褒めて伸ばす。実証されてます。これは正しい。わたしは疑問がありますが
叱れば結果は早く得られます。ですが効果が永続きしません。叱られるからする(やめる)では、ずっと罰を与え続けなければならず疲れるばかりです。ご存じですよね
叱る方がいい場合だってあるじゃないか。それも正しい。最初はできていたのにぬるま湯に浸りすぎてダラけてきた相手に、またはハッキリとした目標を定めた相手になら、時にはガツンと叱ることで効果が期待できます。原因が本人の意識の場合、できる状況なのにやれていなかった場合ですね。ここでも感情で怒ることは避けます。効果が永続きしませんから
生きるため選択肢がなかった社会では結果がまず求められました。怒って結果を求めるのは、リソース(資源)が足りない場合なのです
だから叱るのは、個人を育てる教育向きの手法じゃありません。感情で怒ってしまうことは特に避けたい。永く伸び続けて欲しいから、相手の成長を待つ必要があるからです
叱るときは、ゆっくり十数えてから叱りましょう。感情的に怒ることが避けられます。思い付くままダラダラ愚痴るのも避けたい。効果が期待できません。イヤな気分だけが残ります
それでも感情的に怒ってしまったら?謝りましょう。大人だって素直に謝ればいいのです。誤魔化すよりはるかにいい。子ども達も感情的に反発することが減り、早く「大人」になってくれます
子ども相手に感情で怒るとすれば、危険や犯罪を避けるため結果が待てない時ぐらいです
ひととひとの「かかわり」では唯一絶対の正解はありません。△ですね。同じ△でも効果の高い方法は存在します。その効果をゴールに共有をすればうまく動きます
まずはどんな状況か場合分けをしましょう。感情的にならないよう注意します。書き出し見える(見せられる)カタチにするのがオススメ。ゴールを絞ってお互い共有ができれば最大の効果が得られます(←ポイント!)
今日の本題です
褒めりゃいいの?褒め方によっても大きな差がでます。「かかわり」では唯一絶対の正解はありませんからね。ここでも場合を分け、それぞれに効果の高い方法を選び共有しましょう
テストが返ってきました
叱るのはオススメしません。褒めるとこをどこか探します。丁寧に書いた、すべて埋めた、前回より書けてる、記述にも手をつけた、この教科が良かった、一点でも一位でも上がった、なんでもよろしい。期待ばかり膨らませないのがコツ。素直に喜べます。共有がしやすくなります
グチが言いたくなるのは「才能に」期待をしているから。グチられる方はお前に才能なんかないよと言い続けられるのとおなじです。そりゃ反発します(時には必要ですけど)。自信を失います
少なくとも学校でやる学習は後天的な積み重ねが圧倒的です。それに才能ってどっかから湧いてくるものじゃありません。掘り出すものです。持ち合わせたものを磨くだけでも結構いけるんですよ
また、相手のやっていることに関心を持たないとトンチンカンな褒め方になるかもしれません。お子さんに継続して関心を持ちましょう。「継続して」ならちょっとした変化にも気づけます。関心を持たないひと、感情的で表面しか見ないひとに信頼は生まれない。損得でしか見てもらえません
さて、褒め方によって効果に大きな差がでます。賢さを褒めると自信が生まれます。賢さより努力を褒めると、難しい問題に取り組む意欲が生まれます
結果に自信が持てない場合どちらを選びましょうか。現状に満足せずチャレンジして欲しい場合はどうでしょう。低学年なら、高学年になったならどうでしょう
部活でイッパイなら、いきたい学校があるなら、反抗期なら、テスト直前なら直後なら、夏休みなら
単純に正解は示せません。時期や状況によって変わりますから。子どもの状況は特に急変します。あなたが、子どもの変化に少しずつでも関心を持ち続ければ「近い答え」は出せますよ。結果を待つことはなにもしないこととは全く違います。お互いの意志に訴えかけるのです。不安ですか?そのために書き出します。書いて見せ相談をすればいい。間違ったらまた直せば済みます。相手を待っている限り自分も待ってもらえます
まずは状況を場合分けしましょう。感情的にならないよう書き出します。ゴールを絞ってお互い共有ができれば最大の効果が得られます。まずは褒めりゃいいんです(藤田)
[追記]
テストを見ていつも叱ってばかりでした…。うん、むしろ好都合です。褒めたときの効果が絶大ですから。いつも褒めてるより、はるかに効果が高い。怒られると思っていたのに褒められたら意外でしょ
ヒトは「変化」にココロが動きます。これから変化を演出すると考えればいいわけです。△を選ぶって、あなたが正しいか否かの話じゃありません。あなたのやることその効果に目を向ければ、得るものがデカいですよという話です
