大屋の道を通るたびに城名の書かれていない「城山」の表示板が気にかかっていた。大屋の樽見桜を見に行ったとき、城山の前を通ったのを機会に後日訪れようという気持ちが起きた。これが大屋の城跡探索の発端にもなった。
▲田和城跡全景 西から
▲北の高台から
田和城跡 養父市大屋町夏梅字田和・西ノ谷
田和城跡は大屋町夏梅(なつめ)の西端に位置し、大屋川が城裾を大きく蛇行し、田和の淵にせり出した細い尾根筋の先端部標高174m・比高35mの地点にある。主郭(10m×17m)を中心に梯郭式で約10の曲輪で構成されている。城域は東西約25m、南北約120mの小規模な城跡である。大きな堀切が中央部分にあり城域を分断している。
この城は、三方庄と大屋庄の境目にあり、大屋庄の出入り口を押さえていたと考えられている。
この城に関しては、加保集落に残されている「正垣小左衛門家文書」によれば、天正の頃栃尾源左衛門と居相肥前守(孫作)は藤堂高虎の小代一揆制圧に味方し、その功績によって田和城は居相孫作に与えられ、その後栃尾源左衛門に譲渡されたと記されている。
尾根筋は南西に延びていたが、城の南裾のたわみ部分(乢)が削られ、県道が敷かれている。
※田和城の田和は夏梅字田和の地名から名づけられ、もとは乢(たわ=峠)から来ているという。
参考:「大屋町史」
▲田和城縄張り図 大屋町史より
アクセス
表示板の左に車1~2台止められるスペースがある。そこから登って行った。左下に川に降りていく道もある.
登り始めるとすぐに数段の曲輪跡を見ることができる。上部の曲輪跡(縄張り図6)の北側に土塁跡があり少し盛り上がっている。
▲城山登口 ▲「城山」の表示板
▲登り始め ▲上部に曲輪跡が見える
▲途中 南の眺望
曲輪跡(図6)を進むと崖状になった大きな堀切がある。堀切を降り主郭に向かうが、登りやすいように切岸に階段の歩道が付けられている。
この城跡の西側面は川淵上にあり絶壁状なり、東側もかなりの勾配があるため、ふれあいの森の整備として歩道が付けられたのだろう。
▲最初の広い曲輪跡
▲堀切
▲堀切の歩道
堀切の歩道の上には主郭下の曲輪跡があり、主郭の切岸を回り込むようにして登ると主郭に至る。切岸の一部に川石を使った石積みが見られた。
主郭はコケに覆われていた。ここからの展望は、木々がなければ見渡しはいうことない。
主郭の一段下に曲輪跡がある。
▲主郭の切岸 ▲主郭の石積み(川石)の一部
▲主郭
▲主郭の一段下の突き出た曲輪跡
▲主郭の下から西方面(加保集落)
▲西方面(夏梅集落) ▲北方面 あゆ公園と上部が見える
▲「田和の淵」南方面 城跡は左側
▲「田和の淵」北方面
雑 感
田和城跡の登城はあっという間であった。この城跡の造りは単純明快で、曲輪跡がはっきりしていてわかりやすかった。三方庄と大屋庄の境の見張りには最適な場所にある。城を取り巻く大屋川が造りだした「田和の淵」という岩場の流れが絵になっていた。
帰りがけに近くにおられた I さんと出会い、城跡や地域の歴史のお話しを聞くことができた。城跡については大屋町史に詳しく出ていることを教えてもらい、早速大屋市民センター図書室に立ち寄り確かめることができた
それ以後、養父市大屋町内のそれぞれの顔をもつ城跡とのわくわくの探索であった。
【関連】
周辺の城跡
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・但馬 大杉城跡
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