本音派イチローと対照的な生き方 ユニホーム脱ぐ「ゴジラ松井」
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日本で10年、米国で10年プレーした松井秀喜選手がユニホームを脱いだ。「ゴジラ」のニックネームが示す通り、頑強そのもののような体も、古傷の両膝が悲鳴を上げていたようだ。「思うような成績が挙げられない」と、日本時間28日の早朝にニューヨークで行われた引退会見でちょっと無念そうに話した。「これまで野球しかやってこなかったので、いろいろな勉強をして、今後のことを考えたい」と、相変わらず冷静な受け答えだったが、松井選手の野球人生そのものは強い印象を残すものだった。
▽通算507本塁打
1992年夏の甲子園大会。石川・星稜高の4番松井が高知・明徳義塾高から5打席とも敬遠されるという前代未聞の出来事が起こって、一躍注目された。その年のドラフト会議で4球団が1位指名で競合する中、巨人・長嶋茂雄監督が当たりくじを引き当て、人気に拍車がかかった。巨人では本塁打王と打点王を各3度獲得、首位打者にもなり不動の4番打者を務め、2003年にフリーエージェント(FA)でヤンキース入りした。巨人で332本、メジャーで175本と日米通算で507本塁打を記録した。
ただ、02年に50本塁打した実績から、松井といえば本塁打というイメージがあり、大リーグでの本塁打数にファンは物足りなさを感じたのも確かだろう。ヤンキースに入団して2年目に31本塁打しているが、これがメジャーでのシーズン最多だった。
▽常勝義務が個性を殺す?
7、8年前だったと思う。松井選手と対談したにイチロー選手が、打率が思うように上がらないことをぐちったこの1年後輩に「打率なんか低くてもホームランを40本、50本と打てばいい。それはお前にしかできないことだから」と言った。自分の特長を徹底して追求するイチロー選手らしい姿勢だが、それは松井選手への不満だった。松井選手は巨人やヤンキースという常勝を義務付けられた球団に身を置いたことで、チームの勝利を最優先にせざるを得なかった結果、本塁打も打点も打率も数字を残したいと思ったのだろう。ただ、メジャーは日本ほど甘くはなかった。もし、持ち前の長打力をもっと生かす打撃を追い求めていたら、また違った松井選手が見られたかもしれなかった。
そのイチロー選手が目指しているのがワールドシリーズ初出場と世界一。それを松井選手は09年にワールドシリーズ優勝と同シリーズMVP獲得で実現している。やはり、二人は日本球界を代表する大リーガーなのだ。
▽イチローと松井
松井選手とイチロー選手はなにかにつけて対照的だった。プレースタイルもそうだが、特にその言動は対極にあるといえる。私は勝手に「建前の松井、本音のイチロー」と思っている。イチロー選手はオリックス時代から通り一遍の「頑張ります」といった受け答えをすることはなかった。米国でも野球記者には「野球をしっかり勉強して来て」と厳しかった。対して松井選手は的外れな質問にも丁寧に答える優等生だった。宗教家の家で育ったことが大きく影響していると思うが、やさしい性格で喜怒哀楽をあまり表に出さないタイプである。
▽「たかが野球でもいいかな」
建前と本音が混在しているのが世の常であるが、建前が前面に出過ぎると真実を覆い隠す。私も野球記者として多くの監督を取材してきたが、阪急、近鉄で監督をした故西本幸雄氏や巨人のV9監督だった川上哲治氏などはへたな質問でもしようものなら、記者をにらみ付け、答えなかった。本音派である。逆に質問される前に自らしゃべるサービス精神旺盛な監督もいたが、こういう監督は往々にして本音を言っていない場合が多い。
松井選手がかつてこんな野球観を語ったことがあった。「たかが野球、されど野球だが、僕はもうすこし、たかが野球であってもいいかなと思う」と。とことん練習に打ち込んだ姿とすこし野球から距離を置いた姿が浮かぶ。こんな本音を語れる松井選手なのである。どんな第二の人生を歩むか、楽しみにしたい。
田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル
1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。
ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆
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