創世記
「はじめに神は天と地を創造された」
「地は形なく、むなしく、やみが淵の表にあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」
聖書と同時期に、エジプト神話やギリシャ神話があった。
エジプト神話では水で満たされた何もない状態だった。
そこから、創造主アトゥムが生まれてきた。
ギリシャ神話では無の状態カオスからガイアが生まれてくる。
これに対して聖書では神様は最初からいたという設定で特徴的である。
日本神話ではアマノミナカヌシという神様が最初から存在していたが、特に何もしないただ「在る」的な存在であり、そこから色々な神様が生まれてきており、これも特徴的ではあるが、エジプト神話、ギリシャ神話の設定に近い。
さて、神様は7日間かけて天地を創造していく。
1日目、光と闇の創造
2日目、空と海の創造
3日目、大地と植物の創造
4日目、太陽と月と星の創造
5日目、魚と鳥の創造
6日目、陸上の動物と人間の創造
7日目、世界を祝福してお休みする
ちなみに、創世記は、古事記の天地開闢(てんちかいびゃく)のお話と類似性があると言われる。
アマノミナカヌシのあと色々な神様が生まれ、神代七代(かみよななよ)という神様たちが生まれた。
1.クニノトコタチノカミ 常に立っている、在ってある者。
2.トヨグモヌノカミ 豊かな雲で空が形成された。雨が降り海ができる。
3.ウヒヂニノカミ、スヒヂニノカミ 泥土煮(ウイヂニ)。どろ砂から大地ができる。
4.ツヌグイノカミ、イクグイノカミ
5.オオトノヂノカミ、オオトノベノカミ
6.オモダルノカミ、アヤカシコネノカミ
7.イザナギノカミ、イザナミノカミ
創世記1日目、2日目、3日目と、神代3代までは、類似性を感じる。
しかし、聖書4日目には太陽、月、星が創造されるているが、古事記では、アマテラス、ツクヨミが生まれるのはまだ後の話。
古事記ができたのは聖書よりずっとあとなので、古事記は聖書を意識して書かれたのかもしれない。
「神は自分のかたちに人を創造された。」
「神のかたちに創造し男と女とに創造された。」
「神である主は土の塵で人を形作り、その鼻に命の息を吹き込まれた。」
そして、アダムが生まれる。
アダムが寝ている間に、肋骨からエヴァを作る。
しかし、天地創造の6日目には男と女とが作られていた。
ユダヤ教・キリスト教において、聖書は絶対なものなので、内容に矛盾があってはならない。
矛盾点があれば、その矛盾について徹底的に考える。
その1つが、6日目に作られた男と女とは、アダムとリリスであるという考え方。
リリスはアダムから離れて様々な悪霊を生んだとされる。
リリスの子供たちはリリンと呼ばれている。
エヴァンゲリオンでも、人類を作ったのはリリスであり、リリスの子である人間はリリンと呼ばれていた。
エバンゲリオンの大ボスはアダム。
アダムの細胞から作られたのがエヴァンゲリオン。
アダムには、「土」と「人間」という意味がある。
最古の神話であるシュメール神話でも、エンキやニンフルサグが粘土から人間を創っていた。
エデンの園の造園
神は、東のほうのエデンに園を設ける。
そこを耕し守る者として自らをまねて形作った人をそこに住まわせる。
シュメール神話でも、神の労働者として人間が造られている。
神は、食せる果実の実るあらゆる木々と、「命の木」「善悪の知識の木」を植える。
人は、エデンの園を耕して、果物を育てる。
エデンは楽園と言われるが、結構普通に働いている。
シュメール神話でもエディンが出てくる。
女神イナンナが冥界で大変な目にあってるときに、旦那のドゥムジはエディンのリンゴの木のところで妻の心配もせずに過ごしていた。
知恵の実はリンゴではないが、知恵の実=リンゴというイメージはシュメール神話から来ている。
そして、このあと、人は蛇にそそのかされて神に逆らうのであった。
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