次長課長の河本が、
母親が生活保護を受けていた件で記者会見を行った。
私はこの記事が出てからモヤモヤしていた。
別に河本がどうとかではない。
生活保護の不正受給とかそういうのでもない。
生活保護という言葉に反応していたのかもしれない。
じつは私は親に生活保護を受けさせていた事があった。
ここにたまに書くが私は20歳で家出した。
今まで理由は語らなかったが原因は実の兄だ。
実の兄は父方に引き取られていたが、
ある日追い払われるかのように帰って来た。
但し親権は父方に残ったままで名前が異なる兄妹だった。
戻って来た兄は荒れていて家族に暴力を振るい、
学校も中退し警察沙汰にもなった。
借金も繰り返しては母に尻拭いをさせた。
私は高校を卒業して銀行に就職して、
家にお金を入れるようになったが、
兄は相変わらずのプータローで、
仕事もせずのうのうと暮らしていた。
※私が仕事をしない男が嫌いなのはこのせいだ。
銀行はボーナスも良く、
家にお金を入れても充分貯金が出来た。
私は成人式の着物を買う為に母にお金を預けていた。
ところが成人式の着物を用意しようとした時、
自分の貯金がまるでない事に気が付いた。
兄の借金を払う為に使われていたのだ。
これでは着物が買えない。私は本当にがっかりした。
成人式にも出られないので、
今まで誰にも言っていなかったが、
成人式に出ないで済むように
3ヶ月間義務付けられた本社への研修をその時期に組み込んだ。
ちなみに本社は愛知県だ。
そこに研修で行けば表向きは仕方なく成人式に出られない。
上司は疑問に思ったようだが、特に何も言われず申請は通った。
研修から戻り私は母に言った。
兄を追いだせば給料の全額を家に入れる。
それが出来なければ私が家を出る。
母は少しも迷わず兄を取り、
私はわずかな荷物を持って家を出た。
数年が経って叔母から母が癌であると知らされた。
もうすでに末期で余命は半年だった。
最期になるならと私は母親の面倒を見る事にした。
兄は相変わらず寄生虫の如く家にいたが、
この期に及んで意地を張る訳にもいかなかった。
しかし現実はそんな甘いものではなかった。
兄との生活の為に節約に節約をしていた母は、
自分の保険すら入っていなかった。
1ヶ月後の入院請求を見て腰が抜けそうになった。
58万円、1ヶ月の請求がそれだった。
私は医療費だけでもなんとかならないか、
役所に相談をしにいった。
そこで生活保護を申請するように言われた。
担当の人のアドバイスは申請を通りやすくする為に
「母親の扶養は出来ない」と返答する様にだった。
一般的常識からいったら許されない事なのかもしれない。
だがそれがなかったら、
いったいどこから毎月50万の入院費を出せというのだ。
事実、余命半年の母は1年3ヶ月生きて、
入院は述べ5ヶ月だった。
5ヶ月の入院費と残りの生活費、
扶養義務がある子供が全て負担をしろというのだろうか。
私がかって受けた仕打ちなどお構いなしで。
それでも私は生活保護を受けさせるうしろめたさと、
受けさせてこそ維持できる生活に複雑だった。
生活保護は税金である。それは理解している。
河本を叩く者の心情も解らなくはない。
だが親に生活保護を受けさせた経験がある私は、
河本の会見を見ながら考える。
病気の親に延命治療を受けさせない事が、
あるいは自分が破たんするまで支援する事が、
正しき国民のあるべき姿だったのだろうか?と。
母親が生活保護を受けていた件で記者会見を行った。
私はこの記事が出てからモヤモヤしていた。
別に河本がどうとかではない。
生活保護の不正受給とかそういうのでもない。
生活保護という言葉に反応していたのかもしれない。
じつは私は親に生活保護を受けさせていた事があった。
ここにたまに書くが私は20歳で家出した。
今まで理由は語らなかったが原因は実の兄だ。
実の兄は父方に引き取られていたが、
ある日追い払われるかのように帰って来た。
但し親権は父方に残ったままで名前が異なる兄妹だった。
戻って来た兄は荒れていて家族に暴力を振るい、
学校も中退し警察沙汰にもなった。
借金も繰り返しては母に尻拭いをさせた。
私は高校を卒業して銀行に就職して、
家にお金を入れるようになったが、
兄は相変わらずのプータローで、
仕事もせずのうのうと暮らしていた。
※私が仕事をしない男が嫌いなのはこのせいだ。
銀行はボーナスも良く、
家にお金を入れても充分貯金が出来た。
私は成人式の着物を買う為に母にお金を預けていた。
ところが成人式の着物を用意しようとした時、
自分の貯金がまるでない事に気が付いた。
兄の借金を払う為に使われていたのだ。
これでは着物が買えない。私は本当にがっかりした。
成人式にも出られないので、
今まで誰にも言っていなかったが、
成人式に出ないで済むように
3ヶ月間義務付けられた本社への研修をその時期に組み込んだ。
ちなみに本社は愛知県だ。
そこに研修で行けば表向きは仕方なく成人式に出られない。
上司は疑問に思ったようだが、特に何も言われず申請は通った。
研修から戻り私は母に言った。
兄を追いだせば給料の全額を家に入れる。
それが出来なければ私が家を出る。
母は少しも迷わず兄を取り、
私はわずかな荷物を持って家を出た。
数年が経って叔母から母が癌であると知らされた。
もうすでに末期で余命は半年だった。
最期になるならと私は母親の面倒を見る事にした。
兄は相変わらず寄生虫の如く家にいたが、
この期に及んで意地を張る訳にもいかなかった。
しかし現実はそんな甘いものではなかった。
兄との生活の為に節約に節約をしていた母は、
自分の保険すら入っていなかった。
1ヶ月後の入院請求を見て腰が抜けそうになった。
58万円、1ヶ月の請求がそれだった。
私は医療費だけでもなんとかならないか、
役所に相談をしにいった。
そこで生活保護を申請するように言われた。
担当の人のアドバイスは申請を通りやすくする為に
「母親の扶養は出来ない」と返答する様にだった。
一般的常識からいったら許されない事なのかもしれない。
だがそれがなかったら、
いったいどこから毎月50万の入院費を出せというのだ。
事実、余命半年の母は1年3ヶ月生きて、
入院は述べ5ヶ月だった。
5ヶ月の入院費と残りの生活費、
扶養義務がある子供が全て負担をしろというのだろうか。
私がかって受けた仕打ちなどお構いなしで。
それでも私は生活保護を受けさせるうしろめたさと、
受けさせてこそ維持できる生活に複雑だった。
生活保護は税金である。それは理解している。
河本を叩く者の心情も解らなくはない。
だが親に生活保護を受けさせた経験がある私は、
河本の会見を見ながら考える。
病気の親に延命治療を受けさせない事が、
あるいは自分が破たんするまで支援する事が、
正しき国民のあるべき姿だったのだろうか?と。