を見ぬく力についてたびたび言及していたことも頷けます。そしてグリーンバーグも『トーテム・レッスン』の前で、私と同様に感銘を受けながら言葉もなく佇んでいたのかもしれない、と思うと何だかうれしくなります。素晴らしい作品との出会いは、このように思わず言葉を失ってしまう感銘から始まって、その気持ちを何とか他の人と分かち合いたい、と思うところから批評の言葉が生まれたのではないでしょうか。
芸術作品から感銘を受けるということ、その気持ちを他の人と分かち合いたいと思うことについてさらにつきつめていくと、昨年の夏にblogで取り上げた、『カント 美と倫理のはざまで』(2017 熊野純彦著)という本のことに思い出します。カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)は人間の理性について考えた哲学者ですが、人間が「美」を感受するということについても、深く考察した人でした。彼は自然の美しさに感動しながら、人間はどうして自然を見て美しいと感じるのか、ということについて考え、さらにその美しいと思う気持ちを他の人と分かち合えるのではないか、とも考えたのです。人間が自然を見て「美」を感じるということは、動物が自然を見る感覚とは違うはずです。それは単なる感覚器官(視覚)から入ってくる情報ではなくて、人間固有の内面的な出来事なのです。「美」を客観的な事実のように論じあうことはできませんが、理性を持つ人間固有の出来事である以上、そこにはある種の普遍性があるはずだ…、と私の理解ではカントはそう考えたのです。この理解が妥当なものなのかどうか、これからも私は探究していかなければなりませんが、とにかく、「美」の感銘を他の人と分かち合うということは、カントの時代から続く根本的な問題であり、いまだによくわかっていないことなのだと思います。グリーンバーグも持田季実子も、その著作の中で少なからずカントについて言及していますが、やはりこういう問題を考察するときに、カントは避けて通れない大きな存在なのでしょう。
「美」について考えること、あるいは絵画について考えることは単純に答えが出せない問いを問うことです。だから例えば、グリーンバーグがモダニズムの絵画について考えるときに、その平面への指向性を語りながらも「決して全くの平面になることではあり得ない」という複雑な物言いをしたのも致し方ないことです。あるいは持田が「絵画の思考」について語るにあたって「あらためて明快に言語化することをめざさなければならない」と、困難に立ち向かう決意表明をしなければならなかったことも頷けます。彼らの思考と比べれば私の考えなど幼稚なものですが、それでもあえて言うと、私が考える制作上の「reality」についても、こうすれば「reality」をもって絵が描ける、という便利な方法はありません。ですから制作のたびに、自分にとっていま何が「reality」として感じられるのか、そしてそれをどうやって表現していくのか、ということを追求し続けていかなければなりません。このことは絵を見る側に立っても変わりありません。絵画について語るときには、その作品の中の「reality」を丹念に言語化していく必要がありますし、その試みを継続しながら文章を綴るほかないのです。私が考えるかぎりでは、そのような制作や批評が「fake」に陥らない唯一の方法なのです。
*以上で、テキスト終了です。実際のテキストのプリントには、モノクロですが出品作のうちの旧作の写真を掲載しました。もしもご都合がつくようでしたら、画廊に足を運んでいただいて作品をご覧いただき、テキストをお持ちいただけるとうれしいです。
搬入した時点で、近作に関する反省が頭の中を駆け巡りましたが、それはいずれの機会に整理することにします。もっともっと前進しなければなりませんね。
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