僕は、タンザニアのブンジュ村へ絵を学ぶために旅立った。
タンザニアで、僕に声をかけてくれたのがノエル・ガンビリ先生。
僕はブンジュ村にある先生の家に居候させてもらった。
先生には、エンジョちゃんという3さんの娘さんがいた。
エンジョちゃんは、近所の3歳の女の子ザイちゃんと親友だった。
そんなわけで、僕は3歳児と遊ぶことが多かった。
大人は子供を教育しなければならない。
僕は、しばしば「ただいまって言った?」「ありがとうと言った?」と説教がましい言葉をかけていた。
ザイちゃんは不思議そうな顔をして僕のところに近づいてきて、僕の腕をぐっとつかみ言った。
「SHOGEN、肌と肌が触れ合うっていうことが温かいっていうことが分かっていて、私にその言葉を言ってる?
SHOGENの言葉には体温が乗っかっていないから、私には伝わらへんわ
SHOGENはお母さんから抱きしめてもらったことがないんでしょ?
私が抱きしめたげるわ」
そして、抱きしめながら3歳のザイちゃんは言った。
「日本人としての想いをちゃんと思い出してね」
後日、村長からも言われた。
「日本人が大切にしていたのは、
抱きしめるように話すこと
言葉に体温を乗せること
言霊を乗せること。
抱きしめるように話すとはどういうことか。
SHOGEN、ちょっとついてきなさい」
村長は僕を夕焼けの丘に連れて行った。
オレンジ色にピンクが混じったサーモンピンクの夕焼けだった。
「SHOGEN、手を前に出してみ。
このきつくもなく冷たくもない暖かいオレンジ色に体が染まっているのが分かるか?
抱きしめるような、というのはつまりこの夕焼けのオレンジ色のことを言うんやで。
これは日本人が本当に大切にしていた色なんや。」
村の人たちは、日々僕に色々なことを教え、気づかせてくれた。
逆に村の人たちは動揺していた。
「この人、ほんま日本人?やばくない?
君みたいな日本人が今日本には溢れてるの?
抱きしめて話すってことも理解できない、
心にも余裕がない。
日常に溢れる小さな喜びを拾い上げられたのが日本人だったのに、そこに目を向けようともしない。
大丈夫?」
このようなことを、僕は毎日言われた。
中には、心配しすぎて泣いてしまったおばあちゃんもいた。
ブンジュ村では、「今日、誰のために生きる?」とあいさつをする。
子供たちは、「おはよう、SHOGEN。今日は、誰の人生を生きる?わたしはわたしの人生を生きるよ、また夕方あおうね。」という挨拶もあった。
村長曰く、
「これが本来の日本人の挨拶だった
自分の近くにいる大切な人のことを思うがゆえに、まずは自分の心を喜びで満たしていた
それがあんたたち日本人だった。
自分が自分の一番のファンでいてあげること。
これをとことんまで追求する。
日常に溢れる所作を愛することを、”練習”として小さいころからやっていた。
SHOGEN、日本に帰ってこの村で学んだことを日本人たちに伝えなさい。
2025年7月5日、それまでに日本人が本来の感性を取り戻す必要がある。
全然怖がることはない。
明るい日本の未来が待っている。
ただし、今までお金とか権力とかで生きてきた人たちが生きていきにくい時代となる。
2025年までに、いかに人と心で愛を持って繋がれるのかっていうのが一つ重要なキーワードなんだ
今の日本人は無駄をはぶいて効率よく生きることを目指しているが、果たしてそれで本当に喜びを味わうことはできているか?
人生を効率よくしたいなら、生まれてすぐ死ねばいい。
人生を究極に効率化した形だ。
「いかに無駄な時間を楽しむか」、これが人生のテーマだ。
SHOGEN、あんたが本当に喜びを感じたときはいつだ?
ちいさいとき、何に喜び、幸せを感じ、何にワクワクしていた?
もう一回、自分の本当の声に耳を傾けてあげなければならない。
それができれば、SHOGEN、2025年は、もっともっと喜びを味わえる時代となる。」
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