笑いとばしたら、心も晴れるさ。

人生、山あり谷あり、壁に耳あり障子にメアリー、
結構毛だらけ猫灰だらけ、おしりの回りは…わりと綺麗っ!!

ドライ過ぎたかな?

2012-05-17 21:23:44 | 日記
同僚のご主人が余命宣告をされた。

同僚はタイ人でご主人は日本人。
結婚生活は18年になる。
同僚は日本語も流暢に話すし、
子供もすでに高校生である。
日本での生活に不自由はないが、
異国で唯一頼りにしているご主人に余命宣告、
どうしてよいのか、
ただ泣くばかりである。

同じタイ人の子はもちろん、
フィリピンの子や中国の子、
韓国の子も同情して慰める。
多くの日本人の同僚も同じだ。

私には何が出来るだろうか?と考える。

慰めの言葉ならいくらでもかけられるが、
もしも異国で同じ境遇になったとしたら、
本当に欲しいのは慰めの言葉だろうか?

私は携帯番号とアドレスを彼女に渡して、

『保険の手続きや役所の届け出とか、
解らない事は何でも調べるから遠慮なく連絡して。』と言った。

それを聞いてた年配の同僚からは、
縁起でもない事を言うな!と怒られたが、
重い病にかかり余命宣告もされた今、
縁起でもない事は現実としてやって来る。
そしてそれはいつ起こってもおかしくない。
解らないままそれを迎えてしまっては、
子供と二人途方に暮れるしかないではないか!
彼女の涙はご主人を失う事の悲しみであるが、
これからの不安もあると思う。
日本人の私が外国人の彼女に出来る事は、
そういったわずらわしくも大切な事への不安を、
少しでも解消する手助けをする事じゃないだろうか?















しかし、

やっぱりドライ過ぎたかな…(ーー;)





深く考え過ぎて、
私は時々とんでもない空振りをしてしまう。






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しっぺ返し。

2012-05-17 07:03:03 | 日記
最近職場で思った事。

怠け者というのか、
楽をしよう、楽をしようと考える人は、
自らを楽にする努力をするのではなく、
どんなに他人にしわ寄せが行き、
他人が辛い思いをしていても、
楽という状態を維持しようとするのだなと。

違う見方をすれば、
他人にやってもらえばいいという、
完全な依存体質と言うのだろうか?

それは何も職場での労働面ばかりでなく、
日常生活でも同じで、
誰かにやってもらえばいい。
誰かがお金をだせばいい。と、
『誰か』の負担には見事なまでに目を瞑るのだ。

そして『誰か』がキレると慌てふためくのだが、
キレる=最後通告という事には気付かない。
そして必ず「言わなきゃ解らない」と逆ギレだ。
自分が何故楽をしていられるのかという事には、
何も疑問も持たないし、
仮に持ったとしても現状を変える事はしない。
他人の痛みは無視をして自分の痛さを解れと言うのだ。
それだけ他人に対して鈍感で図々しくあるから、
完ぺきなまでの依存が出来るのであろう。


そんな状態に至ってから、
何とかしてと泣きつかれたところで、
どうにも出来ないし、
私も負担掛けられた側だからなぁ
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