「正しい」ひとなんているわけないじゃないですか
叱れば結果は早く得られます。ですが効果が永続きしません。叱られるからする(やめる)では、ずっと罰を与え続けなければならず疲れるばかりです。ご存じですよね
叱る方がいい場合だってあるじゃないか。それも正しい。最初はできていたのにぬるま湯に浸りすぎてダラけてきた相手に、またはハッキリとした目標を定めた相手になら、時にはガツンと叱ることで効果が期待できます。原因が本人の意識の場合、できる状況なのにやれていなかった場合ですね。ここでも感情で怒ることは避けます。効果が永続きしませんから
生きるため選択肢がなかった社会では結果がまず求められました。怒って結果を求めるのは、リソース(資源)が足りない場合なのです
だから叱るのは、個人を育てる教育向きの手法じゃありません。感情で怒ってしまうことは特に避けたい。永く伸び続けて欲しいから、相手の成長を待つ必要があるからです
叱るときは、ゆっくり十数えてから叱りましょう。感情的に怒ることが避けられます。思い付くままダラダラ愚痴るのも避けたい。効果が期待できません。イヤな気分だけが残ります
それでも感情的に怒ってしまったら?謝りましょう。大人だって素直に謝ればいいのです。誤魔化すよりはるかにいい。子ども達も感情的に反発することが減り、早く「大人」になってくれます
子ども相手に感情で怒るとすれば、危険や犯罪を避けるため結果が待てない時ぐらいです
ひととひとの「かかわり」では唯一絶対の正解はありません。△ですね。同じ△でも効果の高い方法は存在します。その効果をゴールに共有をすればうまく動きます
まずはどんな状況か場合分けをしましょう。感情的にならないよう注意します。書き出し見える(見せられる)カタチにするのがオススメ。ゴールを絞ってお互い共有ができれば最大の効果が得られます(←ポイント!)
今日の本題です
褒めりゃいいの?褒め方によっても大きな差がでます。「かかわり」では唯一絶対の正解はありませんからね。ここでも場合を分け、それぞれに効果の高い方法を選び共有しましょう
テストが返ってきました
叱るのはオススメしません。褒めるとこをどこか探します。丁寧に書いた、すべて埋めた、前回より書けてる、記述にも手をつけた、この教科が良かった、一点でも一位でも上がった、なんでもよろしい。期待ばかり膨らませないのがコツ。素直に喜べます。共有がしやすくなります
グチが言いたくなるのは「才能に」期待をしているから。グチられる方はお前に才能なんかないよと言い続けられるのとおなじです。そりゃ反発します(時には必要ですけど)。自信を失います
少なくとも学校でやる学習は後天的な積み重ねが圧倒的です。それに才能ってどっかから湧いてくるものじゃありません。掘り出すものです。持ち合わせたものを磨くだけでも結構いけるんですよ
また、相手のやっていることに関心を持たないとトンチンカンな褒め方になるかもしれません。お子さんに継続して関心を持ちましょう。「継続して」ならちょっとした変化にも気づけます。関心を持たないひと、感情的で表面しか見ないひとに信頼は生まれない。損得でしか見てもらえません
さて、褒め方によって効果に大きな差がでます。賢さを褒めると自信が生まれます。賢さより努力を褒めると、難しい問題に取り組む意欲が生まれます
結果に自信が持てない場合どちらを選びましょうか。現状に満足せずチャレンジして欲しい場合はどうでしょう。低学年なら、高学年になったならどうでしょう
部活でイッパイなら、いきたい学校があるなら、反抗期なら、テスト直前なら直後なら、夏休みなら
単純に正解は示せません。時期や状況によって変わりますから。子どもの状況は特に急変します。あなたが、子どもの変化に少しずつでも関心を持ち続ければ「近い答え」は出せますよ。結果を待つことはなにもしないこととは全く違います。お互いの意志に訴えかけるのです。不安ですか?そのために書き出します。書いて見せ相談をすればいい。間違ったらまた直せば済みます。相手を待っている限り自分も待ってもらえます
まずは状況を場合分けしましょう。感情的にならないよう書き出します。ゴールを絞ってお互い共有ができれば最大の効果が得られます。まずは褒めりゃいいんです(藤田)
[追記]
テストを見ていつも叱ってばかりでした…。うん、むしろ好都合です。褒めたときの効果が絶大ですから。いつも褒めてるより、はるかに効果が高い。怒られると思っていたのに褒められたら意外でしょ
ヒトは「変化」にココロが動きます。これから変化を演出すると考えればいいわけです。△を選ぶって、あなたが正しいか否かの話じゃありません。あなたのやることその効果に目を向ければ、得るものがデカいですよという話です
「正しい」ひとなんているわけないじゃないですか