自分の音のルーツについて考えてみました。
僕が最初に聞いた音楽はクラシックだと記憶しています。
家にはレコード機があって、リビングの天井付近に大きなスピーカーが二つありました。そこから音が流れるととてもよい音だったのを記憶しています。
レコード機の下の棚の戸を開けると沢山のレコードがありました。その殆どがクラシックだったと記憶しています。
母親はバイオリンを、姉もバイオリンをやっていました。
しかし僕はバイオリンの音があまり好きではなかったです。
甲高いあの音が小さい頃、まだ受け入れられませんでした。
だからというわけではありませんが、僕はその音楽一家の中でチェロを習い始めました。
小学生2年だったかな?
チェロの乾いた低音、ブリッジ付近を押さえる高音、なんともいえない、切なく、心を叩くあの音達が好きでした。
しかし僕は演奏は好きではなく、当時の「才能教育鈴木メソード」の授業を何かと理由をつけてはさぼり、そう、木曜日が来るのがいやでいやでしょうがなかったのを覚えています。
どちらかといえば体を動かすほうが好きで、演奏に楽しさを感じたことはあまりなかった気がします。サッカーや野球を日が暮れるまでやっていました。
結局小学生5年生か6年生のときにチェロを辞めました。
そこからギターを持つまで5、6年間かかったんですね。
しかし今こうして音楽家としてやっている自分は本当に不思議で、でもやっぱり音楽に縁があったんでしょうか。
チェロをやっていたことが今自分に及ぼしていることは、沢山あることに気づきます。
その中で特に強いのが生音、楽器本来の持っている音が好きということ。
アコギで木の乾いた音大好きです。
しかし残念ながらライブだとあの感じはでないのですね、機械を通すので。
いつか小さいスタジオで少人数のお客さんと、生声、生音で、本当の意味での生ライブをやってみたいものです、まじめに密かに企画しています。
僕は今静かにクラシックを聞きながら、そんなことを考えています。
音は心を、人格を、現します。
これは紛れもない事実。
そこが演奏家としての旨い下手を超えた部分。
ある意味、歌う資格、演奏する資格を楽器に問われているのですね。
まだまだだな〔笑〕