郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

地名由来「段・金谷・比地」 

2019-11-06 17:28:50 | 地名由来(宍粟市・佐用郡・姫路市安富町)
地名由来「段・金谷・比地」   宍粟市山崎町


                                                           閲覧数5,143件(20.12.25~2019.10.31)



■段(だん)

 揖保川の支流菅野川の下流域。地名の由来は、古い集落が段丘面に発達していることから一段高いところの村の意であろう。

【近世】段村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。天保11年(1840年)に松井氏が鋳物氏の権利を得、翌年仕事場を開設。安政2年(1855年)大砲を鋳造。山崎藩主本多氏の大庄屋は定員3人で『山崎町史』、当村の松井家も代々その役を勤めており、管轄下の村々は段組と呼ばれた。山崎郭内南西部の鶴木門から続く馬場があったといわれ、現在犬の馬場の小字名が残る。龍野、網干への道として鶴木門から当村の犬の馬場、金屋村・中比地村・下比地村経て揖保郡へ通じる道があった。『山崎町史』)葦原神社と観音堂がある。その境内には、山崎の俳人青蓮寺(しょうれんじ)の僧四睡庵素錬が松尾芭蕉の百回忌を記念して寛政5年(1793年)に山崎城下に建立した芭蕉の句碑が、現在は観音堂に残る。

【近代】段 明治22年~現在の大字名。はじめ城下村。昭和30年からは山崎町の大字。


■金谷(かなや)

古くは金屋とも書いた。揖保川支流菅野川の下流域。国見山山頂付近には早瀬帯刀の居城と伝える、中世末期の柏原城跡があり、南西部の山中には中世の長谷山遊鶴寺跡がある。

【近世】金屋村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。当村には山崎陣屋の西方から南隣の揖保郡へ通じる道(西道)が段丘下方を通っていた。
中世から、長谷川氏姓を名乗る鋳物氏が営業しており、17世紀頃以降の年記銘をもつ近郷寺社の鐘銘などが現存し、その活動が伺われる『山崎町史』。旧高旧領取調帳に金屋村、明治19年「地方行政区画便覧」に金谷村と見えることから、この間に村名の改称があったとみられる。県指定史跡の金谷山部古墳(かなややまべこふん)は揖保川右岸の比治条里遺構を見下ろす丘陵に位置する。20×14m、高さ1.5mの楕円形の墳丘をもつ独立墳で、古墳時代中期の築造と推定される。

【近代】金谷 明治22年~現在の大字名。はじめ城下村、昭和30年からは山崎町の大字。昭和54年高野山北室院竜峰寺が新築移転。兼業農家が大部分を占める。近年小規模な宅地開発が行われている。

■比地(上比地・中比地・下比地)

揖保川中流右岸に位置する。
【古代】比地郷 奈良期~平安期にみえる郷名。「和名抄」播磨国宍粟郡八郷の1つ。『風土記』に宍禾郡七里の1つとして「比治里」と見え、比治の地名は高徳天皇の時代(7世紀中頃)に揖保郡から分けて宍禾郡を作った時、山部比治という里長がいたため、その名をとって比治里と名付けたという。現在の山崎町上比地・中比地・下比地・川戸・宇原・平見・金谷を含む地域に比定される。揖保川が大きく蛇行して堆積平野をつくっている地で、耕作に適した土地であり、一部に湿地も含んでいたため、ヒジ=泥の名がうまれたのであろう。

【中世】比地郷 室町期に見える郷名。宍粟郡のうち。享徳3年(1454年)10月の一宮御領神官・社僧等拘持田畠注文案(伊和神社文書)に「比地郷」がみえる。

【近世】比地村 江戸期の村名。宍粟郡のうち。当村は郷帳類では一村として書き上げられているが、延宝7年(1679年)の郷村相渡し状では上・中・下の3か村として見え、庄屋・年寄なども3か村それぞれに置かれている。(郷中古事録・村々庄屋年寄人数)


●上比地

【近世】上比地村 比地村から分村。分村時期は不詳。神社は、岩田神社。同社は比地郷全体の産土神であったが、慶長年間(1596~1615年)以前に川戸・宇原各村の村民が分祀して、村ごとに神社を勧請したという。当村には、滝不動尊があり、和洲長谷の観音はここから出たと伝える(播磨艦)古くは修験道の修行場であった。明治22年城下村の大字となる。
【近代】上比地 明治22年城下村の大字となる

●中比地

【近世】中比地村 比地村から分村。分村時期は不詳。当村の低平地は揖保川の氾濫による被害の記録が多い。神社は、鹿島神社。
【近代】中比地 明治22年城下村の大字となる。


●下比地

【近世】下比地村 比地村から分村。分村時期は不詳。神社は、荒神社(建速神社)。寺院は浄土真宗本願寺派法光寺、同寺は永禄8年(1565年)道場として建立されたという。
【近代】下比地 明治22年城下村の大字となる。

◇今回の発見:城下地区内には金谷の梵鐘製造のほか、段の大砲や船元の錨など、郡内で生産される良質の千種鋼・宍粟鉄を利用した技術集団がいたことになる。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