もう一つの宍粟 ④ エピローグ
閲覧数2,468 件(2011.3.33~2019.10.25)
◆篠津(しのつ)は山の崎を意味するアイヌ語から
▲山河にはアイヌの地名がびっしり
篠津の地名の語源は、アイヌ語で“シンノッ”は山の崎であり、sir(地、山)+not(崎、あご)によって構成されたものとしている。あごのように突き出た山あいの土地という。宍粟市の山崎町の山崎の地名の由来も同じで、篠津と共通点がある。篠津村は明治29年に新篠津村に改称された。
百年の月日により、ここに残された宍粟(しそう)の地名は、現地ではいつしか「すそう」と読みが変化している。
◆ 「くりかえす四季、寡黙な大地」美しい風景とエピローグの詩
この新篠津村の百年史を読むにつけ、その文体から、篠津村を築き上げてきた村人の労苦とその暮らしの移り変わりを敬意の念を込めて暖かく見据えていることを感じます。
一方で、「くりかえす四季 寡黙な大地」と題した見たこともない広々とした美しい石狩の写真の数々。これらの写真に収められた大自然は、人の営みなど我知らぬ顔で、黙したまま四季折々の表情を見せています。
◆百年史のエピローグに ~大地と川と人の新しいドラマ~
かつて篠津村の農民は泥炭地に苦しめられた。しかし今やその悪役の泥炭を逆手にとり、それを原料とするピートモスによって有機質の豊かな肥沃な土地に変えた。さらに村の高速堆肥工場は、クリーン農業のセンターとなり、クリーンでおいしい農産物を提供できる実り豊かな村となった。
平成4年新篠津村は「活力あるまちづくり優良地方公共団体」として道内で村として初の自治大臣表彰を受けている。偉大なる田舎づくりに向けた大人から子どもまで全住民参加の村づくりが評価されたのである。
村史の最終章に「大きな木の詩」があります。そのあとに「新篠津村がめざしているのは、住んでいてよかった、住んでみたいといわれるような、暮らしやすく、美しい環境の村である」と。
鏡のような水田が美しい村新篠津村の未来への思いに共感を覚えます。
▼大きな木の詩
◆おわりに 北の国との深いお付き合いを
「石狩平野 篠津原野への挑戦」(H17.8発行)の横井氏のむすびに「北の国との深いお付き合いを。宍粟とゆかりの深い土地が北海道にあるということは、私達の心を躍らせます。姉妹都市とまでいかなくても、旅の候補地としてお考えいただければと思います。」とあります。
北海道の近世の歴史を、新篠津村をとおして垣間見ることができました。私も、北海道に宍粟の人たちが鍬を入れた新篠津村に行ってみたい思うのと同時に、さらにその歴史について一歩踏み込んで見てみたい気持ちにもさせられました。
参考:「新篠津村百年史」、「石狩平野 篠津原野への挑戦」横井時成・柳田弘・鎌田裕明共著、資料「北海道 新篠津村に至るまでの経緯」横井時成
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