郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

地名由来「揖保川」

2019-10-27 18:45:13 | 地名由来(宍粟市・佐用郡・姫路市安富町)
いぼがわ
揖保川   
                                                  
                  閲覧数5,315件(2010.3.26~2019.10.27)



 揖保川の「揖保」の起源は、播磨風土記が編纂された奈良時代の昔にさかのぼる。
 播磨国風土記には、アメノヒボコ(天日槍命)とアシハラノシコオノミコト(葦原志挙平命)の2神の国(土地)の争奪の話が記されている。

風土記の揖保郡(いいぼのこおり)という条に、

「揖保郡所以称粒者 此里依於粒山故因山為名 粒丘 所以号粒丘天日槍命従韓国渡来到於宇頭川底而乞宿処於葦原志挙平命日汝為国主欲得吾所宿之処志挙即許海中爾時客神以劒攪海水而宿之主神即畏神之盛行」とあります。

 現代文に直すと、「揖保郡を粒(いいぼ)と称えるのは、この里が粒山によったから粒と名づけた。粒丘(いいぼのおか)と名づけたのは、天日槍命が韓国より渡り来り、宇頭川底(うずがわしり)(現揖保川河口)に到って宿る所を葦原志挙平命に乞うたところ葦原志挙平命は海の中を許した、すると天日槍命は剣で海水をかきまぜ島を作り宿した。志挙平はその勢いのさかんなのに愕(おどろ)き、天日槍が播磨を征服しない前に自分が国を占拠しておこうと思い、丘に登り食事をしたら口から飯をこぼした。故にそこを粒丘と名づけた。」



 よって揖保郡に注ぐ大河を揖保川と呼ぶようになり、昔は下流辺りを、宇頭川(うずがわ)といい、河口東岸を宇須伎津(うすきつ)とよんだという。

 では、この粒丘は、どこにあるかというと、たつの市揖保町中臣(なかじん)に小丘の中臣山・現権山を指すという。また2つの山の間には式内社の※中臣印達神社、そして南に※夜比良神社(式内社)があります。近くには夜比良の渡しがあったところです。このあと、二神は揖保川をさかのぼり、宍粟の地名が名づけられていくことになります。 (下記アニメ参照 しそうのあゆみ より)



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