この3月31日まで、教職と市中央公民館に合わせて44年間勤めた義兄の慰労会が、4日夜妻の実家で賑やかに行われた。
義母・儀兄夫婦、長男夫婦、子ども2人で計7名、我が家からは私たち夫婦・長男夫婦、子ども、長女夫婦、子どもと二男の計9名、合計16名で居間中が一杯になった。
「子はかすがい」とも言われ、まさにその場の小さな子供たちがいることで、和やかな雰囲気に包まれる。
*5ヶ月と7ヶ月の孫
この3月31日まで、教職と市中央公民館に合わせて44年間勤めた義兄の慰労会が、4日夜妻の実家で賑やかに行われた。
義母・儀兄夫婦、長男夫婦、子ども2人で計7名、我が家からは私たち夫婦・長男夫婦、子ども、長女夫婦、子どもと二男の計9名、合計16名で居間中が一杯になった。
「子はかすがい」とも言われ、まさにその場の小さな子供たちがいることで、和やかな雰囲気に包まれる。
*5ヶ月と7ヶ月の孫
元全日本女子監督で強化部長も務めた野平孝雄さんが69歳の若さで逝去された。
平成11年岩手I・Hでは、岩手県代表選手のアドバイザリーコーチも務められ、強化の一端を担っていただいた。
氏は専修大学の先輩であり、大船渡にも何度もお出でになりその都度様々なことをご教授頂いた。
卓球以外でも、ゴルフ・マージャン・カラオケなど、どれを取っても一流であった。
今は、ただ安らかにお眠りくださいとしか、言いようのない寂しさに襲われている。
存在感の大きい人であった。合掌
5月5日は、高校の練習試合があり一日一関方面に出かけてきた。
いつも狭い場所での練習を余儀なくされているので、広い体育館でゲームが出来たことはとても有意義であった。
全部で4校と対戦をさせていただいて、いろいろな経験が出来たし体調の悪いものや移動による体調管理など試合に密接に関係のある部分を体感したことは、きっと高総体に活きてくるものだと思っている。
5月2日は、高校時代(盛岡商業)の還暦クラス会が50名中16名の参加で、雫石プリンスホテルで開催された。
傘寿になられた、恩師村松矗先生もますますお元気で参加して頂いた。
この高3のクラスには卓球部全6名中5名がいたのだが、クラス会には出席できなかった一人もゴルフには参加し卓球部の参加率は100%であった。
次の日は、あいにくの雨だったが久しぶりに卓球部の仲間とゴルフに興じた。
季節外れの寒さとの戦いではあったが、それにも数段勝る旧交を温めることができたことは本当に楽しいひと時であった。