しさわのこおり
地名の由来「宍禾(粟)郡」 兵庫県宍粟郡(現宍粟市)
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播磨国風土記には、次のような記述があります。
イワノオオカミ(伊和大神)とアメノヒボコ(漢人:アヤヒト)との揖保川上流の土地争奪の話が出てきます。
神話はこうです。
両者の長い戦いが終わり、伊和大神は、山から下りて、国巡りに出られました、すると、大きな鹿が舌を出して飛んできました。伊和の大神は、「矢は彼(か)の舌にある」と言い、見るとその舌に矢が刺さっていました。そこで、「鹿(しし)に会う」をもって宍禾(しさわ)と名づけた。
この辺りを鹿(しし)の多いところ、宍禾の郡(しさわのこおり)と名をつけ、その村を矢田村と名づけた。しかし、矢田村は、どこにあるかわかっていない。
●「宍」は肉の意味、「粟」は穀物の意味で、狩猟と農耕の土地を意味している地名
言葉の注解
※播磨風土記の原文 : 下記写真 写本は国宝に指定されており、現在は天理大学附属天理図書館が所蔵している。
※現存する風土記 : 播磨(はりま)、常陸(ひたち)、出雲(いずも)、肥前(ひぜん)、豊後(ぶんご)の5つ。完全なのは、出雲風土記だけで、その他ものは、一部が欠けている。
※風土記の報告事項
• 好(よ)き字を用いて郡・郷の名を記す
• 銀・銅・染料・草・木・鳥・獣・虫などの物産
• 土地の肥沃さ
• 山・川・原・野などの地名の由来
• 古老に伝承されている旧聞・異事
※イワノオオカミ(伊和大神):播磨風土記にのみ出てくる大神で、アシハラノシコオ(大国主命:オオクニヌシノミコト)と混同して同じ神様として書かれている。
※アメノヒボコノミコト(天日槍命):風土記では漢人(アヤヒト)と呼んでいる。韓(からくに)より渡ってきた、渡来人と言われている。5世紀ごろ北九州から但馬もしくは瀬戸内に入った鉄の文化を持つ集団と考えられる。
参考文献:宍粟のあゆみ(先人たちの足跡)他
播磨国風土記写本 原文
神々の動きから生まれた地名
主要な地名が神々の所作、言動から始まりましたが、鹿はシシと呼び、「シシアワ(鹿遇)」の音訳「しさわ」に好字2字を選んで、「宍禾(粟)」を宛てたと説明があります。
この風土記の書かれたときには、宍禾(粟)郡(しさわのこおり)という地名が既に使われていました。風土記の書かれた内容には、神々の奇想天外の動きと発する言葉に首をかしげる事が少なからずあります。
風土記の書かれた時代・奈良時代の初めには地名の成り立ちはすでに大昔の出来事で、昔話として国造りの神々の豪快でユーモラスな仕業として伝えられまとめられたのでしょう。
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