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播磨 長水(ちょうずい)城跡 宍粟市山崎町五十波(いかば)
山城に魅せられてもうすぐ15年になります。最初に登ったのがこの長水城です。その後次々と播磨の城を駆け巡っているうちに、登る山城の比高が気になるようになりました。この比高とは、山の麓からの頂上までの高さのことで実質歩く高さになります。長水城の比高は450m(標高574m-山麓124m)あります。
播磨の英雄赤松円心(村則)の大規模な居城白幡城(上郡町)ですら、比高は390m(440m-50m)なので、それより60mも高い。円心の嫡子則祐が築いたこれまた大規模な城山城(たつの市)も400m(458m-58m)です。
山城で比高400m以上のものは数少ない。そのため、どこに登っても、長水城の比高を基準に考えるようになりました。その基準を超える山城はいまだ登っていません。
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長水城跡
市街地より北西に約5km、五十波地区と宇野地区にまたがりそびえる標高約584mの長水山上に築かれた山城で、南北朝期に赤松円心の三男則祐(そくゆう)によって築かれたと伝わる。西播磨をつとめた赤松一族宇野氏は、室町中期まで篠ノ丸城に本拠をおいたが、戦国期になると防備に優れた長水城に拠点を移したと考えられている。
播磨北西部の城としては規模が大きく、現在信徳寺の本堂が建つ山頂部に東西約10m、南北約23mの主郭を置き、南北と北東方向へ延びる尾根を約100mにわたり段々に削平して郭を設けている。主郭の石垣は最高6mあるが、大部分は後世に積み直されたものと考えられている。
なお、宇野地区の伊水小学校は大手口の居館跡と推定されており、地名などの残りからこの地域には原始的な城下町があったものと推測されている。また、搦手口の五十波地区にも五十波構と呼ばれる平城があった。
天正八年(1580)4月、聖山城に本陣を置いた羽柴秀吉は宇野方の拠点を次々と攻略して長水城に迫り、所々に砦を構えて包囲を固め一端英賀(姫路市)へ転戦した。同年5月、奮闘むなしく城を脱出した宇野政頼・祐清父子は美作方面に逃れようとしたが、蜂須賀家政・荒木重堅・神子田正治らの軍勢に追いつかれ。千種大森で討ち死にしたとされる。
なお、江戸後期成立の『長水軍記』は、黒田官兵衛の調略で裏切った家臣の放火によって長水城が落城と伝えている。その真相は不明であるが、宇野氏の滅亡によって播磨の反織田勢力は一掃され、当地の戦国時代は終焉することとなった。
その後、宍粟は神子田正治、次いで黒田官兵衛らの領地となり、元和元年(1615)宍粟藩主となった池田輝澄が山崎城を築城して近世城下町を整備し、長水城はその役割を終えることになった。 「山頂の説明板より」
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長水城マップ(最新マップ)
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アクセス
長水山に登る方法は、三つのルートがあり、
一つ目は蔦沢小学校(宇野)から谷間を登っていく道(かなり荒れていてやや危険)2時間はかかります。
二つ目は、五十波から登る方法があります。(40程かかります)
(上のマップ参照)
三つ目は伊沢の里(生谷)から林道を歩く、もしくは林道脇駐車場まで車で行くと、登り口があります。(距離があるため、2時間30分はかかります。)
1) 宇野ルート
蔦沢小学校の右手に、登山入口の表示があります。
(蔦沢小学校体育館前からも登れます。砂防ダムの上部の道に出ます。)
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ここから深い谷間を登ります。以前は、木の階段が敷かれ、歩きやすくされていましたが、現在は山道が荒れています。頂上まで2時間程かかります。
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※蔦沢小学校の左側の駐車場が利用できます。
※このコースは、梅雨時から10月まで山ひるが多いので注意されたい。
※登り口を少し入ったところに砂防ダムが敷設されています。その左上を歩きます。かつて長い木の階段がありましたが、近年の台風等の水害で荒れているので、足元の注意が必要です。
2)五十波ルート
国道29号線を北上し、五十波の標識前の梯橋に登山口の表示があります。そこを左折し、梯川に沿って少し行ったところにさらに登山口の表示があるので、左折し小さな橋(こたきばし)を通り、新谷線という整備された道を登りつめたところに車を駐車します。
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ここから1km。やや急な山道のジグザグを登ること約40分でたどりつけます。山頂近くの左にそれた岩の窪みに水場があります。大事な生活用水をここで確保していたのでしょう。
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◆城郭一覧アドレス
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